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和尚さんの法話 『仏説無常経』

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「如何が形命を保ち  死の来たり侵すを見ざらん」
さあ、死んでいくときがくると、其の時になって如何に
悔いてももう遅いということですよね。
その死ぬということが年々刻々に来てるというようなも
のですが、来てるというのが我々には分からない。
死ぬのが何時だというのが分かりませんね。
弘法大師みたいに本年三月二十一日寅の刻に死ぬという
ようなことが我々には分からないですから。
そこで、無常ということを説いてるんですね、何時死ぬ
か分からんぞと。
死んだらおまえは何処へ行くつもりだと、あの世はいい
所ばっかりじゃないんだぞ、用意は出来てるのかと、い
うことが無常感だというのです。
だから仏道を志す者は無常を心得るべしということです
ね。

「命根気尽きなんと欲し 支節悉く分離す」
死んでいくときの死に様はいろいろ様々ですけれども、
安らかに死ねれば結構ですけれども、精神的にも肉体的
にもいろんな苦痛が押し寄せてくる。

「衆苦死と倶に有り 此の時徒らに嘆き恨まんも」
死ぬときになって、その死ぬ瞬間にえらいことをしてき
たと後悔するんですね。
こういうふうに後悔するのはまだいいほうでですね。
後悔もせずに死んでいくということもあると思いますね。

「両目倶に上に飜(ひるが)えり 死力業に随(したが)
いて下る」
死ぬときに眼がつりあがってしまうというわけですね。
業の深い死に方ですね。
死刀というのは、死の刀というのは、無常の死ぬ時期を
刀に例えてるんです。
その刀は肉体と霊魂を切り裂くというのですが、そのと
きに断末魔というのが声になって出て、うわあっと、も
の凄い声になって出るそうです。
霊魂と肉体を切り裂く。其の時にもの凄く痛い。
それが声になって出るそうです。このことを断末魔とい
う。
極楽へ行く人は阿弥陀様がお迎えに来ますが、地獄へ行
くような人は魔でしょ、誘いにくるものは。
だから最後を断ち切る魔というわけです。

ここでは死刀となっていますが、刀風という例えもあるそ
うです。
刀の風。死ぬときに無常の風が吹いてきて、肉体と霊魂を
切り離して行くというのです。

あるお経の中に、断末魔のことですが「刀風形を裂いて神
識去る」とあります。
刀風が吹いてきて、神識というのは霊魂ですね、神といっ
ても霊魂ですし、識といっても霊魂のことです。名前が違
うだけのことです。
刀風形を裂。つまり肉体と霊魂を切り裂いていく。
そして霊魂が去っていくと、こういうお経の文句がどこか
にありました。
地蔵経だったかもしれません。
いろんな例えの言葉がありますが意味は同じですね。
だから死んでいくときに、いい人が死ぬときにそんなに苦
しまずに死ねる。
ところが、我々の判断ではありませんよ、あの世が判断し
た場合に、この者は楽には死ねまいというような人が死ぬ
ときには、断末魔の叫びをあげながら死ななきゃならない。
その人の業に従って、浅い業、深い業に隨って苦しみが違
うということですね。

「意、想並びに樟惶(しょうこう)し 能く相救済するな
し」
つまり、意も想も霊魂ですわね、その霊魂が恐れおののく。
あの平家物語にでてくる平清盛がありますね、あの人は死
ぬときは生きながらにして地獄へ落ちていったという、昔
の書いたものを読むわけですけれども、私はあれは本当の
ことがあると思うんですよ。善いことをしてませんからね。
そういうふうな業の深い人が死んでいくときに、意並びに
想、つまり霊魂が怖くて恐れおののくということです。
然しながら誰も助けようがない。
善いことをしてないからそういう死に方をしなきゃならん
のだから、此の世の災難なら助けてくれと言われたら助け
ることもできるでしょうけど、死ぬときはどんなに叫んで
も誰も助けようがない。

「長喘(ぜん)胸に連なりて急に 噯(あい)気喉中に乾
く」
死んでいく人の肉体的な苦しみを現した言葉ですね。
喉が詰まってくる。或いは咳きこんでくる。熱は出てくる。
喉は渇いてくる。たんがからんでくると、いろんなことが
死ぬときにありますわね。

「死王司命を催し 親族徒(いたずら)に相守る」
つまり無常の風が誘ってきて、閻魔さんの使いがそこへ来
てるというわけで、これは悪い死に方ですわね。
そんなことは見舞いに来てる親族の人達には霊魂は見えま
せんから、鬼がそこへ来てるというのが見えない。

ただ本人の苦しみだけを見て可哀相に可哀相にというだ
けであって、お医者さんだってどうしようもない、とい
うような死に方もあるんだということです。
これは極端な例をここへ書いておられると思いますがね。
かわりようがないですよね。
本人がまるまる受けなければしょうがないんですから。

「諸識皆昏迷して 行きて検城の中に入る」
なにも分からないようになって、ふっと気が付いたら閻
魔さんのいる庭へ引き添えられているということですね。
検城というのは閻魔の庁ですね。

「新知皆棄捨(きしゃ)し 彼の縄の牽(ひ)くに任せ
て去る」
親族は火葬とか埋葬するとか、そこまでは送ってくるけ
ど霊魂はもう焔魔の庁へ行ってて送っていくのは空の肉
体だということです。
彼の縄に引くに任せて去るというのは、親族は皆みえな
いけど智者は判るんですね、あいつは縄に牽かれて焔魔
の庁へ行ったと、それを親族は見えたところでどうしよ
うもないですね。
以前に和尚さんが言いましたが、鬼に監視された霊魂が
あったと。

「將に焔魔の庁に至り 業に随いて報いを受く 勝因は
善道に生じ 悪業は泥梨に堕す」
泥梨とは地獄のことです。

「病に怨家も過ぎず 大怖死に過ぐるはなし」
この怨家(おんけ)というのは仇同士というか仇ですね、
仇を討ちにくる仇ですね。
その仇よりも病のほうが怖いというのですね。
生老病死の病という苦しみ。
この仇は逃げようと思えばなんとか用心して逃げること
が出来ますね、注意さえすれば防ぎようがある。
ところが病気というのは、これは一時は治るかもしれま
せんが、何れ最後の時は、死病というものは、これはど
うしようもない。
これはお医者さんが百人来たって手の施しようが無い。
だから怨家よりも病のほうが怖いというんですね。

大怖死に過ぐるはなしというのは、いろんな、可哀相で
すが災難がございますわね、地震や津波、土砂崩れなど
でね。
災難で生き残った人もあるけど死ぬほうが怖い。
生き残った人は、それは災難から生き残れたんだから、
たとえ財産は無くなっても命は助かる。

然しながら、この死というのは最高の恐怖なんですね。
だからそれを言ってるんですね、大きな恐れ。

「生有れば皆必ず死し 罪を造れば苦、身にせまる 当さ
に勤めて三業に策ち 恒に福智を修すべし」
三業というのは、身体の業と、口の業と、心の業ですね。
物を取るというような身体を使って犯す業がありますね、
人を殺すか、それから不倫もそうですね。これは身の業で
すね。