和尚さんの法話 『仏説無常経』
えなくても、我々の容色というのは衰えていく。
若さというのは変化していると。こういう歌ですね。
また一年たって春が来て花が咲いた。そして去年の人
は居てるかと、誰か死んでるんと違うかと、一年の間
にきっと誰か死んでる。
花は咲くけど人は死んでる。
松は千年とかいって何時までも何時までも、何時まで
もといってもいつかは枯れますけど、それでも長くあ
るのでめでたい木ということになってますね。
然しながら枯れて薪になることもあると。
大海と雖もいつか枯れてしまうこともある。
そう聞いているということですね。
『白髪三千丈 縁愁女是長 不知明鏡裏 如何得秋露』
知らん間に年をとって白髪になった。その髭が三千丈
も延びた。というのは中国での表現でしょうが、それ
でも知らん間に年をとったということですね。
何時の間に自分の姿はこのようになったのであろうか、
鏡の裏に残ってるのかと、思ったって、鏡の裏に残っ
てるわけがないと、いう詩でしょうね。
『寄言金盛紅顔子 應燐半死頭翁 此翁白頭真可燐
伊昔紅顔美少年』
今は紅顔の美少年でも、何れは年をとって白髪頭の翁
になるぞと。
真っ白な頭になってやがて老いぼれになるんだぞ、と
いう警告の詩ですね。
今ここに頭の真っ白な年寄りが居るが、此の人も昔は
紅顔の美少年だったけど、今はこんな頭の真っ白な老
いぼれの姿になって可哀相にと、人事ではないという
ことですね。
『少年易老學難成 一寸光陰不可軽 未學池塘春草夢
皆前梧葉已秋声』
池の淵に春の花が咲いてたなと思ったら、もう秋風が
吹いて池の淵に落ちる。
というめまぐるしい時間の変化をいってるんですね。
『今年花以去年好 去年人至今年老 年々歳々花相以
歳々年々人不同』
花は去年と今年とあんまり変わらんと思うけど、ところが
人というのは変化が速い。去年の人と今年の人とでは変化
があり、老けたなという人がたくさんある。
去年は若かったなと思ったのに、今年は老けてるというこ
とがある。
『アシタノ露ハ草ノ葉ニ 日影ヲ持タデ梢ニアリ 夕べノ
雲ハ山ノ端ニ 風ノ誘エバ跡モ無シ 電光朝露ノ時ノ間ハ
夢マボロシノ世リケリ ナスコト無クテ徒ラニ 老イト
成ルコソ悲シケレ』
これは和讃です。
此の国は心優きさかいにて候へば、極楽浄土とて目出度き
所へ具し参らせ候うぞ」と、泣く泣く申し候いしかば
―― 西に向わせ給いて御念仏ありしかば二位殿やがて抱
き奉りて「波の底にも都の候うぞ」と慰め参らせて千尋の
底にぞ沈み給う。 (以上六道より)
兎に角、我々は死ぬということです。必ず死ぬわけです。
死ぬということは決まってるんだから、あの世の用意です
よね。
明日に我々の生活があるように、死んであの世の生活が待
ってるんですよ。
明日のために我々は計画をして生きてると思うんです。
ずっと延ばして来年のため、五年後、十年後を考えて、毎
日毎日こうして用意をしてるんですよね。
だから五年、十年、老後というようなことは、この世の未
来ですね、つまり未来のことを考えて未来の用意のために
我々は働くわけですね、これをもう一歩延ばして死後の世
界という未来。
この世の未来じゃなくて、死後の未来。
その用意はどうですかということです。
ところがまだ大丈夫、まだ大丈夫と思ってもこれはあてに
ならない。
これから何年生きるか分かりませんが、今から死ぬまでを
今日と考えて、あの世を明日と考えたらどうでしょうか。
一日なら眠って、今日の終わりですよね。眼が開いたら明
日でしょ、ではまた明日は明日の生活をするわけですね。
この世で死ぬときがきたら目を閉じて、この世の終わりで
すね。
今度眼が開いたらあの世の始まりです。
あの世の準備が出来てますかと。
それを説くのが仏教なんです。
この世のことを言うのではないということです。
ようするに霊魂不滅なんですよ。
これは和尚さんが他から聞いた話になるんですが、或る
人(ご主人)がお説法を聞くのが嫌なんですね、
ところがそこの和尚さんが、法事があるとそのあとで必
ずお話をしてたんです。
各寺の住職というのは、そういうふうにお通夜の晩の時
間とか、法事のあとの少しの時間を割いてでもお話をす
るものなんですね。
だからそこの和尚さんもしてたんですね。
ところがそこの主人が説教が嫌いだったんですね。
それであるときに、和尚さんお説教はもうけっこうだと、
お勤めだけしてもらったらそれで結構だと言ったらしい
んです。
それからその和尚さんは、お勤めだけはするけどお説教
はしないようにしたんです。
それから何年かたってその主人が頓死したんですね。
その奥さんは、多少はそういうあの世とか霊魂とかいう
ことに、信仰まではいってたかどうか分かりませんが感
心を持っていた方だったらしいのです。
それでご主人が急に死んだから、なにか思い残すことが
あったんじゃないだろうか、聞いておかないといけない
ことがあったんと違うだろうかと思って、そして行の足
りた行者さんのところへ行って、主人の霊を降ろしても
らったんです。
そしたらその主人が、こちらの言うことをいろいろ聞い
てくれて、その後で、わしはここへ来て(あの世ですね)
えらい叱られた。
なにを叱られたかというと、説教を聴かなかったといっ
て叱られた。
誰に叱られたかというのは聞き漏らしたそうですが、先
祖方は説教が大事だということを知っててなんで聞かな
かったんだと叱られたのか、或いは仏様方に言われたの
か、兎に角説教を聴かなかったといって叱られたんだと
いうんです。
これからは必ず法事のときに、和尚さんに説教をしても
らうように頼んで欲しい。
わしが謝ってたということを和尚さんに言って欲しいと
いうことを、奥さんに言ったそうです。
これはそうだと思いますね。
霊界があるんだからね。
どの道でもそうですね、話しというのは、その道の話し
は聞かないと分かりませんね。
それぞれの道には先輩がいらっしゃって、その人達の話
しを聞かないと、その道のことは分かりませんもの。
どの道でも。
だから仏道でもそうですね、一応住職だから一般の人よ
りは知ってるんですから、その知ってる人の言うことを
聞かなければ分からないんですから。
聞けば、ははあ、こうなんだなということが分かる人は
分かるわけです。
分かる人は判るんですが、但し、いくら聞いても分から
んという人もなかにはいますね、それはしょうがないで
すね。
お経のなかにこういう文句があります。
○聞いて、すぐに理解する人。
○そして勧められて聞いているうちに、ああ分かりました、
となんとなく理解する人。
○鈍な人があって、然しながら純朴で何遍も何遍もああだ
ぞ、こうだぞと聞いて理解する人。
○そしていくら言うても聞こうとしない人。縁無き衆生で
すね。
敬い信じるという心を起こさない人。
こういうふうに四種類あるんですが、これはなにかのお経
にあったそうです。
だからお釈迦様でも、婆さんよ、と言って法を聞かせてあ
作品名:和尚さんの法話 『仏説無常経』 作家名:みわ