和尚さんの法話 『仏説無常経』
と慰め参らせて千尋の底にぞ沈み給う。 (以上六道より)
「無常経」
「生まるる者は皆死に帰し 容顔尽く変衰す」
どんなに若い時に綺麗な顔でも、何れは必ず衰えてい
く。
どんなにしても美貌を保つにしても限度がありますね。
五十歩百歩ですね。
美容体操をしているから美貌は衰えないんだというた
って、そういうわけにはいかない。
そして必ず死んでいきます。
「強力なるも病に侵され 能く斯(こ)れを免るる者
無し」
どんなに健康で元気な人であっても、病に侵されると
いうことは免れないですね。
有名な力士や運動選手であっても、何時までも保てな
い。
プロレスの強いという人も若い時は強かったとしても、
歳をとってくると、ひっくりかえるとカブトムシが仰
向けになったみたいに起き上がれない。
それはもう体力が衰えて消耗してるからですね。
我々もそうですね。
若い時は急な階段も元気に駆け上がりましたが、息も
そう激しくもなかった。
ところが歳をとると、そうはいきませんね。
場合によっては途中で休憩ということも。
年配の方がおっしゃいますが、一年一年、衰えが自覚
できると。そういうふうなものですね。
無常がだんだんと迫ってきてるわけです。
「仮令妙高山と雖も 劫尽くれば皆壊散し」
この妙高山というのは、普通の大きな山といってもい
いのですが、須弥山という山があるんですね。
見てきたようなことを言うと思われそうですが、お経
の例えですからね。
これは霊界の山になりますが、お経に出てくるのを想
像するしかありませんね。
霊界というのは立体性がありますね、例えば地獄、極
楽というのは立体的に書いてますね。
極楽という所は、蓮の花がどうで、並木が金銀瑠璃で
出来て、光り輝いてるというような立体的な表現があ
りますね。
そして地獄には針の山、火の地獄というような、その
とおりなんですね、そういうふうに立体性があるんで
すよ霊界というのは。
その霊界の宇宙といいますか、その宇宙に大きな山が
あってそれを須弥山というんです。
須弥山という山は、何処までいっても何処までいって
も果てしの無い大きな山で、そして綺麗な山だそうで
す。
然しながら、「劫尽くれば皆壊散し」と、劫というの
は時間ですよね。
霊界というのは永遠ではないんですよ。
極楽は別ですよ、悟りの世界ですから別ですが、三界
六道という中に含まれてくる世界は無常なんですね、
永遠ではないんです。
だから劫を尽きれば壊散するというのは、宇宙は、こ
の世もそうですけれども、あの世の霊界の宇宙も変化
してるというのです。
それは「生住異滅」といいまして、まず生まれる。
「生まるる者は皆死に帰し 容顔尽く変衰す」
どんなに若い時に綺麗な顔でも、何れは必ず衰えてい
く。
どんなにしても美貌を保つにしても限度がありますね。
五十歩百歩ですね。
美容体操をしているから美貌は衰えないんだというた
って、そういうわけにはいかない。
そして必ず死んでいきます。
「強力なるも病に侵され 能く斯(こ)れを免るる者
無し」
どんなに健康で元気な人であっても、病に侵されると
いうことは免れないですね。
有名な力士や運動選手であっても、何時までも保てな
い。
プロレスの強いという人も若い時は強かったとしても、
歳をとってくると、ひっくりかえるとカブトムシが仰
向けになったみたいに起き上がれない。
それはもう体力が衰えて消耗してるからですね。
我々もそうですね。
若い時は急な階段も元気に駆け上がりましたが、息も
そう激しくもなかった。
ところが歳をとると、そうはいきませんね。
場合によっては途中で休憩ということも。
年配の方がおっしゃいますが、一年一年、衰えが自覚
できると。そういうふうなものですね。
無常がだんだんと迫ってきてるわけです。
「仮令妙高山と雖も 劫尽くれば皆壊散し」
この妙高山というのは、普通の大きな山といってもい
いのですが、須弥山という山があるんですね。
見てきたようなことを言うと思われそうですが、お経
の例えですからね。
これは霊界の山になりますが、お経に出てくるのを想
像するしかありませんね。
霊界というのは立体性がありますね、例えば地獄、極
楽というのは立体的に書いてますね。
極楽という所は、蓮の花がどうで、並木が金銀瑠璃で
出来て、光り輝いてるというような立体的な表現があ
りますね。
そして地獄には針の山、火の地獄というような、その
とおりなんですね、そういうふうに立体性があるんで
すよ霊界というのは。
その霊界の宇宙といいますか、その宇宙に大きな山が
あってそれを須弥山というんです。
須弥山という山は、何処までいっても何処までいって
も果てしの無い大きな山で、そして綺麗な山だそうで
す。
然しながら、「劫尽くれば皆壊散し」と、劫というの
は時間ですよね。
霊界というのは永遠ではないんですよ。
極楽は別ですよ、悟りの世界ですから別ですが、三界
六道という中に含まれてくる世界は無常なんですね、
永遠ではないんです。
だから劫を尽きれば壊散するというのは、宇宙は、こ
の世もそうですけれども、あの世の霊界の宇宙も変化
してるというのです。
それは「生住異滅」といいまして、まず生まれる。
そしてそこに住み、やがて変化して滅する。
だからこれを繰り返しているというのです。宇宙は。
この地球だってそうです。
今は住から異に変わりつつあるのと違うのでしょうかね、
科学者に聞かないと分かりませんが。
この地球も変化してますね、科学者が調べて地球が今か
らどれくらい前にできて、あとどれくらいに寿命がある
というんでしょ。
そういうふうに我々の科学の対称とする宇宙もそうです
し、霊界もそうなんです。
出来たときを「成劫」といって、最後に「壊劫」滅びる
という字で、時間も何も無くなってしまって、物があっ
て時間があるわけですよね、我々は時間が無いんだけれ
ども、物が変化するからそれによって我々は時間という
ものを認識するわけでしょ。
朝になったら太陽が出て晩になったら沈むという変化が
あるから、それによって我々は時間というのを認識する
わけです。
時間というものはだいたい無いんですわね。
我々の観念ですね。
成劫というのは、時間が生じるんですね。
そして霊界もなにもかも無くなってしまうというのが壊
劫というんですが、時間が無いから物も無い。
そのときの霊界の衆生はいったいどうなってるのでしょ
うね。
何処かへ居るに違いないとは思うのですが。
例えば、この世でも動物はありますね。
ある動物は冬眠というのがありますわね。
短い冬の間だけですけれども、そういう時期が霊界にも
あるんじゃないかと私は思うのですね、迷い迷いながら。
だから、妙高山と雖も、摩滅してしまう、消えてしまう
ことがあるんだということです。
「大海深くして底無きも 亦復皆枯渇す」
たとえ底の無い大きな海であっても、枯渇する。
水が無くなってしまうときがあると。
作品名:和尚さんの法話 『仏説無常経』 作家名:みわ