和尚さんの法話 『念仏減罪』
例えば、過去世に於いて馬の餌を食べたという話があり
ますね。
自分は前世に仏様のお弟子に、お前たちは托鉢で貰って
きた食事を、それは私がこれから行って貰うべき托鉢を
先に横取りしたので、お前たちは馬の餌でたくさんなん
だと。
お釈迦様がずうっと過去世にまだ凡夫の時代に、まだ仏
法に帰依していないときにそういう罪を犯したんですね。
そういうことを見通すんですね。
人のことでも自分のことでもね。
自分は何時のときにどんなことがあって、どんなことを
思ったのか。というようなことを全部知りつくしている。
という能力ですね。
それから、この人間はいったい前世は何処から生まれて
きたのか。
地獄から生まれてきたのか、天上界から生まれてきたの
か、その先のことをちゃんと分かる。
行くところも分かれば来たところも分かってる。
弘法大師は生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死
んで死の終りに暗し。と我々凡夫のことですね。
何処から生まれてきたのか知らないですね。
死んで何処へ行くかも知らない。
それを如来様は、分かってるんですね。
仮に何処へ行って、そこでどうなってと、そしてどれく
らいかたってまたこの世へ出てきて、そのときにどうい
う事件が起こって、どうなってこうなると、それからま
た何処へ生まれると。
先の先の先のことまでずうっと分かるというのです。
生まれ生まれ生まれの先を知り、死に死に死んで死の終わ
りに諦かになるともいうべきでしょうね。
生の始めが諦かになり、死の終わりが諦かになる。
仏様というのは皆そうなんです。
だから、おまえは何時何時何時の時になったら、こういう
仏に成るぞと、名前までおっしゃる。そう言うてもらった
らそれを「印可」というのです。
仏様がおっしゃるのだから、何れ自分はそういう仏さんに
成っていくのだなと、安心できますね。
そういうお智慧を持ってらっしゃるのです。
これが十力。
それで今死んでいくというその者に、阿弥陀様というお方
はこういう力があるんだ、こういう仏様なんだぞと、今そ
こで阿弥陀様に帰依しなさいということになるんですがお
経にはそういうことは出てませんけれども、十力を説くと
仏様というお方はそういう尊い方なんだと、枕辺で説いて
聞かせるんですね、臨終の善知識ですね。
「阿弥陀仏の十力威徳を説き広く彼の仏の光明神力を説き」
阿弥陀様というお方は光の仏というくらいなんです。
こういう光明を輝かせて三千大千世界至らぬところない。
その光明を受けたらもう一時に罪は消えるんだぞと。
光明神力を説いて聞かせる。
「亦、戒定、慧、解脱、解脱知見を讃するに遇わん」
戒律とか、戒律の功徳。禅定の功徳。禅定から発する般若
の智慧の功徳。それによって解脱がこうなんだと。お経に
すればこうなってるけれども、もっと細々とお説きになる。
これは要点だけを説いてあるのでね。
こうすれば解脱出来るんだと、解脱ということはいったい
どういうことなんだという解脱の説明。解脱知見ですね。
「此の人聞き已りて八十億劫の生死の罪を除く」
それを聞いただけで、有り難い有り難い、そんな方だった
のかと信じなければいけませんね。
上の空で聞いてたんじゃいけませんね。
心に、肝に徹して聞きませんとね。
八十億劫という間、生まれ変わり死に変わり生まれ変わり
死に変わりを繰り返してきてるんですよ。
もっと繰り返してるんですが、そのなかの八十億劫の罪を
取り除いて下さるというのです。
八十億劫ですよ。一劫の長さが以前にもお話ししたと思
いますが、四十里四方の石があると仮定して、天から天
人が降りてきて羽衣でその石の上をするすると擦ってい
く。
百年後にまた天から降りてきて石を擦る。
その石が擦り減ってしまうと一劫という時間です。
それが八十億劫ですよ。
その間に生まれ変わり死に変わりしてきてその間に犯し
てきた罪。
ですからそれは大変な罪ですね。
「地獄の猛火、化して清涼の風と為り」
そのとき信じ切って、有り難い有り難いと、ほんとうに
心の底からその教えに従ったんですね。
それによってその罪が消えて、今まで火の車がそこへ来
て燃え盛って熱い熱いと思うていたのが、急に静かな爽
やかな涼しい風に変わってしまったんです。
それは仏様が変えて下さるんですね。
「諸の天華を吹く」
そして今死んでいくという人には見えてるんですよ。
上から蓮の花がふわふわと舞い散ってくるんです、それ
が見えてるんですねこの人には。
「花の上に皆化仏、化菩薩有りて、此の人を迎接し給う」
― 観無量寿経 ―
化仏、化菩薩様方が皆花の上から手を差し伸べてお迎え
して下さる。
これも懺悔ですね。
八十億劫の罪を滅したんですよ。
ですからお経の功徳とか仏様の功徳とか、そういうこと
を聞かされて、それを心の底から信じたら、罪が消える
とうことです。
それがそのまま懺悔になっているということです。
これは普通一般に悪うございましたと謝っていうのと、
違う懺悔ですね。
普通だったら悪うございましたというそういう謝り方で
すよ。
是の他に、念仏によって懺悔になる。
念仏がそのまま懺悔になる。
罪が滅するということです。
次に、観無量寿経の一部ですが。
「命終わらんと欲する時善知識の、為に大乗十二部経の
首題の名字を讃するに遇わん、是の如きの諸経の名を聞
くを以ての故に千劫極重の悪業を除却す。智者復た教え
て合掌叉手して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称する
が故に五十億劫生死の罪を除く。爾時彼の仏、即ち化仏
、化観音、化大勢至を遺わして行者の前に至り、讃じて
言く、善男子、汝仏名を称するが故に諸罪消滅せり。我
来りて汝を迎う、と。」
― 観無量寿経 ―
「命終わらんと欲する時善知識の、為に大乗十二部経の
首題の名字を讃するに遇わん、是の如きの諸経の名を聞
くを以ての故に千劫極重の悪業を除却す」
このお経というものは、十二部経というのはお経はいろ
いろと幾つもお経があるわけです。
それの内容によって十二種類に分けてるんです。
それを十二部経といいます。
こういうお経がある、こういうお経があるんだ、こうい
うお経もあるんだと。お経の名前を聞く。
お経の名を聞いただけで千劫極重の悪業を除却するとい
うのです。
「智者復た教えて合掌叉手して南無阿弥陀仏と称せしむ。
仏名を称するが故に五十億劫生死の罪を除く」
手を合わせて南無阿弥陀仏と称えよ。
南無阿弥陀仏とお念仏するごとに、五十億劫生死の罪を
除く。
「爾時彼の仏、即ち化仏、化観音、化大勢至を遺わして
行者の前に至り、」
行者というのは、今死んでいってる人のことを言うてま
す。
「讃じて言く、善男子、汝仏名を称するが故に諸罪消滅
せり。我来りて汝を迎う、と。」
仏様の名を称えたから罪は全部消えたぞ、だから私は迎
えに来たんだと。
これは極楽に往生する人の最低の人なんですよ。
本来ならば、先にお話ししましたのと変わらんのです。
どちらも下品の上と下ですねこれは。
下品というのは、上中下とあって、上の上、上の中、上
作品名:和尚さんの法話 『念仏減罪』 作家名:みわ