小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 『諸法集要経』

INDEX|3ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

「この三界は虚仮(こけ)にして」
昔の年寄りはよく仏教を知っていて、この世を仮の世とい
うことをよく言いました。
この世ももちろん仮の世ですが、この世を含めて三界。
欲界、色界、無色界というこの三つの迷いの世界ですね。
この三界というのは、虚しい仮の世であると。
これは法華経の中に例えがあるわけですが、「三界火宅」
という例えがあるわけです。

それはこの三界という世界は、燃えている家のようなもの
だというのですね。
その家は、外から燃えてきているという例えの話ですね。
その屋敷の中に子供がおもちゃを持って戯れて遊んでいる。
家に火がついてるのを知らないわけです。
それは三界の人間、我々も含めて三界へ行ったら人間が入
ってますわね、三界の欲界の中に地獄、餓鬼、畜生、修羅、
人間。是は皆欲界といいますね。
その上に天上というのがあって、色界の天上界、無色界の
天上界があってこの二つが天上界。
その天上界というところは色界でも無色界でも上へいくほ
ど寿命も長いし、悩みも少ないけれども、然しながらこれ
はまだ救われていない世界なんですよ三界というのは。

火宅というのは無常ですわね。
仏様の目からご覧になったら、三界の中で天上界はそれ
はけっこうらしいとお経にもそう説いてますが、然しな
がらそこの寿命にも限りがある。
そして何れ天の徳が尽きてしまったら死ぬんです。
またこの世へ生まれてくるか、場合によったら餓鬼にい
くか畜生へいくか、その場合によってそうなるかは分か
りませんが、兎に角、天上界で永久に居るわけにはいか
ないのです。
お経には、五つの衰相が現れると書いてますね。
例えば天人は冠をかぶって花が付いてあると、その花が
しぼんでくるというんですね。
そして天人の羽衣がありますね。
その羽衣がだんだん汚れてくる。
そういう相が五つあるというのです。
そういう相が現れてきたら、やがてこの天人は死んでい
く。
寿命がきてるんだという。
そういうことで三界というのは無常なんですね。
それはあたかも、燃え盛っている家のようだという。
それが燃え終わってしまったら死んでしまう。
子供はそれを知らんとおもちゃを持って遊んでいる。
三界の日常の有様を仏様の目から見たらこうだという例
えなんですね。
三界とは虚仮(こけ)である。仮のものである。
虚しいものであるということです。

「諸法は皆有為なり専伝すること皆車輪の如く」
有為という言葉が出てくるのですが、この反対が無為。
有為(うい)というのは、分かり易くいうと、生じたも
のということですね。
初めのあるもの。作られたもの。生じたもの。
そういうものは必ず滅亡するという。
その逆の無為というのは、作られたものじゃないから滅
びない。
例えばこの空間なんですね。虚空。
これは作られたものじゃない。空間には内も外も無いわ
けです。
どこまで行っても、空間には限りが無い。
そういうものは作りようがないわけですから。

空間というものは、全ての物は空間の中にあるのであっ
て空間の外にあるというのは有り得ない。
存在するということは空間の中にあるわけです。
だから空間は内も外も無いわけです。空間の外というの
は無い。何処までいっても何処まで行っても際が無い。
そういうものは作り様がない。
若しも神が空間を作ったというのなら、その作る前の神
はその前は何処にいたのかといいたい。
空間の他の何処にいたのか?という理屈が立つと思うの
ですよ。空間というのは作りようがない。
作れないから、無為だから永久に滅びないわけです。
空間だけはそうですね。
三界は有為だから、自分の妄念でできるわけですね。
その辺は、唯識の学問になってくるのですけれども。
妄念から現れてくるというんですから三界は。
だから煩悩が希薄にしても三界のどこかへ行くと。
煩悩が希薄になったら色界。もっと希薄になったら無色
界。然しながらまだ残ってる。
残ってる限りは、天の徳が尽きてまた死ぬという運命は
免れることは出来ない。

「専伝すること車輪の如し和合を願うて」というのは、
輪廻のことですね。
くるくると生まれたり死んだり、生まれたり死んだり車
輪の如く。
いずれ生まれたら死ぬのに、和合というと言葉がいいけ
ど、板がいに親しい人を求め合ってるんですね、異性同
性にかかわらず、何時までも死にたくない別れたくない
と和合してしがみつくから分かれるときに苦しい。
それは逃れなれないといってるんですね。
兎に角、三界は生者失滅、これは逃れられないというこ
とを言ってるんですね。

「硬からざること泡沫の如し」
硬いものはいつまでも壊れないけれども、泡沫というの
は泡のことです。
泡は水を流したら消えてしまう。
だからこれは例えかたですから、或はくるくる回る輪の
如く。
或はすぐに消えてしまう泡のようなものだと、人生は。

「この身泡沫(ほうまつ)の如く」
この我々のこの身体は、極端な言い方をすれば水の泡の
ようなものなんだと。

「眼衣服に着し」
我々凡夫は綺麗な着物、綺麗な布団、綺麗なもの、歳をと
ってくると骨董品のようなものを求めますね、そういう目
に見える綺麗なのを求める。
自分は泡沫の如く哀れな身体であるにもかかわらず、いつ
までもいつまでも生きていると思うて、あれやこれやと求
め執着するというのですね。

「この心は車輪の如くである」と。
結局霊魂は、心というのは霊魂ですね。
人間の世界だからこの肉体があるけれども、あの世へ行っ
たら霊魂ですね。
然しながら死ぬというのは人間だけじゃなくて、あの世で
もあるわけですね。
あの世で死んだらこの世へ来るし、この世で死んだらあの
世へ行くと、これだけのことですよね。
だからあの世へ行ったら永久に死なないんじゃない。
またこの世へ戻ってくるのです。天人でも死ななきゃなら
んのですから。

「和合を願うて動転す」
好きなことは物にあらず人にあらず兎に角好きなものを求
める。
そして心を和合して動転する。

「乃至未来世にも」
この世でだけじゃなくて来世にも

「死怖は深く恐るべし」
死ぬというのは、この世だけではないと。
極楽往生したら別ですよ。極楽へ行ったらもう大丈夫、死
なないんです。
ところが極楽じゃなくて、三界の何処かへ行ったら必ずそ
こで死ななきゃならんのです。
死ぬのはこの世だけではない、あの世でも死ななきゃなら
んのです。
来世にも死は深く恐れなければならんのです。

「若し勝因を収せざれば」
勝因とは勝れてる因ということで、例えば修行とか、信仰
に励むとかそういうことです。死に対するあの世へいくと
きの用意ですね、勝れた原因ということで別の言葉でいえ
ば善因。死ぬ用意です。
善の功徳を積んでおかなければ、

「後に悔ゆるとも益するところなからざり」
死んであの世へいって、後悔ばかりであってなんの利益
にもならんと。
だから今のうちに用意をしておかなければならんと。
それが無常ということを説いてある意味です。

「この陋劣(ろうれつ)なる境涯」
この世のことですね。
この世が非常に劣等な世界だというのです。