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和尚さんの法話 『諸法集要経』

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時死ぬか分からんということを考えなさいということにな
ってくるんです。
それで死んだらどうなりますかというと、死んだらあの世
の何処へ行くか分かりません。
仏様のみ分かる。私はいい所へ行きたいんだというたって、
それは向こうで決められることだから自分の思うとうりに
なりませんよと、こうなる。
そういうことをよく念頭に置くべきであるということです
ね。
兎に角、無常ということを心得て死後の用意をして、信心
決定しておれば、そういうときがきて臨終のときが来ても
苦痛無く安らかに息を引き取って頂けるということですね。

「寿(いのち)当(まさ)に終わるべく、未だ堕せざるは
終に没す。」
必ず死ぬ。永久ということはあり得ない。
我々は生まれたからには必ず死ぬんです。必ず終わりがく
る。
未だ堕せざるは、ということは悪いこというと地獄へ落ち
るという場合には、この堕するというのは落ちるという意
味です。
命が落ちると、落命という言葉がありますが、今は生きて
いてもいつか必ず死ぬ。
お経には同じ意味の言葉が繰り返し繰り返し出てくるんで
すね。

「死力は強健にして貴賎皆滅亡さる」
死の力ですね、我々の命を奪うその死の力は、強健にして
非常に強い。
死ぬということになってきたら、もうこちらへ戻ることは
出来ない。
それはもう尊い人でも、卑しい人でも、どんな人もこれは
逆らうことはできない。平等に訪れてくる。

「聚(しゅ)は散の本」
聚というのは、集まるということです。
離合集散といいますが、集まったら永久に集まっていける
のかというと、それは愛別離苦といっしょで必ず別れる。
会うは別れの初めという言葉がありますね。
聚は集まるという意味ですので、この字は集でもいいので
す。

「少は即ち老に帰し命は死の侵すところ」
少は若いという意味です。少年ということですね。
若い者もいつまでもいつまでも若いんじゃない。
いつかは年をとって、命は死の侵すところ。
若い者もいつかは年をとって、死に命を奪われて命を侵さ
れていく。

「世間の諸の衆生は皆死の遠きに有りと思い」
まだまだ死ん。まだまだ大丈夫と、私もそうですがまだ死
なないまだ何十年は大丈夫と思うんですよね。

「方便して免脱することなく」
然しながら、逃れるということはできない。
或は予想どうりに少しくらい延びていくかもしれないけれ
ども最後に全然逃れるということはできない。

「対治の途(みち)を起こさず」
対治は鬼退治の対治で、悪い鬼をやっつけるという意味で
す。
死ぬ者を死なないで済ませるということですね。
死の魔物というか、悪魔というか我々を死に導いて行く悪
魔、そいつを対治する。
つまり死なずにすむと、そういうことはできない。
そういう道を起こすことはできないということですね。

別のお話をしますと。

「遥かに彼の煙を見れば即ち火の遠きにあらざるを知る
如く、衰相若し現前せば彼は定んで当に対物すべし」
つまり、向こうの方に煙が見える。
煙があるということ
は火があるからですが、火があっても煙がたたんという
話もありますが、昔の人は煙のあるところには必ず火が
あると。
煙があるのを見て、あ、火があるのだなと見たんですね。
煙が近ければ火も近いと。そういうふうに悟る。
衰相というのは、身体がだんだんと衰えていく。
衰弱していく。
毎日鏡を見て、ちょっとこの頃痩せてきたのと違うかな
あというようなもんですわね。
鏡を見て、頬が痩せてきて、というようにね。
まあこれは仮の話しですけれども。
そういうのはまた元に戻ることもあるけれども、本当に
衰弱して死ぬほうに向かうというような衰弱の仕方があ
りますね。
そういう衰相、衰えていく姿が現前してくるというのは、
現れてくる。
衰弱が現れてきたら、死が遠くない。近いなと。
煙が近ければ火が近いようにに、身体が衰えを見れば死
ぬのが近いということですね。
例外はあるとして、一応はそうですね。

「生ある者はまさに滅しべし」
生者失滅ですね。

「無病にして健安で」
病気が無くて健康で身は安らかでということですね。

「歳若きも老いに侵されれば栄盛たちまち衰閉す」
病気が無くて非常に健康でというのは、それは永久にそ
うはいかない。
仏教は永久にというのは言わないですね、兎に角変化し
ていくと。
一時のことだということですね。善いことでもね。
そしてまだ自分は青年だと、或は壮年だと、こういうふ
うに思ってもやがて老いに侵される。やがて老いが迫っ
て来る。
栄盛というのは、健康でばりばりと張り切って仕事もや
っていける。そういうふうな元気な状態も衰えてしまう
と。

「恩愛は別離になり」
恩愛(おんない)親しみ合うという意味ですが、いつま
でもそうしてお互いに仲良く続くわけにいかない。

「和合は久住(くじゅう)せず」
和合は同じことですね、仲良く交際していく。
或は同じ家で親子兄弟家族が仲良くいく。久住というの
は、そういう状態は長く続かない。

「諸法もと無常なるは、正覚の説き給うところ」
全てのものは無常だということは、これはお経ですけど、
いろんなお釈迦様の前の仏様も、その前のどの仏様も皆
この無常ということを説いてきてるんですよね。
お釈迦様が初めて説いたというのと違うわけです。
どの仏様も仏教である限り無常というのを説いてるわけ
です。
ですから過去の仏様も皆それを説いてきてるわけです。

「自他消滅の法は二種常に随転し」
自分も死ぬが人も死ぬと。二種というのはここでは、生
と滅。
生者必滅といいますね、生ずる者は必ず滅する。生まれ
て死なないというのは何も無い。
物質でも出来てからいつまでも残ってるかというと、い
つかは壊れて無くなってしまうときがある。
この生と滅の二種は常に随転しというのは常に生まれて
は死に、物だったら出来ては壊れる。
生まれては死に生まれては死に、くるくると随転する。
そして滅し終わりてまた新しいものが生じてくる。
人が死んでも、また生まれ変わって来る。
それを繰り返してる。物にしろ人にしろね。

「決定して各の如く」
それはもう決定してる。例外は無いんだということです。
生じては滅し、生じては滅しと。生じていつまでも生じ
たままということは決して無い、必ず滅するということ
です。
生じてくるのはけっこうですけど滅するというのがある
というのを考えなければいけないというのが仏教の教え
ですよね。


「三界火宅」

「壯色は久しく留まるに非ず」
壯色(そうしょく)というのは、元気溌剌な姿かたちです
ね。
元気な青年、中年あたりの元気な姿ですね。
壯色は久しく留まるに非ずというのは、それはいつまでも
続かない。
いいこともあるが、それはいつまでも続かない。
いいことばかり考えていても続かないから悪いことも考え
ていきなさいという教えですね。

「寿命もまた従って滅す」同じことですね。

「具足して諸善を納めよ」と。
こういう次第だから功徳を積んで愚息をして、そして諸の
善い行いをして死後の用意をしなさいということですね。
善いと思うことはなんでもしなさいということです。