和尚さんの法話 『善因善果 悪因悪果』
えますね、これはみな宿命通という通力で過去を見ている
わけです。
それでその報いでこうなってるんだということですね。
だからこれもそうなんです。
「各の如き衆生は、各の如きの罪を受ける。
而も各の如きの苦を受ける」と。
こんな身体になって、こんな苦しみを受けると。
これは後になって出て来ますが、それは当然だと、自業自
得だからということですね。
「そのとき世尊、(お釈迦様に言ってるんですね)諸の比
丘に告げ給く、よいかなよいかな目連は我が声聞中(お釈
迦様の直接の声を聞かれたお方を声聞といいます)実眼実
智実義実法(本当の眼で見て、その智慧も確かだし、本当
の法を説いて。本当の法を得得してという意味ですね)そ
して決定して通達せん」
要するに、覚ってるということですね。
仏教は本当の悟りは三界を解脱したら悟りなんですが、そ
したら分からんことは何も無いというのが悟りなんです。
過去でも未来でもどんなことでも分かるし、空も飛ぼうと
思えば飛べるしね。
そしてこの衆生は、過去世のときに、この王舎城にありて、
屠殺に携わっていたというのです。
牛や馬を殺してる。
この罪によって地獄へ落ちるが、地獄を出てもまだ罪が残
っていて各の如きの罪を受ける。
だから目連の言ってることは本当なんだということを言っ
てるんですね。
目連が笑ったということをそのとき何故言わなかったのか
というと、信じられなかったと思ったからですね。
お釈迦様が証明したら信じられただろうと。
だから今はそのときに非ずと言うて、帰ってきてお釈迦様
の前で、実はこういうことがありましたと話したわけです
ね。
それでお釈迦様がそれは目連の言うとうりだと、お釈迦様
がそう言うと信じたんですね。
目連は、そのときに話しても疑うかもしれないと思ったの
で、今はそのときに非ずと言ったわけです。
問題は、あの世というところは、どんな報いを受けたって
死なないんです。
あの世で本当に死んだら、この世へ生まれてくることがあ
の世の死なんですが、ところがこっちへ生まれてきたとい
う死に方ではなくて、今の話のように、犬が来て肉を食う。
骨だけになってしまうけど、それでも死んでいないんです
よね。
そして風が吹いてきたらまた肉が戻って、また犬が来て食
う。
この世ではこんなことはあり得ないけれども、あの世では
どんな不思議なことでもあるんです。
また別のお経では、鬼に攻められて鉄棒で叩き殺されるん
です。
あの世ですから、気を失うと鬼が「活」生きるという意味
ですが、活という声を聞いたらまた生き返ると、そういう
お経もありますしね。
兎に角、地獄とか餓鬼とかあるということです。
皆さんはこういうお経を信じられない。
特に仏教学者はこんなお経を置いといたらまずいとさえ思
うくらいですよね。
「霊の存在」
皆さんはこういうお経を信じられない。
特に仏教学者はこんなお経を置いといたらまずいとさえ思
うくらいですよね。
和尚さんがこのお経を信じられるのは、霊魂が見れるので
ね。
和尚さんがまだ学生の頃に、仏教に非常に感心を持ってい
る人がいて、霊魂というのを信じてたそうです。
そして仏教の講演があるというとそれをよく聞きに来てい
たそうです。
ある日に和尚さんの寺に訪ねてきたて寺の裏山へ上がった
そうです。
普通は人が歩くと足が下ですわね。
だから当然、頭が上ですね。
ところが逆になってる霊がいっぱい現れたそうです。
逆さ吊ですね。
そういう世界があるそうです。
逆さまになって生活をするというような。
他の苦しみはないけれども、兎に角逆さまになってるわけ
です。
逆立ちですね、何をするにも逆立ちで何処へ行くにも逆立
ちで、まともに頭が上で足が下でという生活が出来ないん
です。
そういう報いの世界があるそうです。
そんな姿がいっぱい出てくるんです。
それでその人に、こんな霊が見えてるそと言うと、その人
は今、三界のなんとかの(忘れました)衆生はここへ集ま
れと念じてるというのです。
これは餓鬼なんですね。
逆さまになる報いを受けるのは餓鬼なんです。
若し、そんな世界へ落ちてたらいかんというので助ける儀
式が施餓鬼なんです。
だから餓鬼道に落ちると場合によっては逆立ちになるとい
うお経があるんです。
それでその人はそんなことばっかり考えていたらそんな逆
さまになった餓鬼がいっぱい出てきたというのです。
それからその人は、小さい仏像を買ったので開眼してほし
いというて持ってきて、開眼したんです。
その人は、いつもお寺で会合があるのを知らせる人だった
んですね、そして開眼をした帰りについでに何時も会合に
聞きにくる人の家を知ってるので帰りに次は何時ですと書
いた紙を何軒か知らせて回って帰ったんです。
そして或る家へ行った。
あとで聞いた話だそうですがその家のご主人が、そこに女
中さんが一人いて、女中さんがちょうど居眠りをしてたん
ですね、案内にいったときにね。
そうしたところが、夢を見てたんですね。
夢で外から坊さんがいっぱい入ってきた夢を見たというの
です。
これは開眼した仏様に付いて行ったんだなということです。
開眼をしない宗派もあるようですが、現に開眼として儀式
があるんですよね。
だから夢に現れたんだと思うのです。
坊さんが大勢は入ってきたというのは、やっぱり開眼し
てるからだと思うのです。
兎に角、霊魂はあるということと、それで今のお経は報
いですね。
これはあの世の報いで、この世の報いではありませんが、
あの世の報いですけれども、そういうふうな地獄とか餓
鬼とか修羅とかそういう世界は、説いてあるとおりある
んだということなんですよ。
お釈迦様が嘘をいうはずがないです。
今の人はこういうお経を信じられないんですね。
坊さんや仏教学者はね。
困ったことですが、霊魂が無ければ葬式は要りませんも
のね。
お経も要りませんね。
ですが、あの世があるから葬式もするし、お経も読むん
です。
この間違った考えの仏教を規則正しい仏教に戻すことは
出来ないだろうかと、和尚さんの常々の思いです。
和尚さんが若い頃に、あの世が本当にあるんだろうかと
思ってたそうですが、体験をしてから信じられるように
なったそうです。やはり体験ですね。
例えば樹海というのがありますね。
あの世が信じられなくて家出しようと悩んだときに、体
験をしたことであの世はあるんだと分かったときの驚き
と喜び。樹海へ迷いこんでしまってもう出口がない、も
うここで終いかた思っているところ、ぱっと道路へ出る
ことが出来たときの喜び。
あの世があると分かったときの喜びはそんな気がしたそ
うです。
あの世があると分かったときは、別の例えをしましたら、
貧乏で貧乏で明日食べるお米が無い。
毎日毎日食べるにも困ってる。
夕飯時がきてご飯を炊かんならんなあと思いつつ、そし
て米びつを開けてみると、お米が無いと思っていたのに
いっぱいに入ったお米があったときの驚きと喜びで、助
かったと思う。そういう気持ちだそうです。
あの世があると分かって助かったと思ったそうです。
作品名:和尚さんの法話 『善因善果 悪因悪果』 作家名:みわ