和尚さんの法話 『善因善果 悪因悪果』
いてきたらまた肉がまた戻るんです。
霊界というところはそういうことがあってもちっとも不
思議ではないんです。
元の身体に戻ると、犬がやってきて肉を食う。
骨だけになってしまったら風が吹いて戻る。この繰り返
しをしてるんですね。
この苦を受けるのは何の因縁でこんな報いを受けるので
しょうかと問うんですね。
目連答えて曰く。
汝、前の世のときに天祀の主であった。
天祀の主というのは今でいうと新興宗教の教祖みたいな
存在だったんですね。
神さんを祀って、来た人の相談を受けたりするような多
くの人の指導者であったわけです。
ところがこの人は下心があって自分は羊の肉を食べたい
と思ったので、信者に羊の血を神に供えなさいといって、
血を神に供えて肉を自分が食べた。
その報いを受けて自分の肉でもってその償いをしている
のだと。
又、一人の鬼あり、目連に問うて曰く。
我常に身体に糞あり。常に身体にうんこがくっついてる
というんですね。
そのうんこを取っても取っても取りきれない、付いてる
んだというんです。
骨になっても肉が戻り、骨になっても肉が戻るというの
と一緒で取っても取ってもうんこがくっついてるという。
なんの因縁でこの罪を受けるのでしょうか。
目連、語りて曰く。
汝、前世のとき婆羅門となり、婆羅門教という宗教ですね。
その家に生まれていて、心がよこしまで善因善果、悪因悪
果を信じない。
因果応報を信じないということですね。
そして常に托鉢に来ることを拒んだ。来ることを喜ばない
んですね。
そしてもう来させないようにするために、昔は托鉢にすぐ
に食べれるようにご飯を入れたんですね、すぐに食べれる
ように。
ご飯をお椀へ盛るのですが、その下にうんこを入れといた
というんです。
うんこの上へご飯を盛って布施したというんです。
そんなことをしたらもう来ませんわね。
乞食の修行者は、そのご飯を持ち帰り、見てみるとうんこ
がいっぱい入っていた。
この罪で、身体にうんこがくっついて取れないのだと。
又、一人の鬼が問う。
我熱鉄の輪が両脇の下にありて身体を焼く。
熱い鉄の輪が両脇の下にあって、身体が焼け爛れるという
んですね。
目連答えて曰く。
汝、前世のときに僧侶であった、そして大勢で餅をついた
んですが、その餅をごまかして両脇に挟んで持ち帰った。
自分だけいいことをしようとしたんですね。その罪で報い
を受けてるというんです。
それだけのことで熱い鉄の輪を両脇に挟む報いを受けるん
ですね。
又一鬼ありて目連に問う。
我常に両肩に眼があり、胸に口と鼻があり、そして頭が無
い。なんの因縁により然るや。
目連答えて曰く。
汝前世のとき、常に先駆けをとりて弟子たちに不正なこと
をさせた。
若し、罪人を殺すときは楽しんで人を殺した。
髪の毛に縄をつけて道を引きずって喜んだ。
その罪によって報いを受けるんだと。
又一鬼ありて目連に問うて曰く。
我常に熱鉄の針ありて我が身に入出の苦を受ける。
焼けた鉄の針が身体へ入ってきて、出たと思うとまた入っ
てくるという報いを受けるというんですね。
目連答えて曰く。
汝前世のとき、整馬師、今でいうと競馬の馬のしつけをす
るような人ですね。
そして馬がいうことを聞かないときは、馬の足に鉄の針を
突っ込んだというんです。
また牛がなかなか動かないときにも鉄の針を突っ込んだ。
この故に罪を受けること各の如し。
こういうお経があるんですが、現在のような事件を見ます
と、どんな報いを受けるのだろうと思いますね。
又、一鬼ありて目連に問う。
我常に旋風ありて受ける。兎に角風を受けるわけですね。
そして風を受けると駒のようにくるくると回されるので真
っ直ぐに歩けない。
自分の行きたいと思う所へ行けない。
これは何の因縁によりて報いを受けるや。
目連答えて曰く。
汝、前世のとき占い師になり、あるときは本当のことを言
い。あるときは嘘を言い。
兎に角本当のことを言わないから結局人を助けないという
ことですね。
自分の利益のためにやってるわけです。
こういうお経は他にもありますね、占い師になって人を苦
しめる。
その報いを受けてどうのというお経が他にもありましたね。
これは良いほうの例ですが、目連、一人の天女の蓮華の上
に座するを見る。
蓮の花の上に座ってる天人を見たんですね。天女ですから
女の天人ですね。
その蓮は一里も二里もあるような非常に大きい。
そしてその天女がこうしたい、ああしたいと思うと、皆そ
の蓮の中へ出てくる。
自分の家すら出て来る。宮殿へ住みたいと思うとすうっと
出て来るんですね。
目連は分かってるんですが、あなたはなんの報いを受けて
そのような境遇になったのですかと問う。
今度は目連が問うんですね。
天女答えて曰く。
カショウ仏ありて、カショウ仏というのはお釈迦様の前の
仏様なんです。
仏教はお釈迦さんだけが仏じゃなくて次から次から仏さん
が出てきて衆生済度をする。
だからお釈迦様の前に、二劫ほど前にこの世へ出ていた仏
様なんです。その時代のことですね。
その頃に生きていた人だったんですね、この天人は。
そのカショウ仏が亡くなって後に弟子たちが、その仏様の
お骨を七つの宝で作った塔を建ててその中に納めた。
そのときに私は女性として生まれていた。
その仏様の塔の中の仏像を礼拝し、自分の頭に飾っていた
花を仏様の像に供養した。
その因縁によって、めったにないような報いを受けたんで
す。
「自業自得」
これはまた別のお経にあるんですが。
「各の如く我聞く、一時仏王舎城行く。時に尊者目連、尊
者ろくしゃな比丘と共に乞食す」
目連と、ろくしゃなという弟子と二人連れだって町へ托鉢
に出たんですね。
そして二人で道を歩いていたところが、目連がにこっと笑
った。
それをろくしゃなという弟子が見て、なんで笑ってるのだ
ろうと思って、今どういう理由で笑ったんですかと聞くん
ですね。
目連は、今はそれを答えるときじゃないといって答えなか
ったんです。
そして王舎城へ帰ってきてお釈迦様の前へ来た。
そして、おまえはさっきなんで笑うのかと聞いたが、その
答えは今する。
道の途中で、一衆生を見たり。
衆生とは、ここでは霊魂のことです。
或る霊魂が飛んでくるのを見たんですね。
その霊は、三階建て四階建てのような大きな身体をしてる
というのです。
その大きな霊は、泣きながら苦しんで虚空を飛んで行った。
そのとき、私はこう思った。
各の如き衆生は、格の如き身を受け各の如き行いをして、
各の如きの業を受け飛んで行ったというのです。
これはここでは話を省いてあるのですが、こういうことが
あってこういうことがあってとこんなことをしてこんなこ
とになってと、こんなことをしたことがあるから、こんな
めに遇って報いを受けて自業自得でこんなことになって飛
んで行ったんだと、こう思ったというのです。
目連が思うということは、我々が思うのと違って想像じゃ
ないんですよ、その過去世の姿を観てるんです。
それを宿命通というんですね。
さきほどのお経にもありましたけど、目連が鬼の質問に答
作品名:和尚さんの法話 『善因善果 悪因悪果』 作家名:みわ