和尚さんの法話 『懺悔文』
たとえば妬みだとか、自分が出来ないことを人がしてい
る、善い気になってしやがってと。
これは具合が悪いですね。
悪人を罵っても悪いのですが、業の差からいいましたら、
善人を罵ったほうが業が深くなる。
罪の無い人を罵ったんですからね。
このお反しの前世のお釈迦さんもそうですね、罪も何も
無い人ですよ、道で会っただけで、これもつまらんお供
養でも受けてたらそれみよと言いたかったんでしょうけ
ど、けっこうなお供養を受けてたものだから、これは私
が受けるべきはずのお供養を横取りしたんだと。
相手は何も罪は無いわけです。特に仏教教団の坊さんで
すからね。
在家の人に対する罪よりも、坊さんに対する罪のほうが
罪が重くなってくるんですね。
そして普通の坊さんよりも、偉い坊さん。
例えば阿羅漢とかね。
普通の坊さんを罵るよりも阿羅漢を罵ったらえらいこと
ですよ。
普通の坊さんを殺しても五逆罪にならないけれども、阿
羅漢を殺したら五逆罪になる。
だから阿羅漢に出迎えられて、王の位を失くすというの
ですから。
ですから悪口も相手を見て言わないとね。
相手が悪いとよく言いますが、相手が悪かったらとんで
もない。えらいことになりますね。
お釈迦さんが凡夫の時代から仏に成るのに、三祇百劫と
いう長い時間がかかるというのですから、その間にその
業が眠ってたというわけですね。
ですから業というのは、何時か必ず芽が吹く。
善にかかわらず悪にかかわらず必ず芽が吹く。
この世でやってこの世で出てくればいちばん分かり易い
のですが、そうじゃない。
なんで私がこんな目に遇うんだと言いたくなってくるけ
ど、それは過去世に於いて罪をつくってあるからですね。
前世というのは何をしてるか分かりませんよね。
然しお釈迦さんでも罪を犯してるんですからね、我々も
犯していますよ。
この世で報いを受けなければそれでいいかというと、そ
うじゃない次の世で受けるか分からないし、その次の世
で受けるか分からない。
何時受けるか分からないけど何時か必ず出てくる。
「懺悔滅罪」
そこで懺悔というのがあって、懺悔滅罪で懺悔すれば罪
を消して頂ける。
お通夜に和尚さんのお話しがあると思いますが、遠方の
人もあるわけですね。
そのとき電報で、謹んでご冥福をお祈り致しますといい
ますね。
これはひとつの形式になっていますね。
今は冥福の意味も知らない人があるようですが、香典を
貰った人も分からないというようなことになっていると
思うのですが、これは冥土の幸福という意味ですね。
冥土というのは、あの世のことですね。死後の世界のこ
とを冥土。
この世は、娑婆。
冥土の幸福をお祈り致します。
つまり亡くなってあの世へ逝った人の幸せをお祈り致し
ますということは、いい所へ逝ってもらうように、お祈
り致しますということですね。
枕経、お通夜、お葬式、中陰から百箇日、月参りや年忌
の法要と仏事ごとをしますね。
それは全て、冥福を祈る実践行です。
あの世の幸せをお施主さんと一緒に祈ってるんですね。
そういう冥福という言葉、或いはお勤めごとなどの儀式
は全てあの世の幸せを祈ってるのだから、あの世があっ
ての話しです。
あの世が無かったら、こういうことはたんなる先祖の仕
来たりということになってきます。
輪廻転生ということが建て前にならなければ、先ほどの
話しのお釈迦様がお前等は馬の餌でたくさんだと言った
罪で、馬の餌を食べることになった。
これは生まれ変わってくるということが前提でなかった
らこの話は成り立ちませんね。
因果の話しにしろ何にしろあの世が有るということの建
て前なんですよ。
和尚さんの寺の近くの人ですが、お婆さんが居られて、
知り合いの男の子を連れて来たそうです。
その男の子の就職のことだったかどんな相談ごとか忘れ
たそうですが、相談ごとを聞いてやって欲しいとのこと。
そしてその男の子と話をしていると、その男の子の側へ
霊魂が出てきた。
二人出てきて、一人は男性で一人は女性の霊。
霊魂は、死んだ時のその年格好で出てくる。
あの世では歳をとりませんから、五十で死んで百年たっ
たら百五十になるかというと、そうじゃない。
五十で死んだら百年たとうが千年たとうが、五十のまま
なんですね。
だからその霊魂の姿を見ていたら、この人は幾つくらい
で死んだ人だなと見当が付く。
正格もこうで、顔かたちもこうと違いますか。
女の人は乳飲み子を抱いてる。
その乳飲み子を抱いた女の人がその男の子を守ってるよ
うに感じるんですね。
男の人は、その男の子のお父さんだろうということです
が、その女の人は分からない。
帰ったら男の子のお母さんに、こういう乳飲み子を抱い
た女の人を知らないか聞いてごらんと。
それから45日するとそのお婆さんが訪ねてきて、乳飲
み子のお母さん、分かりましたと。
男の霊魂がまだ生きていた頃の話しで、その人は九州か
ら京都へ出稼ぎに来ていた人だった。
そして縁あって京都で結婚したんですね。
そしてすぐに子供が生まれた。
ところがその奥さんがすぐに死んでしまったんです。
すると男一人で身寄りがいない。
しかも毎日仕事をしなければいけない。
乳飲み子をかかえて大変困った。
なんとか子の子供の世話をしてくれる人はいないかと探
して、やっと見つけてやれやれと思って安心すると、三
日たったら子供を返しにくるんです。
困るからまた次の人を探す。
それは気の毒だというのでお世話しましょうと、それで
やれやれと思っていると、また四五日たつと返しにくる。
三人も四人も皆同じような断り方なんです。始めはいつ
までも世話をしてくれるというのでやれやれと思うと返
しにくる。
おかしいなと思って一番後の人に、始めは気をよく引き
受けてくれて、それで私も安心したのにどうして三日や
四日で断るのですかと聞いたんですね。
実は貴女だけではない、前の人もその前の人も四五日た
ったら断る。なにか理由があるのですかと訪ねた。
それだったら言いますけれども、この子を預かったら奥
さんが出てきますのや。
それが毎晩出てくるんですよ。
一晩なら夢でも見たんだろうと済んでしまうのでしょう
けど、三日預かったら三日、四日預かったら四日、毎晩
奥さんが出てくるんですよ。
どんなふうに出てくるのかといいますと、丁重に手をつ
いてこの子を宜しく頼むといって頼むんです。
毎晩頼みに出てくるので、それが気持ち悪くなってきて、
誰も預かってくれなくなる。
つまりこの子を預かると幽霊が出るという噂になるんで
すね。
それをみていた近所の娘さんが、あんなことをしてたら
可哀相にあの子は死んでしまう。
私があの子のお母さんになって育ててあげましょう。
といって、その娘さんが後の奥さんになった。
ところがその乳飲み子は寿命が無くて死んだんですね。
殺したわけではないんです、助けようとして来たんだけ
ど寿命が無かったんでしょうね、死んだ。
それから後に出来たのがその男の子。
それからどれくらいかたってその男の子のお父さんも死
んだ。
その男の子の側に出てきたのは、そのお父さんの前の奥
さんだったわけです。
作品名:和尚さんの法話 『懺悔文』 作家名:みわ