和尚さんの法話 『懺悔文』
徳が高い仏様ですからね。
他の宗教を信じている人も、仏教へ仏教へとなっていく。
それが他の宗教家にしたら妬ましくて歯がゆくてしょう
がない。信者が減ると生活にかかわってくるから。
信者によって支えられていますから。
だから信者が減ってくると非常に困る。
というので他の宗教家たちはいろいろ方法をたてて迫害
するわけです。
目連が殺されたのもそうですね。
以前のお話しにあったと思いますが、蓮華色如という女
性を或る宗教家たちが上手く利用して仏教教団を誘惑し
て、そして仏教教団はこんな淫らな教団だという噂をた
てて人気を落とそうという方法もたてたし、いろんなあ
の手この手を使って迫害したわけです。
お釈迦様が他所へ行ったときに、そこの宗教家連中が、
近いうちに仏教教団が来る。
あれが来ると信者をとられるから困る。
なんとかしてこの国へ入らないようにといろいろ考えて、
その国の国王が或る宗教を信じているわけです。
そこで王様はお前に帰依してるんだから、お前の言うこ
とならなんでも聞いてくれるだろう。
だから釈迦の仏教教団が入ってきても、説法は聞いても
供養はしてはならんという御触れを出してもらえと。
供養してもらえなかったら生活が出来ませんから。
つまり兵糧攻めにして追い出そうというわけです。
そういう手立てをたてて待ち構えているところへお釈迦
様の一行が入っていくわけです。
すると説教は聞いてくれるけれども誰もお供養をしてく
れない。
国の御触れが出てますからね、背いたら直ちに死刑にな
る。
それで困って、お給仕役を務めている阿難が駆けずりま
わって誰かお供養をくれないかと廻るが誰もくれない。
そこへたまたま国から国へと行商をしている人がその国
へ入ってきてるんです。
そこへ行って阿難が貴方はこの国の国民ではないから、
他の人はこの国の人だから国の法令に背いたらいかんと
いうので聞いてくれないが、貴方は他国の人だから法令
に背いても叱られることはないから、我々のために施主
になって下さい、お供養して下さいと頼んだ。
するとその行商人が、ご覧のとおり私は行商をしていま
す。
使用人も何人か連れてるわけです。
人間が食べる食料は次はこの国へ行くからこれだけと、
計画をたてて補給をしているわけです。
だから食料の量が決まってるから、それを供養してしま
うと我々が死んでしまう。
然しながら馬をたくさん連れてるんですね、荷物を積む
ために。
その馬の餌でよければこれはいくらでも即座に補給が出
来ますから。麦ですね。
これは「馬料の麦」というお経の話しです。
この麦だったらお供養できますが。
ということになったが、これはえらいことになったな、
仏様に馬の餌を食べて頂くとは勿体ない。
然しこれしかないということになればと。
ちょっと世尊に相談をしてくるからちょっと待ってくれ
と。
お釈迦様のところへ如何でございましょうかと。
ああそれでよいと。
そのときにお弟子さんを何人連れてたのか分かりません
が、その人数だけのくじを作って、私と一緒に馬の餌を
食べながらこの国を教化することに賛成する者はこのく
じを引きなさいと言って、阿難に持って引かせて廻った。
するとくじが二本残った。
二本残ったということは誰か二人引いてない。
くじを引かなかったのは誰だと聞くと、舎利弗と目連が
引いてなかった。
舎利弗にお前は何故引かなかったのかと聞く。
実は私は先ほどから猛烈な下痢を起こしてお腹を壊して
ます。
この麦を頂いたら命にかかわります。
私はおかげさまでお釈迦様のお導きによって阿羅漢にさ
せて頂いて、死ぬの生きるのというのは怖れるようなこ
とでは御座いませんが、然しながらまだ暫くはこの世に
留まって教化しなければならない仕事が残ってます。
だからここで死ぬわけにはいきませんので、だからご辞
退させて頂きます。
それをお釈迦様は嘘を言ってないというのは分かってま
すから、それはもっともだと。
では目連はどうなのかと聞いた。
教団は昔の戦友と同じで、一人が困ったときはもう一人
が助けるというように二人が組になっているんですね。
舎利弗と目連はいつも組み合わせになっている。
この二人は何時生まれてきても何時生まれてきても友達
だそうです。
中国で弘法大師と恵果阿闍梨とう人が会いますが、弘法
大師が法を求めて中国へ行きますが、あの時代は中国が
仏教の先進国でしたから、日本ではどうしても真言密教
というのは分かり難い。
先進国である中国へ行って勉強しないといけないという
ので弘法大師が中国へ行った。
そこで真言の法を説いてる僧に出会ったときに、おまえ
は来るのが遅かったな、私はもうじき死ぬんだと、早く
来ないかと待ち兼ねていた。
お前と私は何時生まれても何時生まれても一緒に生まれ
てきた。
そして互いに師となり、弟子となりしてこの密教を広め
て衆生済度をしてるんだと。
今生は、私が師匠で貴方が弟子だけど、前世では貴方が
師匠で私が弟子だった。
来世はまた貴方が師匠で私が弟子になる。
交代で生まれてきては師匠となり弟子となり。
この舎利弗と目連も何時生まれても友達なんですね。
それで目連が、舎利弗と友達ですから舎利弗が養生をし
なければいけないとなりますと私は付いていてやりたい。
それも最もだな。
ということでその麦を食べなかったんですね。
それでお釈迦様は不味そうな顔もなさらずに馬の餌をお
食べになった。
阿難が、世尊はどうして仏様という貴方が、馬しか食べ
ないという麦をおあがりになるのですかと訊ねたら、過
去の因を知らんと欲せば現在の果を見よ。それで前世の
話しをするわけです。
過去にお釈迦様がまだ凡夫の時に、一人の仏様がこの世
へお出ましになっていて、やはり他の宗教家が信者が減
るので煙たくて煙たくてしようがない。
或る時に、仏教教団のお弟子さんたちが托鉢から帰って
くるところに出会った。
そこで、ここでいっぺんと思って、お前たちはろくなお
供養を受けてこなかっただろう、いっぺんその鉄鉢を見
せてみろ。
すると美味しそうなお供養が盛られていたんですね。
これは私等がこれから行って受けるべき供養を、お前た
ちが先に行って横取りしてきた。
これは私等が受けるべき供養なんだと。
お前等は馬の餌でたくさんだ。こんな立派な供養を受け
る資格がない。馬の餌でたくさんだ。
そのとき他にもお弟子さんが付いていて、そのなかの二
人のお弟子さんが、それはあまりなお言葉じゃございま
せんか、いくら他宗の人だといっても、師匠さんがそん
なことは言ったらいかんといってたしなめた。
そのときの宗教家というのは私なんだと。
だからお前等は馬の餌でたくさんだと言ったその報いが、
今馬の餌を食べる結果になった。
そのときに、それはあまりなといって止めた二人の弟子
が、舎利弗と目連なんだと。
その報いによって馬の餌を食べずに済んだんだと。
そういうお経があるわけですが、これは口の業ですね。
だから気をつけないといけませんね。
普通、悪い人に悪口を言うというのは普通の凡夫ですね。
ところが善人を罵ることがありますね。
作品名:和尚さんの法話 『懺悔文』 作家名:みわ