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和尚さんの法話 『懺悔文』

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その国王も、自分の家来の息子が阿羅漢に成ったという
ので時々お供養をしに行ったり、説法を聞きに行ったり
した。
そういうのが習慣的になっていたんですね。

ところが何処の世界にも心掛けの悪のが居って、その国
王の家来の一人がそれが気に入らない、腹が立ってしよ
うがない。
そこで、王様、貴方はそうしてお出かけになりますけれ
ども、あの賓頭盧というのは奥ででんと座って迎えにも
出ない。
けしからんじゃありませんか。
貴方の家来の息子じゃありませんか。
と焚き付けたんですね。

それでその王様はあまり賢くなかったのか、なるほどそ
うだな。
今度行って出てこなければ斬殺だ。
という殺意を持って行った。
ところが賓頭盧尊者は阿羅漢ですから、超能力があるか
ら、今日は王は殺意を持ってくる。
ということで、出迎えたんです。
それで王様は、おまえは何時も迎えに出て来ないのに、
今日は何故迎えに出たのかと。
それは王のために迎えに出ましたと。
それなら今まで何故、迎えに出なかったのか。
それも王のためです。
迎えに出るのも王のため、迎えに出ないのも王のため。
これはどういう訳なんだ。
それは、貴方は世間の仕来たりからいいましたら、なる
ほど貴方は一国の王様です。
私は家来の息子です。
ですから世間の建て前からいいましたら私は貴方より身
分が低い。

然しながら仏法の建て前からいいましたら、私は阿羅漢
ですが貴方は凡夫です。
私は今まで出迎えに出なかったのは、凡夫である貴方が、
阿羅漢の私に出迎えに出て貰った。
こうなるともの凄く徳が減ります。
その徳を減らしてはいかんと思うので何時もは出迎えに
出なかったのです。
では今日はどうして出迎えに出てきたのか。
貴方は殺意を持って来られた。
私が出迎えに出なかったら貴方は私を殺そうと思ってい
たでしょう。
私は阿羅漢ですから、死ぬの生きるのと、そういうこと
は何も頓着はありません。
怖いことも無ければ、惜しいことも無い。
只、私が迎えに出なくて、貴方が私を殺したら貴方は五
逆罪の罪を作ります。

五逆罪というのは、父を殺す。
母を殺す。
阿羅漢を殺す。
仏様を傷付ける。
仏様はどうしても殺すことは出来ないが、場合によって
は怪我をさせることがある。
仏身出血といって血を出す。
仏教団を破壊する。
これを五逆罪といいます。

今はどうですか、テレビのニュースを見ていると日々親
を殺すというようなことですね。これは五逆罪になるわ
けです。
その五逆罪を作る。
五逆罪というのは兎に角永遠に救われないというような
罪です。
阿弥陀経の十八願の中にも、五逆と正法を誹謗する者は
除く。そこまで説いてあるんです。
その罪によって、貴方は永久に地獄へ落ちて救われん。
そういうことになるんですと。
そういうことにさせてはいかんと思うて、まだ王の位を
失くすほうがましだと。
貴方は私に迎えられたので徳が減って王の位を失くしま
す。
王の位を失くすのがいいか、無間地獄へ落ちるのがいい
かと考えたら、無間地獄へ落ちるよりむしろ王の位を失
くすほうがいいと、私はそう考えて今日は迎えに出まし
た。
王の位は何時頃失くしますか。
それは一週間ほど後に失くす。
それからすぐに隣国と戦争が起こって、敗北して捕らわ
れてしまった。王の位を失くしたんですね。
こんなお話しも含まれてますのでお話ししましたが、私
は阿羅漢だから死ぬのは怖くないというのです。
執着も何も無いと。
阿羅漢になりましたら煩悩が無いですからね。

ところが、話を戻しますが、貪・瞋・痴。
これも煩悩であり業でありますが、これを断ち切らない
と罪を作る。
これを断ち切ったら、まだ阿羅漢には成れないけれども、
罪を作らなくなる。
煩悩だけはあるけれども罪を作らなくなる。
私たちはこの貪・瞋・痴というのを無始以来持ち続けて
いるというのです。
始めの無い始めから貪・瞋・痴を持ち続けている、だか
ら罪を積んで輪廻転生してきているわけです。

「従身語意之所生」
身と語というのは口ですね。そして意は心。に従って。
これも同じ業ですが、身口意の三業ですね。
罪を身体で作るか、口で作るか、心で作るか。
この罪の裏が善ですね。
業というのは、善悪共に業です。
業というのは、行いという意味。
もうひとつ無記といって善でもない悪でもない。

例えば道を歩いているという行動、これは善でも悪でも
ない。
只、右を歩かなければいけないという所を左を歩く。
これは業ですね。決めたことを守らないから。
そうじゃなく決めた所をただ歩いているのだったらそれ
は善でもなし悪でもない。
ご飯を食べるというのも善でも悪でもない。
これを無記といいます。
この無記は問題ないのですが、この善と悪は報いてくる。
善因善我悪因悪果ですね。
これをまず信じることが、愚痴を絶つひとつの手立てで
すね。

因果の道理。
自分は今こうしたいけれども、こうしたら何時かまたそ
の裏が返ってくる。
これを信じていたら、こうしようと思ったってそこで止
まってしまう。
身体の業というのは誰でも認めますね。
人を殺すというのは身体を使ってする。
それから偸盗、これも身体を使わないと出来ません。
それから邪淫というのがありますが、現在の不倫ですね。
これは身体の業ですね。
口の業。悪口ですね。
それから両舌。妄語(嘘)。綺語。綺語というのは自分
の利益になることをそろばんをはじいて、お上手しにい
くことですね。
その人の感情を害したらいかん、人の心を傷つけたらい
かんというので優しい気持ちで接しているならそれはい
いのです。
ところがその奥に、こうしておいたらその見返りが戻っ
てくるという計算をたててお上手をするというのは罪に
なるのです。これを綺語。



「貧者の一灯」

両舌というのは、AとBというのがあって、こっちへいけ
ばこっちのことを言い、あっちへ行けばそちらのことを
言う、そして自分が利益を得る。
これも妄語のようなものですが、これが二枚舌とよくい
いますが両舌。
こういう言葉の業ですね。

その一つの例としてお経にありますが、「貧者の一灯」
というお話しは皆さんもよくご存じと思うのですが、ナ
ンダという女の人ですね。
そのナンダという人が、もう天涯孤独でこの世にこの人
より他に貧乏な人はいないだろうといわれるくらい貧乏
な女性で、天涯孤独で家も無し親も無し兄弟も無い。
そして毎日働きに行くわけですが、五日働くとするとそ
の家に泊めてくれるんです。
それでそれが終わったら、また次の仕事を探して、宿付
きの食事つきの仕事を探す。
ところが何処も雇ってくれないというときがあるわけで
す。
そういうときは仕方がないから軒下とか、寒いというこ
ともないので野宿するとか、そういう貧乏な生活をして
いた人ですね。
その人は、なんで私はこんな貧乏に生まれたんだろう、
よっぽど前世に悪いことをしてきたんだなと反省するん
です。
ちょうどそのときお釈迦様が、祇園精舎から他国へ教化
に行って帰ってくる。
今と違いますから夜になると真っ暗ですね。
そこでお釈迦様が祇園精舎へお帰りになるその道中へ、