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和尚さんの法話 『仏縁に遇う』

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天という言葉を使いますが、心です。心の眼、心の耳。
この五識を消すのに、一阿僧祇劫かかる。
欲界を卒業するのに五識を消さないと色界へ行けない。
欲界を出られない。
だから五識が消えたら欲界を出られる。
それには一阿僧祇劫かかる。
あとは識会と無色界と二つ残ってます。
色界は、意識がある。
無色界にも意識がある。
ところが識会よりも無色界のほうが境地が上なんです。
煩悩が希薄になってきてる。
いうならば覚りが高くなってきてる。

色界を卒業したらもうほとんど意識がかすかになってい
くけど、まだ残ってる。
半分残ってるんですね、それを消すのに半阿僧祇劫かか
る。
残りのかすかな意識を消すのに半阿僧祇劫かかる。
そしてようよう阿羅漢になる。
阿羅漢になると、禅定に入ったらこの意識も消えてしま
う。
意識も全部消してしまったら、滅尽定と、お経の中にち
ゃんと言葉がありますね。
そこまで到達するのに二阿僧祇劫かかる。
そしてこの向こうに、第七識。此の上に第八識。
これだけ残ってる。
第七と第八は一緒に消える。
この二つを消したら如来様です。
それを涅槃といいます。
阿耨多羅三藐三菩提ともいいます。
それに一阿僧祇劫と百劫かかる。
とにかく意識を消すことができたら、二阿僧祇劫の卒
業が終わったことになって、阿羅漢になったというこ
とです。
そういうことをお経のなかに説いてあるのです。
それを唯識教学という学問がるのです。
それを我々がそんな気の遠くなるような長い修行をと、
諦めてしまったらいかんと、なんとかして救ってやら
ねばいかんというので、阿弥陀様が、兎に角極楽浄土
へ来なさい、あとは私が引き受けてやろう。
ただし私を慕って私の名を称えてきなさいとおっしゃ
っているのです。それがお念仏ですね。
南無阿弥陀仏と称えるだけで救って下さるのです。
これが他力浄土門ですね。
今の話しは別で、自分の力で以って勉強して先輩の話
しを聞いて修行をしていったときにこれだけの時間が
かかるということです。
阿弥陀様の話しは別にして、この時間を経過しないと、
仏様にも成れないし阿羅漢にも成れないんだと。
これは真っすぐに進んだ場合でこの時間ですから、あ
っちの宗教に入り、またこっちの宗教へ入りと、こん
なことをしていたら三祇百劫どころではないですね。

だから折角のご縁があったのだから、他の宗教に誘惑
されずに真っすぐ仏道を進んでいきたいですね。
この世だけではないんですから。むしろあの世のほう
が長いんですから。
弘法大師さんは、今度この世へ生まれてくるのは、五
十六億七千万年後だとおっしゃっているのですから。
それまでずうっとあの世に居るわけです。
弥勒菩薩と一緒にこの世へ出てきて、また一緒に修行
をして、弥勒菩薩のご教化を助け、また自分も弥勒菩
薩に導かれる。
兎に角、この世で全てが終わるというのじゃないので
すから。
今晩寝て明日があるように、永眠といいますが永遠に
眠ってるのと違います。

この世で見たらもう眠ったと思ってるかもしれないです
が、あの世へ行ったら眼が開くんですから。
今晩眠って明日眼が開くのと一緒なんです。
するとあの世の生活が始まるのです。
毎日毎日あくせくあくせく、こうしとかないといかん、
ああしとかないといかんといろんな準備がありますし、
生活するにはまずはお金も必要になる。
そのお金のためにいろいろすることがある。
それは生きていくためである。
皆そうですよね、生きていかんならんから家族もあり、
そのための生活費のことを考えますね。それはこの世の
未来のため。
明日はどうなるか分からないから明日明後日一年先、十
年先が分からんからそのつもりをしとかないといかんか
らあくせくするわけです。
それならそれの延長をして、あの世の未来、そこまで考
えておかないと、後は野となれ山と成れでは、あの世は
通用しないのです。
あの世へ行ったらまたあの世の生活が始まるのです。
死後の後生の将来をこの世で用意をしておかないと、あ
の世へ行ったとき後悔することになる。
この世も同じですね、毎日毎日遊んで暮らしていると十
年も二十年ももちませんわね。
一遍しか生まれてこないんだから楽しく遊んで暮らそう
といって遊んでいたら、早く死ねばそれでいいけど長く
生きたら生活に困りますね。
以前、和尚さんの寺に乞食がよく来たそうです。
そのうち親しくなって話を聞いていると、その乞食は、
私は今はこうなってしまったけど、結構な家の息子でご
ざいましたと。ところが今は乞食になってしまった。
だから何が起こってくるかわかりませんね。
それは仏教からいうと、前世の因縁ということになりま
す。前世の不徳ですね。
そういってしまうとなんですが、きっと気楽に遊んで暮
らしてきたんだと思いますね。
だから死後の世界があるんだから、明日があるように後
生というものがあるんだから、それはあの世へ行ってか
らでは遅いので、明日のための十年後、二十年後のため
に今日、そのために働いて後生のために毎日毎日用意し
ておかないとあの世へ行ったら困る。そこのところをま
ず心得て頂きたいですね。
あの世へ行って一番結構なのは、仏縁を深めてたという
ことです。
あの世を支配しているのは仏教ですから。
まずは閻魔さんのところへ行きますからね。
そういうことで仏教と縁を結んでおいたら、あの世へ行
ったら非常に有り難い。
例えば、或る宗教の人があって、こっちの人は仏教の人
で閻魔さんのところへ行ったら、仏縁のある人はすっと
通してくれる。
だから折角の仏縁を外さないようにお互いに努力したい
と思うのです。

無量寿経のお経の一説ですが、
「若し人善根無ければこの教を聞くことを得ず」
善根とは功徳のことですね。
ですから我々は無量寿経に遇ってるわけです。
浄土経の人はお経を読まなくても既にこのお経に遇って
るわけです。
過去世に於いて仏縁に遇って戒律を守ってきたというの
です。そういう人は正法を聞くことを得る。
必ず正しい仏法に遇うことが出来る。
そして更に世尊を見奉る。
つまり仏様と同じように生まれ合わせてくる。
我々は、既にお釈迦様がお亡くなりになって二千年以上、
末法の世に生まれてきたということは、それだけ縁が遠
いんですよね。
「嘗て世尊を見奉りし者」この世では遇えなかったけど、
仏様は無数にお生まれになってきてるのだから、そのど
れかの仏様にお逢いできてるかもわからない。
若しお会いできていたら、このお経を読む、或いはお経
を読み聞かされたときに信じるというのです。
それは過去世に仏様に遇っているから。

「嘗て更に世尊を見奉りし者大いに歓喜する」
輪廻していた間の何時かに仏様と一緒に生まれ合わせて
おったならば、お経を聞いて信じる。
このお経に遇ったことを喜ぶ。
それはかつて世尊に遇ってるから。
増上慢とか怠りとか怠けるとか、そんなことばっかりの
生活をしていたら、こういうお経に遇っても馬の耳に念
仏で、けっして有り難いとも思わない。
「宿世(前世)に諸仏を見奉りし者楽しんで格の如き教
えを聞く」仏縁の深さを有り難さを説いてるんですね。