和尚さんの法話 『仏縁に遇う』
また「寿命は甚だ得難し」人身受け難しとありますが、
この世に生まれてくることは難しいんだということです。
「仏世尊に遇うことまた難し」我々は既にそうですね。
人身は得たけれども、仏様に生まれ遇うことは出来なか
った。
「人また信智遇うこと難し」信心の智慧。信心の決定と
いうことはなかなか得難い。
「若し聞かば精進にして」若しこのお経を説明してもら
うという縁に遇ったならば精進して求めよ。
「法を聞きて忘れず見て敬い大いに喜ぶべし。
即ち我善き親友なり」そういう者は私の親友だと。
お釈迦様がおっしゃってる。
そして三界解脱して仏に成っていきましょうと発心する。
そういう気持ちを起こしなさいと。
例えば火が燃え盛ってる。
ところがその向こうにお説教がある。
そしたらその火を潜ってでもそのお経を聞きなさいと。
そういう努力をするなら必ず成就する。
そして輪廻生死を卒業するだろうと。
こういうお言葉が、大無量寿経というと長いお経ですが
その中にそういう言葉が出てきます。
また末法に入って百年たったらお経は無くなってしまう。
仏教を信じる人が無くなってくる。
正法千年、像法千年、末法万年。
今はもう末法へ入ってるわけです。
だから一万二千年で仏教は無くなるというのです。
仏教が無くなったら救いの縁が無くなってしまう。
ところがこの浄土教というお経は、阿弥陀経も含めてこ
の無量寿経、観無量寿経というものは非常に行じ易い。
先ほどのお話しのように三祇百劫かかる。
三界解脱するのに二阿僧祇劫かかる。
ところがもう極楽へ行ったら事実上輪廻しないんだから
三界を出たのと一緒なんです。
だからそれほど行じ易い。
お念仏だけでいいのですから。
だからもう百年この世にとどめようとおっしゃってるの
です。
万年で他の一切のお経は無くなっていって、ところがも
う百年だけ最後にこのお経だけ残しましょうと。
慈悲で以って残してやろうとおっしゃってる。
このお経に従って修行をするならば、必ず極楽往生出来
るんだと。
如来様と一緒に生まれ合わせるということは、これは大
変なことなんだ。若し我々が次の仏様と生まれ合わせよ
うと思えば、五十六億七千万年後でなければ遇えない。
そういうふうに如来様に遇うのは難しい。
今はこうしてお経の本は手に入れることが出来ますから、
だからちっとも有り難みが分かりませんし何時でも買え
ますね、ところが末法万年たったらお経は無くなってし
まいます。
そうするとその後に生まれてくる人は仏教は無いんです
から、無かったら救う目処が無いんですから。
我々はまだ末法といえども、仏様はいらっしゃらない、
阿羅漢様もいらっしゃらないけれどもお経がある。
だからそのお経を正しく信じていくならば救われる。
今は法然上人や弘法大師のような善知識が居ません。
そういう時代ですから自分で勉強するしかない。
有り難いことに私たちは和尚さんのような方がいます
から、お経のお話しを聞きそれを信じれば救われる。
お釈迦様は、このお経を残しておくのだから、このお
経に遇ったらよく信じて行事なさいとおっしゃってい
ます。
お釈迦様がこのお経を説法していますと、阿難が或る
質問をするのです。
そんな話しは何度も聞いているはずの話しなのに質問
をするのです。
するとお釈迦様は、おまえはそんなことも分からんか
とおっしゃる。
すると阿難は、いえ私はもう分かっています。
私は分かっていますが、末法の衆生のために、お聞きし
てお経として残さなければいけませんから、私はあえて
質問をさせて頂きます。
と、こういうやりとりがあるのです。
ですからお経というものは、聞いてる人たちは皆分かっ
てるんです。ですが将来のために、特にこの浄土教とい
うのは末法のためのお経ですから。
この末法という時代は、善知識も居ない阿羅漢も仏様も
居ない、ただお経だけですから。
だから未来の衆生のために残しておかなければいけない
から私はこうして質問をさせて頂いて、お釈迦様に改め
て説いて頂きたい。
こういうところがあるのです。
せっかく仏縁に遇うことが出来たのですから、道を踏み
外すことなく励んで頂きたいと思います。
極楽の様子を説いた場面がありますので少しお話ししま
すと。
極楽へ往生すれば菩薩ですね。
食事をしたいと思うだけで、七宝の鉢に百味の飲食(お
んじき)が自然に目の前に現れる。
こういう鉢に盛った食事と思えばすぐに現れてくる。
ところがそれを食する者はいない。
我々だったらすぐに箸をとって食べますが、見るだけで
誰も食べないというのです。
ただ綺麗な色を観、香りをきいて心の中に食べたと思え
ば自然に満腹する。
身も心も柔らかで、我々だったらもっと食べたいと思う
けど、味に執着する者無し。
食事が終わったと思えばさっと消える。
また食べたいと思えばぱっと現れる。
極楽とはそういう世界なんですね。
極楽はそうですけど、あの世というところの下はだめで
すけど或る程度人間界のレベルかその上、極楽まではい
かないですが、他の部屋へ行こうと思えば座ったままで
すっと行ける。あの世はそういう世界なんです。
ですから皆、この世界へ生まれてくるとき、あんな不自
由な世界へ生まれたくないと思うて生まれてきてるんで
す。
ところがこの世へ来たら、住めば都で、あの世のことを
忘れてしまって帰りたくない、あの世へ行きたくないと
いう。
これはお経にのっとって言っているのですが、今の仏教
学者や坊さんは信じないですね。
了
作品名:和尚さんの法話 『仏縁に遇う』 作家名:みわ