戦場という名の場所
少女はこの時、人が人を蔑み軽蔑と嘲りを繰り返し、そして優越に浸る生き物である事を知った。
侮蔑の眼差しは、少女をどこまでも惨めにさせる。
何が劣っていた訳でもない。ただ、少女という存在を許さない。桜井さんの目はそう告げていた。
桜井さんが小夜ちゃんと違った所は、少女が三間さんと仲良くしている事に憤りを覚えている訳ではなかったという事。
もっと根本的な、少女の生自体を嫌悪する様な、そんな攻撃的なものを感じた。
様々は場所で起こる友達との確執は、この頃が一番酷かった様に思う。
そして起こった事件。
ある日、帰宅しようとした少女の靴が消えていた。
早百合ちゃんと、更に他の友達と共にいた少女がその事を告げれば、皆は一緒に探してくれた。
靴は直ぐに見つかりはしたものの、次の日も、そのまた次の日も、少女の靴は無かった。
これは嫌がらせだ。誰かが故意に少女の靴を隠している。
少女も、早百合ちゃんもその事に気付いていた。
犯人を探そう。そう言ったのは誰だったか。
その頃、少女は早百合ちゃんが仲良くしていた千夏ちゃん、そして加奈ちゃんと共に行動する事が多かった。
千夏ちゃんと加奈ちゃんは、必死に犯人を探してくれた。
少女はその事を嬉しく思った。自分の為にそこまでしてくれる女の子達に深く感謝した。
そして放課後、下駄箱で犯人を見つけようと見張っていた千夏ちゃんと加奈ちゃんは、とうとうその犯人を見つけた。
「今日、どうする? 隠す?」
「……うん」
その会話を聞いた加奈ちゃんと千夏ちゃんは直ぐにそれが少女の靴をどうするかを相談しているのだと悟ったらしかった。
少女は、その場にいなかった。それは加奈ちゃんと千夏ちゃんが気を使ってくれたからだ。
犯人と鉢合わせしたくないだろうと、気遣ってくれた。
そして少女はその後直ぐ、二人から犯人の正体を聞く事になる。
一人は桜井さん。その名を聞いた時、ああ、やっぱりという気持ちもあった。
けれどもう一人の名を聞いた時、少女は酷い衝撃を覚えた。
三間さん。彼女もまた首謀者だったから。
少女は、三間さんと仲良くしていた。二人だけで遊んだ事も何度もあった。
だからこそ、信じられなかった。そして様々な可能性が脳裏に浮かび上がる。
本当は、三間さんは自分の事が嫌いだったのだ。本当は、桜井さんと同じ様に、侮蔑の眼差しを向けていたのだ。
何故気付かなかったのだろう。三間さんは、本当の友達などではなかったのだ。
それは、少女の心を酷く歪曲させた。信じていた筈の友達は、裏で嫌がらせを繰り返してた。
他人が何を考え、何を思っているのかさえ、少女には分からなくなっていく。
友達など、幻想でしかなく、本当は皆、自分の事なんて嫌いなのではないか。
そして少女は、また友達を失った。
丁度その頃だった。
小学校から続く関係。弥生ちゃんと美幸ちゃん、そして優香ちゃんと少女の間にも誤魔化す事の出来ない事態が起こっていた。
弥生ちゃんも美幸ちゃんも、優香ちゃんを嫌っていた。それはまごう事なき事実であったと思う。
そして少女はその事に安堵していた。自分だけが優香ちゃんを嫌いな訳ではないと。
自分には味方がいる。長年学校生活を共にした弥生ちゃんと美幸ちゃんだけは、本当の友達だと思っていた。
けれどそれもまた、ただの幻想に過ぎなかったけれど。
ある時から、少女はあからさまに優香ちゃんに避けられる様になった。
それ自体は珍しい事ではなく、優香ちゃんは事あるごとに少女を無視したり、邪険にしたりしていた。
時には移動教室の時、時には昼の長い休み時間。
少女はよく一人になった。優香ちゃんが、弥生ちゃんと美幸ちゃんを連れてどこかへ行ってしまうからだ。
当初、少女はその事実を上手く飲み込めないでいた。
弥生ちゃんと美幸ちゃんの本心が分からなかったのだ。
二人は、優香ちゃんに逆らう事が出来ずに付き従っているのだろうか。
それとも、本人達の意思で少女を仲間はずれにしているのだろうか。
ある昼休みの折り、少女はその疑問の答えを知る事になった。
昼休みの次の時間、それは体育館での体育授業だった。
昼食を早めに済ますと、皆直ぐに体育館に移動して、思い思いに遊ぶ。
昼休みは色々な道具も解放されていて、バトミントンやバスケ、縄跳びと色々な事が出来るからだ。
少女が気付いた時、既に三人の姿はなかった。ああ、また置いて行かれたのかと、胸に黒い塊を感じながらも、少女は早百合ちゃんと共に体育館へと移動した。
少女には早百合ちゃんという友達がいたけれど、完全に早百合ちゃんのグループに移動した訳ではなかった。
この頃の女子中学生というのは、どこか決まったグループに所属しなければいけないという、暗黙のルールが存在していた。
そして所属するグループは一つでなければいけない。
誰が決めたかも分からないそのルールは、女生徒の間に存在する揺るがない掟でもあった。
だからこそ少女は悩んでいた。このまま早百合ちゃんたちのグループに移動するか、それとも優香ちゃん達と共にいるか。
今思えば、別段悩む必要もなかったのだ。優香ちゃんからは強い拒絶を感じていたし、早百合ちゃん達は、少女を拒む様子はなかったのだから。
それでも少女は何故優香ちゃん達との関係を解消出来なかったのか。
それは、優香ちゃんとの、小学校から続く戦いの舞台から、尻尾を巻いて逃げる事への踏ん切りが付かなかった為だ。
優香ちゃんとの日々は、ずっと戦いの日々だった。
余りに不毛な、何が戦いの勝利になるのかも分からない戦い。
ただ、両足を踏ん張って対峙し続けなければいけないのだという意地。
ただその為だけに少女は優香ちゃん達と離れずにいた。
けれどその意地は、この瞬間、何とも容易に崩れ去った。
向かった体育館、その端に位置する体育倉庫の中に、優香ちゃん達はいた。
少女はその様子を早百合ちゃん達とバトミントンをする中で見つけた。
そしてふっと足元から何かが崩れて落ちていくのを感じた。
何故、わざわざ体育倉庫に三人はいるのか。その理由に思いあたった。
あれは、少女を完全に拒絶しているのだ。少女が体育館へやって来ても直ぐに見つからない様に、わざと隠れているのだ。
もしかしたら、本当は違う理由だったのかもしれない。
けれどこの時の少女には、それがまごう事無き真実に思えて、そして目の前が真っ暗になる様な衝撃に襲われたのだ。
それは絶望だったのか、諦念だったのか。
ずっと張りつめていた緊張の糸が、その刹那、ふっと力を失くし、ふつりと途切れてしまった様な、そんな脱力を覚えた。
弥生ちゃんと美幸ちゃん、二人は、優香ちゃんに付き従っている訳ではない。
二人は自分達の意思で、少女から距離を取っていたのだ。
三人の姿を見詰めながら、少女はそう悟っていた。
そして少女は決意する。もう、優香ちゃん達と共に進む事はしない。
あそこには戻らない。もう、二度と。
小学校五年生の時から続いていた優香ちゃん達との確執は、とうとうこの日、幕を閉じた。