戦場という名の場所
弥生ちゃん、美幸ちゃんもまた、優香ちゃんの性格には耐えがたいものを感じていた様だった。
皆は一様に安堵を感じていたし、これでやっと、一つの脅威から解放されると思っていた。
三人が三人とも同じ感情を持ち、共犯者的に歓喜と安堵を覚えていた。
冬のある日、もう直ぐ優香ちゃんとの日々も終わると思っていた卒業間近の事だった。
少女は再び絶望の淵へと追いやられた。
「私、私立に行くの止めたの」
そう言って優香ちゃんは心底嬉しそうに笑みを浮かべていた。
その時の、少女の戦慄きは全身を壁に叩きつけられた様な衝撃となって全てを脅かした。
酷い耳鳴りがして、意識が遠くの方へと離れていく感覚。
信じがたい真実に打ちのめされて、悉くに打ち砕かれる。
やはり終わりではなかった。
そんな諦観と予期せぬ予感がぶつかり合い、少女の心は真っ暗な穴の中へ真っ逆さまに落ちていく。
数日前、少女は優香ちゃんの家へ赴いていた。そこで見た私立中学校の制服。あれは、返品したのだろうか。
そんな事をぼんやりと思いながらも、そうなんだ、と引き攣る顔で笑みを浮かべるのが限界だった。
まだ終わらない。少女と優香ちゃんの歪な関係は少なくともあと三年は続く事になる。
少女の通う小学校は、私立に通う生徒以外の全ての生徒が同じ中学校へ進学する仕組みになっている。
どう足掻いても、優香ちゃんと離れる事は出来ないのだ。
胸の奥が、また黒く染まっていく。言い様のない苛立ち、絶望、精神が砕け落ちていきそうな虚脱。
その翌日の事だった。少女は久しぶりに弥生ちゃんと二人で休校の小学校へ遊びに来ていた。
気持ちの良い冬晴れの日だった。空気が温かくて、寒さを感じない柔らかな気候の中、少女と優香ちゃんは偶然にも美幸ちゃんと出会った。
少女達は三人、学校のジャングルジムに登りながら他愛のない会話を繰り返す。
少女は迷った。優香ちゃんの事を言うべきか。勝手に誰かへと告げていいものか、少女は躊躇う。
「あ、あれ……優香ちゃんじゃない?」
誰かがそう言った。ギクリと全身が硬直する嫌な音を聞いた気がした。
三人に気付いた優香ちゃんは無言で三人に近づいてくる。何を言うでもなく、それを当然だと言う様に、三人の輪の中へ入ってくる。
少女はぎょっとした。何故こうも何も躊躇う事なく自分の居場所として足を踏み入れる事が出来るのだろう。
もし少女が優香ちゃんの立場なら、きっとこう思う。自分を仲間はずれにして三人で遊んでいたのだと。
そしてそんな中に容易に足を踏み入れる事は出来ないだろうと。
笑みを浮かべたままジャングルジムへ上ってくる優香ちゃんを、皆は笑顔で迎えたがどことなく緊張が漂っていた。
しかし拒む事も出来なくて、三人は優香ちゃんを交えて他愛のない会話を続けた。
「あのね、私、私立行くの止めたんだよ」
優香ちゃんは、少女に告げた時と同じ様にただ無邪気に、嬉しそうに、そう口にした。
刹那、広い空の下、心地よい空間の中、張りつめた沈黙が降りた。
それは本当に一瞬の事だったが、他の二人もまた自分と同じ様な衝撃を覚えている事を少女は悟っていた。
そして偽りの笑みを浮かべる。
そうなんだ、と、嬉しそうに。
少女達の中に、真実なんてあったのだろうか。少女達は、本当に友達と言える関係だったのか。
この時の言い様のない雰囲気は、決して忘れる事など出来なかった。
緩慢な、けれど急激な時間の流れは進み、桜の花びらが青空の中を踊る季節、少女は小学校を卒業した。
長年親しんだ校舎を離れる。けれどこの時も、少女は淡い悲しみを感じる事はなかった。
桜吹雪の中に続いていく先の未来に、希望なんて持てなかった。
ただ、不安と絶望、そして言い様のない虚脱が少女の中をかき乱していた。
そして波乱の中学校生活が幕を開ける。
少女にとってこの短い様で長い三年間は、これからの人生の中にもっとも深く色濃い記憶として刻み込まれる事になる。
初めて足を踏み入れた校舎は、小学校特有の柔らかな雰囲気も、幼さもなく、ただ殺伐とした、冷たい空気を少女に与えた。
広い体育館で行われる入学式。この儀式を終えただけで、人は中学生として迎え入れられる。
何の感慨もなかった。新しい学校、新しいクラス、新しい机。
その何も見ても、心が浮かれる様な疼きもなく、春の未だ冷たい空気の中、少女は何を思うでもなくクラスの、決められた席に座る。
クラスは、相変わらず弥生ちゃんと同じだった。見知った顔も幾つかある。
小学校での面子はそのまま同じで、その他にも隣の小学校から進学した子達もいた。
中学校では、部活動への参加が義務付けられていた。
女の子というものは、仲の良い友人と同じ行動を取ろうとするもので、少女達も例外ではなく皆が同じ部活へと入部する事になる。
軟式のテニス部。少女はスポーツ部に入る事に躊躇いがあった。出来る事なら余り活動のない文科部に入りたかったのだ。
しかしもし、ここで自分だけが別行動を取れば皆の輪から外れてしまうのは必至で、それはどうしても避けたかった。
結局、少女もテニス部への入部を決意するのだが、後程それを強く後悔する事になってしまった。
一学年の間は、得に大きな確執は起こらず、無事とは言えないまでも何事もなく終わる事が出来た。
一学年の終わり、少女は新たな友達と出会った。違う小学校からこの中学に進学した早百合ちゃん。
背が高く、色白な早百合ちゃんは明るくて、とても良い子だった。
人への気遣いも出来るし、人の心をよく理解出来ている子。
いつも笑顔で少女に接してくれる、安息を与えてくれる女の子だった。
小学校からの馴染みの友達、けれどその輪の中にいる事に疲れていた。
早百合ちゃんはいつも笑顔で少女を迎えてくれたし、一緒にいて心地良い子だった。
中学二年の時、クラス替えが行われた。少女は弥生ちゃんと同じクラスだったけれど、早百合ちゃんともまた同じクラスになれて嬉しかった。
部活動は苦痛でしかなくて、常に殺伐とした緊張感が漂っていた。
先輩の後輩苛めもあり、部活へ参加する事も苦痛だった。
けれど教室にいる間は早百合ちゃんが居てくれる。その安堵感は心底に少女を安心させた。
早百合ちゃんは陸上部だった。高跳びと短距離をしていた。
部活動をしている早百合ちゃんを何度か見た事がある。
いつも笑顔で楽しそうに部活をする早百合ちゃん。その姿は酷く自由で、幸せそうにさえ少女の目には映った。
早百合ちゃんの様になりたい。性格も明るくて、誰にでも優しい早百合ちゃん。少し気の強い所もあるけれど、それさえも早百合ちゃんという女の子を魅力的に見せていた。
中学二年生の頃は、部活動で出会った友達も数人いた。
違う小学校からやってきた目の大きな女の子、三間さん。
少女は三間さんとも仲良くしていたが、三間さんの友達、桜井さんとは余り仲が良くなかった。
桜井さんは、小夜ちゃんと同じタイプだ。少女を目の仇にしている。
いや、それだけじゃない。あの目は、人を蔑む目だった。