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猫が導く恋

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(まだ、諦めないつもりなんだ)
 弘はしばらく考え込んでから、自分の呟きを書き込んでいく。
【おはようございます。新作の原稿、ようやく形になりました。でもここからが本番。担当さんに読んでもらって手直しを入れないと、本にはなりません。がんばります】
 弘はPCを閉じると、ぐったりした身体を引きずって、寝室へ行き、ベッドにもぐりこんだ。



 泥のような眠りに引きずり込まれた弘は、柔らかい電子音で目が覚めた。
(今日って何曜日、だっけ……)
 枕元のデジタル時計を、眼鏡をかけて確かめると、燃えるゴミの日だと分かった。
(ゴミ、出しそびれちゃった)
 そう思っても、もう間に合わない。収集車はとっくに行ってしまった後だろう。シャワーを浴びてさっぱりすると、目玉焼きにカリカリベーコンを添えて、トーストと一緒に食べる。コーヒーを飲んでいると、たまっているはずの新聞が気になった。
 集合ポストまで降りると、七日分の朝刊が、ぎゅうぎゅうに押し込まれていた。まとめて持って上がり、今日の分だけ読むことにして、後はたたみ直して紙袋に入れた。
 もう一杯コーヒーを飲みながら、ざっと目を通すと、仕事場に向かった。PCを起ち上げ、メーラーを起動する。
【阪元さま お疲れさまです。新刊用の原稿の第一稿が仕上がりましたので、添付してご送付申し上げます。いつも通り、ご指導ください。矢崎雅弘】
 本文を書いて、圧縮した原稿を挿入すると、送信ボタンをクリックした。仕事が丁寧な阪元は、早速目を通して、厳しい意見をくれるだろう。
 ブラウザを開き、twitterにログインすると、新刊の発行はいつですか? といった質問や、お疲れさまでした、発売が待ち遠しいです、といった優しい呟きが何件も入っていた。
 その一つ一つになるべくリプライを返して、ほっと息をつく。
 メーラーの送受信チェックをすると、もう阪元から返信が入っていた。
【矢崎先生 お疲れさまです。メディアジャパンの阪元です。相変わらず、書き始めると筆が速いようですね。これからゆっくり読ませていただきます。
 プロットを頂いた段階でお知らせしたとおり、表紙と挿絵のイラストレーターの先生は、前作から変更はありません。
 それでは、しばらくはゆっくりお休みになって下さい。阪元】
 親切な担当に感謝しながらメールの整理を済ませ、弘はリビングに行った。昨日済ませてしまったから、掃除も洗濯も買い物も、する必要はなかった。映画でも見に行こうかとも思ったけれど、夏休みの子ども連れで混雑しているだろうと思うと、その気も失せた。
(そういえば最近、ゲームもしてなかったっけ)
 買っただけでパッケージを開けてもいないゲームの中から、一つ選んでゲーム機にセットする。エンターテイメント性やストーリー展開は、資料の一つでもある。のんびりとRPGをプレイしていると、お腹が空いてきた。
 炊飯器をセットしてから冷蔵庫を眺め、アジの干物を焼いて和食にしようと決めると、大根をおろし、ナスのしぎ焼きを作って冷蔵庫で冷やし、肉じゃがに味を染ませて冷奴に乗せる生姜をすった。
 玉ねぎとわかめの味噌汁を作る頃、米が炊き上がったので、ほぐしておいてから干物をグリルで焼いた。
 ゆっくりと夕食を済ませて、久しぶりにレモンスカッシュの缶を開け、ウイスキーをたらして飲んだ。アルコールに強いわけではないけれど、矢島に合わせてつきあっているうちに、なんとなく飲むようになったこの組み合わせは、夏には美味しい飲み物だった。
 レモンスカッシュの缶が空く頃には、生野菜のスティックもなくなる。弘は思い切って、キャットフードの袋と皿を持って部屋を出た。
 広場の入り口にさしかかると、待っていたかのように、猫たちが甘えた声で鳴きながら群がってくる。「あの人」はまだ来ていない。弘は久しぶりの餌をたっぷり皿に盛りつけて置き、ベンチにそっと腰かけた。
 満月からいくらか痩せた月が、明るいその姿を見せている。郊外とはいえ住宅地で街灯も多いこの辺りでは、星は見えないけれど、月だけはよく見える。
 じゃり、と音がして、猫たちがさっと姿を消す。
「やっぱり慣れてくれないなあ」
 落胆したようなその声に振り返ると、「あの人」が立っていた。相変わらずのスーツ姿だ。この暑さの中、よく着ていられると思う。
「こんばんは。やっと来てくれたね」
「……こんばんは」
 弘が小さく答えると、相変わらずの紙皿に猫缶を盛りつけて、植え込みの陰に置き、弘の隣に腰を下ろした。ポケットから取り出したタバコに火を点けて、深々と吸い込む。吐き出される紫煙は、香りが薄かった。そんなにきついタバコではないのだろう。
「毎晩来てるけど、なかなか慣れてくれないんだよね。野良猫ってやっぱり、警戒心が強いのかな。それとも俺ってそんなに怖そう?」
 弘が黙っていると、タバコの煙を吐き出すのに合わせて、ため息をついた。
「君も警戒心強いよね。猫みたい。だから猫たちも気を許してるのかな」
「なんで僕に構うんですか」
「可愛くて寂しそうだったから」
 ずきん、と胸が痛む。その人はタバコを吸い終わって、きちんと携帯灰皿に吸い殻を入れると、コンビニの袋からおにぎりを取り出して、シートと格闘し始めた。
(そういえば、矢島もコンビニのおにぎりを開けるの、下手だったな)
 思い出が胸を締めつけるのを感じながら、その人の手からおにぎりを取り上げ、ささっと形にして、渡してあげた。
「ありがとう。不器用だから開けるの苦手なんだけど、パリッとした海苔が好きで、こっち買っちゃうんだよね」
 海苔が湿気る前にぱくついて食べ終えると、ペットボトルのお茶を飲む。もう一つ、今度は梅のおにぎりを取り出したので、黙ってそれも開封してあげた。
 おにぎりを二つ食べ、ペットボトルのお茶を半分ほど飲んでから、またタバコに火を点ける。
「今日は名前、教えてくれる?」
 そう言われて弘は、迷った挙句に、小さく、田崎、と呟いた。
「タザキくんか。俺の名前覚えてる? 矢田部雅彦」
 弘は頷いた。ヤタベは財布から免許証を取り出してみせた。
「こういう字書くんだ。ちょっと珍しい名前だよね」
 免許証をしまった矢田部はタバコの灰を落として、またくわえた。
「こんな時間に外に出て、家の人に怒られない?」
「独り暮らしですから」
「え? このマンション分譲でしょ? 家族向けの。君ってもしかして資産家のお坊ちゃん?」
 実年齢より若く見られることに慣れている弘は、誤解を訂正した。
「僕は学生じゃありません。このマンションは最初二人で買ったんです」
「その人、出て行っちゃったの? それで寂しい顔してるの?」
 傷をえぐられて、弘はずきずきと痛む胸を押さえ、涙をこらえた。
「あなたには関係ありません」
 辛うじてそれだけ言った時、二年前、最初に弘から餌をもらった黒猫が戻ってきて、弘の置いた皿から、餌を食べ始めた。仔猫だったその猫も、今では立派な大人だ。二年も経つのに、テリトリーを広げにどこかへ行ってしまうことがないのは、もしかしたらメスなのかもしれない。
「あ。食べてる。可愛いな」
作品名:猫が導く恋 作家名:藤崎葵