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猫が導く恋

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 そう思いながら目覚ましを止め、眼鏡をかけてバスルームに向かう。熱いシャワーを浴びて髪と身体を洗い、脱いだパジャマと一緒にバスタオルも洗濯機に放り込んで、洗剤と漂白剤、それに柔軟剤をセットして、ボタンを押す。
 キッチンへ行ってトーストとハムエッグを食べると、豆を挽いて、コーヒーメーカーにセットした。こぽこぽと音を立ててコーヒーが出来上がってくるのを待ちながら、ゴミ捨てのついでに取ってきた朝刊を広げる。読むのは一面と社会面だけだけれど、勧誘を断り続けるよりは、取った方が面倒がない。
 入ったコーヒーを飲んで、残りはそのまま冷まして冷蔵庫に入れることにして、食器を洗い、洗濯物を干す。まだ午後三時だから、この暑さならすぐ乾くだろう。
 一番暑い時間に買い物に出るのは億劫だったけれど、夕方のタイムセールで人にもまれるよりは、ずっと良かった。ジーンズのポケットに財布とキーホルダーだけを突っ込んで、マンションを出る。誰からもかかって来る筈のない携帯は、リビングに放置されたままだ。
 バスに揺られて十分で、スーパーに着く。一週間分の食料をまとめて買って、ひ弱な両腕に下げ、またバスに乗る。
 冷凍食品や肉などを冷凍庫に入れ、エアコンをつけっ放しにしておいたリビングで涼んでから、仕事部屋に向かう。メールのチェックは昼間済ませておかないと、返信が遅れてしまうことがあるからだ。
 PCを起ち上げてメーラーを起動すると、DMに混じって、担当編集者から一件入っていた。
【矢崎先生 お疲れさまです。メディアジャパンの阪元です。残暑とはいえ、まだまだ暑い日が続いておりますが、体調など崩されていませんでしょうか。
 次回作の方の執筆状況など、お知らせ頂ければと思い、メールを差し上げました。発行月を決めてあるわけではありませんので、あまり焦らず筆を進めていただければ結構です。
 それでは、よろしくお願いいたします。阪元】
 ライトノベルは、文庫本が主流だ。雑誌に連載を持てるタイプの書き方ができない弘は、年に三冊ほど出してもらっていた。それがここのところ、年に一冊出せればいい方だ。新人賞の応募作の下読みや、ちょっとしたコラムでしのいでいるものの、早死にした親の遺産を取り崩す日々が続いている。
 恋人だった矢島雅一は、プロットというよりは素案に近い設定を、山ほど残して行ってくれた。その中から、いくらでも書けばいいのだが、失恋の痛手から立ち直れずにいる弘には、キツイ作業だった。
 矢島とは、大学で出会った。同じ国文科で、しかも同じ作家を卒業論文のテーマにしようとしているということで、担当教授から呼ばれて、どちらかが別の作家に変更するよう求められ、気の弱い弘が譲ったことがきっかけで親しくなった。
 早いうちに自分の性的指向に気がついていた弘は、会った瞬間から、矢島に恋をしていた。けれど同時に、それはそっと秘めておいた方がいいことも分かっていた。
 それなのに、くだけて明るく、おおらかな性格の矢島は、繊細で優しい一面も持っていて、夜の街で、その手の人種が集まることで有名な店から出て来た弘とばったり顔を合わせてから、それとなく気にかけてはフォローしてくれるようになり、思い余って打ち明けた時も、ただ黙って抱きしめてくれたのだ。
 弘と矢島はつきあうようになったけれど、身体の関係はなかった。弘がその手の店に通っていたのも、居心地が良かったからで、実は他人と身体を繋いだことがない。
 大学を卒業して出版社に勤めるようになった矢島は、卒業論文の息抜きに、と二人で書いて応募した作品でデビューした弘に、いきなり、貯金がたまったから一緒に暮らそう、と持ちかけてきた。その方が、作家活動もしやすいだろうから、という、矢島らしい単純な理由だった。
 郊外に3LDKの安い物件を見つけて、三十年ローンを組んだ。名義は二人の連名にした。弘は幸せに舞い上がって、その後の矢島の変化に気づくのが遅れた。
 出版社勤めだから勤務時間はそもそも不規則だったし、泊まり込むと言われても、締切なんだろうな、ぐらいにしか考えていなかった。お互いの携帯をチェックし合うほど独占欲が強かったわけでもないし、そもそも矢島は本来ストレートだ。ベッドを共にしたところで、抱き合って眠るのがせいぜいで、軽いキス以上のことはしたことがない。
 おかしいな、と思い始めたのは、一緒に暮らし始めて一年目の夏だった。家事を担当していた弘は、矢島のシャツから時々香水の香りがすることに気がついた。
 それでも、接待で行った店のホステスの移り香だろう、と自分に言い聞かせて、問い質すようなことはしなかった。しかしそれが、会社に泊まり込むと言われた翌日、必ず同じ香りがするとなれば、もう疑いようがなかった。
 悲しく惨めな気持ちで、矢島が打ち明けてくれるのを一年待った。そしてそれは、突然、決定的に告げられた。
「来年の春結婚する。上司から勧められた見合いを、断り切れなかったんだ」
 マンションの名義は、知らない間に弘一人のものに書き換えられていた。結婚式には出席しなかった。ただ祝電だけ打って、それで終わりにしようと決めたのに、毎月振り込まれるローンの半額が、弘をいつまでも苦しくさせた。
 猫の一匹でもいてくれればいいのに、と思ったけれど、動物好きなのに犬猫アレルギーの矢島のために、ペット禁止のマンションを選んでしまったから、それも出来ず、ただぼんやりと敷地の隣にある広場のベンチに腰を下ろして月を眺めていたら、仔猫が寄ってきた。
 慌ててコンビニへ行って猫缶を買ってあげてみたら、がつがつと食べた。それ以来、段々と集まる猫の数が増え、今では五、六匹が常連になって、弘の差し出す皿に群がって餌を食べるようになっていた。
 弘はため息をついて、メールの返事を書き始めた。
【阪元さま お疲れさまです。お気遣いのメールをありがとうございました。シリーズの続編になる予定の新刊の原稿は、まだ序盤でつまづいています。
 ご迷惑をおかけするかもしれませんが、先にお送りしたプロットの通り書き進める予定ですので、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか。
 暑い中、阪元さまもくれぐれも体調にはお気を付け下さい。矢崎雅弘】
 何回か読み返して、送信ボタンをクリックする。送られてしまってから、もうしばらくではなく、きちんとした期日を指定できなかった自分に、またため息が出る。
(今日からまたしばらくカレーでいいかな)
 そんなことを考えながら、PCを閉じて、キッチンに向かった。今から煮込めば、夜には食べられる。残った分はジップロックに小分けして冷凍しておけば、毎回それを解凍するだけで済む。暑さのせいだけではなく、食欲の落ちている弘には、カレーぐらいしか、食べやすいものは思いつかなかった。



 カレーを煮込んでいる間に乾いた洗濯物を取り込み、きちんと整理してしまうと、火を止めて、掃除をした。そのあと、カレーを温め直して食べ、残りを冷凍庫に入れると、レモンスカッシュにウイスキーをたらして飲んだ。生野菜をかじりながらレモンスカッシュの缶一本を空けてしまうと、もう猫たちが集まってくる時間だった。
作品名:猫が導く恋 作家名:藤崎葵