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黒崎つばき
黒崎つばき
novelistID. 47734
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ロボットが泣いた日

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 乾いていた風が少しずつ湿っていき、雨を予感させる匂いを運んでくる。
 天候が崩れる前にと、早朝から佐久間と楓は果樹園へと出ていた。
 徹は毎日の日課である池へと足を運び、いつもの様に餌を投げ込んでいた。
 その時にふと、微かな違和感を覚えた。
 菫がいない。
 毎朝、この庭に出る時はきまって菫が傍にいるのに、今日に限っては菫の姿がないのだ。
 何気なく記憶を遡れば、そういえば朝食を採ってから、一度も楓の姿を見ていない事を思い出した。
 どこへ行ったのだろう、こんな天気の日に。
 池の中を無邪気に泳ぐメダカを見つめながらも、ぼんやりとそんな事を思った。
 午後になると、とうとう山の向こうに見えていた黒々とした雨雲が上空にまで近づいてきた。
 湿った雨の匂いを強烈に感じて、徹は空を仰いだ。
「徹、お昼出来たよ」
「うん」
 縁側に顔を出した楓が雑草を毟っていた徹へと声をかけた。
 既に今日の収穫を終えた佐久間と楓は家の中だ。
「……ねえ、菫がいないよ」
「え?」
 居間へ入った徹はゆっくりと室内を見渡した後、ぽつりと告げた。
「そうね、どこ行ったのかしら」
「誰も見てないの?」
 佐久間と楓もきょろきょろと辺りを見渡し始めていた。
 耳を澄ませても、家のあちこちを覗き込んでも、菫の姿はどこにもない。
「なに、その辺で夢中になって遊んでるんだよ。雨が降れば帰ってくるさ」
「……ならいいんだけど」
 微かに不安の過った空気に佐久間があっけらかんと吐き捨てるが、楓は心配そうだった。
 後で探しに行こうと思いながらも、徹は目の前に置かれた湯気をたてているチャーハンを口に運んだ。

 真上まで来た雨雲が、容赦なく土砂振りの雨を降らせていた。
 しかし、菫は未だ戻らない。
 こんな雨だ、どこかで雨宿りをしているのかもしれない。
 佐久間はそう言ったけれど、楓の不安は募るばかりだった。
 暗い空が、まるで世界の終わりを兆しているみたいで恐ろしくもある。
 未だ夕方でもないのに、辺りはひっそりと暗く、まるで夜みたいに輪郭がぼやけている。
 一粒一粒の雨は大粒で、屋根をうつけたたましい音だけが世界を包み込んでいた。
「ねえ、やっぱり探した方がいいんじゃない?」
「うーん。でもな……菫はあれで結構しっかりしてるし……」
「でも、小さな子供なのよ?」
 二人の会話を横で聞いていた徹は、何か嫌なものが胸へ飛来してくる気配を感じて、勢いよく立ち上がっていた。
「徹?」
「……探してくる」
「でも」
「大丈夫」
 引きとめようとした楓へそう告げると、徹は玄関の収納棚にあったカッパに身を包み、長靴を履いて雨が降りしきる外へ出た。
 何故か、早く菫を見つけなければいけない気がして、胸の奥がじりじりと焦燥に焼かれる様でもあった。
 既に雨はかなりの量を降らしている様で、アスファルトの少ない家の周りの地面は泥濘になり滑りやすい。
 転ばないよう気を付けながらも、徹は足早に家の周りを一周し、菫が千近くに居ない事を悟ると更に少し坂になった道を下りていく。
 すぐに果樹園が姿を現し、徹は注意深く視界の悪い中、視線を果樹園の中に向けた。
 しかし人の影はなく、また気配もない。
 もしかしたらもっと遠くに行ってしまったのかもしれない。
 嫌な焦燥は更に膨張している様だった。
 チリチリと腹の底が爛れ、焼き切れてしまいそうな錯覚を覚えながらも、徹は更に足を進める。
 走る度に跳ね返る泥が容赦なく徹のズボンを汚し、緩んだ大地は行く手を阻む様に徹の足を取ろうとするみたいだった。
 雨音しか聞こえない薄暗い世界の中、徹は我武者羅になって菫を探していた。
 少しでも雨脚が和らいでくれれば楽なのだが、そんな徹の願いを嘲弄する様な豪雨は止む事を忘れてしまったみたいに荒れ狂っていた。
 風も強い所為で雨が容赦なく目や口に入り込む。
 時折、全身を叩きつけるみたいな突風に煽られながらも、徹は走り続けていた。
 果樹園を抜けると、青々とした林が顔を出す。
 生い茂る草木のお陰で雨は少し和らいで感じるが、薄暗さは余計に酷くなんとも不気味な雰囲気になっていた。
 晴れた日は美しい木漏れ日に染まる林ではあったが、今はおぞましい樹海の様にさえ見えてしまう。
 林の奥は暗くて見えない。
 けれど恐怖はなかった。
 恐怖など、あの日々に比べればどうという事はない。
 徹は戸惑いさえ見せずすぐさまその林の中へ走り込んでいった。
 長く伸びた雑草が地面さえ覆い尽くし、足場は酷く悪い。
 それでも徹は走る事を止めず、時折転びそうになりながらも林の中を走り回った。
「すみれーっ」
 声を張り上げ、妹の名を呼んでみるも、その叫びさえ深い林の中へ吸収されて消えていく。
 頭上の木々のお陰で雨はそれほど酷くはなかったが、それでも吹き抜ける風は縦横無尽に世界を荒らしている。
 先の見えない暗い林の中を置くへ奥へと進む度、徹は自身の中で死んでいた筈の感情が動きだす気配を感じていた。
 これはなんだったろう、この胸を黒々と焼く様な感覚は、何だったか。
 胃が締め付けられる様な嘔吐感と、背後から迫る焦燥感。
 そして逃れられない運命の導き。
 これはあの日々に感じていた絶望感と酷似している。
 そう気付いた時、更に焦燥感が募って嫌な予感が全身を貫いて行く気がした。
 皮膚が粟立ち背筋が震える様な嫌な感覚。
 何故こんな感覚を覚えるのだろう。
 菫はどこへ行ってしまったのだろう。
 どんどんと質量を増していく不安感は止む事なく徹の全てを蝕んでいく。
 菫と暮らす様になってから今日までの短い日々の記憶が、何故か脳裏を過ぎ去っていく。
 それに身震いした。
 これは、何かの知らせなのか?
 それも、決していいものではない、人の心を不安でいっぱいにする様な、おぞましい感覚だ。
 肺が嫌な音を立てていた。
 肺のどこかに穴が空いてしまったのかと思うくらいに苦しくて、酸素を飲み込もうと大きく開いた口腔に流れ込んでくる空気は悉くに水分を孕み、重く肺の中へ沈殿していく。
 苦しみに喘ぐみたいな呼吸を繰り返しながらも、足が縺れ膝が崩れそうになっても、徹は走る事を止めようとはしなかった。
 酷い湿度の所為でカッパの下は汗だくだった。
 不快な水分を感じる暇もなく徹は夢中で菫を探し回っていた。
 これほど何かに必死になったのは、きっとあの時以来だろう。
 父を殺した、あの雨の日以来の事だ。

 林を抜けると、それまで視界を覆っていた毒々しいまでのりょく色は嘘の様に消えうせて、一面が膨大な畔になる。
 濁色の水面は不気味な穴の様にも見えた。
 そこが激しい雨の所為で幾重も波紋を広げ、まるで海の様に波打っている様だ。
 水面に浮かぶ枯葉は行き場を失くした様に揺られ彷徨い、揺れる水面に翻弄されている。
 前に数回、ここへは来た事がある。
 佐久間と楓には危ないからここへは近づくなと言われていたが、徹は一人になりたいとき、よくこの場へ足を運んでいた。
 別段何をする訳でもない。
 ただぼんやりと、静かな水面を眺めていると、まるで自分が世界から遮断された存在の様に思えて心が休まるのだ。
作品名:ロボットが泣いた日 作家名:黒崎つばき