「Nova」Episode
再びティートの声が聞こえ、肩に手を置かれる感触がした。ノックスが冷や汗を浮かべながら振り返ると目の前にいたのは、ティートが「ゾンビ」と名付けたあの化物だった。
「っ!!」
反射的な動きでノックスはその手を振り払う。
慌てて腰に装着していたホルダーから銃を取り出そうとする間にゾンビは近付き、影は侵食を進めていた。
──ティートがいない。
どれだけ周りを見ても、側にいたはずのティートの姿が見えなかった。その事にノックスは酷く混乱する。
荒くなった呼吸のまま、震える手を叱責し、愛銃の一つである『蒼氷』を持って敵に向けた。
早足でゾンビが近づいてくる。
「う……うああぁっ!!」
叫びながら、ノックスは引き金を引いた。
放たれた銃弾は敵の左腕をかすめ、敵の背後の壁に穴をあける。ゾンビがノックスを覆うように手を広げた。
──もう駄目だっ……!
ノックスがギュッときつく目を閉じ、叫び声を上げる。目の端からポロッと涙が零れ落ちた時だった。
「ノックスっ!!」
一際大きな声が、ノックスの耳元で名を呼んだ。
その聞き慣れた声にはっと我に返ったノックスが目を開け、見上げる。
直ぐ目の前にティートの顔があった。必死な表情で前を見据え、しっかりとノックスを抱き寄せていた。
「ティート……?」
ノックスの細い声がティートの耳に届いたのか、前を見ていた視線がノックスへ移される。
「俺だ、しっかりしろ。ノヴァの影響力が届いてお前に幻を見せてるのかも知れねぇ。 ちゃんと見ろ」
そう言ったティートは片手でノックスを支えながら、自分の首から下げていた金色のクリスタルを取ると、それをノックスの首に掛け直した。
「つけてろ。 影響力が届きにくくなるはずだ」
いつもと違って冷静なティートの様子に僅かに困惑しつつ、先程の恐怖など嘘のような安堵感をノックスは感じていた。
ノックスの首にクリスタルを掛け直したティートが、自分で立てるか?とノックスに問い、彼女が頷くと同時に支えていた手を離す。
僅かにフラッとしながらも自力で立ったノックスは、ティートが見据える先に視線を移す。
そこには、ゾンビがわらわらとひしめき合っていた。
ティートがノックスを背後に追いやる。
「お前は休んでろ。 こいつらは俺がやる」
「待て! 私もまだ戦える!」
ノックスがティートの肩に手をかける。
すると、ティートはノックスを振り返り、キッと鋭く見つめた。今まで一度として見たことがなかったティートのその様子に、ノックスは言葉を詰まらせる。
「俺はお前に戦うなって言ってる訳じゃねぇ。 お前の体が心配だから休んでろって言ってんだ」
「!」
「たまには俺の言うことも聞いとけ」
そう言ったティートは二歩、三歩前へ出る。ノックスの手がティートの肩から離れた。
視線の先でひしめき合っているゾンビ達を見て、ティートは静かに息をつくと短剣を取り出す。
「俺達の道だ。お前達には悪いが通させてもらうぜ」
ティートは短剣を左手で逆手に持ち変えると、右手で背負っていた長銃を持った。
その長銃は決して軽いとは言えない重さだが、ティートは片手でそれを構えてスコープの中を覗き込み、目印となる十字に敵の頭部を合わせると、迷うことなく引き金を引く。
一番奥の方にいたゾンビがのけ反り、バタリと倒れたのが見えた。
「五発しか撃てねぇのはちょっと惜しいよなぁ」
ガチャッという音と共にティートが小さく呟く。
その間にもティートは残りの弾を使って敵の頭部を貫いていった。
「ラスト一発は特別だぞ」
そう言ったティートが照準を合わせたのは、奥にいるゾンビの中の一体。
静かな銃声が聞こえて、敵の頭に穴があく。
「大地に眠る樹木の躍動」
突然、奥の方で何かの音が聞こえた。
それは段々と近付いて、ゾンビ達の隙間から木の根のような物が大量に飛び出してきた。根はゾンビ達を次々と絡めとり、体を締め付ける。
全てのゾンビが根に捉えられた所でティートは長銃を投げ捨てると、どこから取り出したのか、シンプルな短剣を右手で構え、左手で持っていた短剣と刃同士で擦り合わせた。
鋭い金属音が響く。
「ノックス、今ならこいつらは動けねぇ。 先に行ってろ」
「……分かった」
ノックスが素直に頷くと、ティートが笑ったような気配がした。
短剣を構えていたティートの横を走りながら通り過ぎると、荒くなった息づかいが聞こえた。
──この技……発動を解くまで魔力が消費されるタイプだ。
そんな事を考え心配をしながら、ノックスは木の根で作られた細い道を光で照らし、階段を下った。
右手で強く、金色のクリスタルを握り締めながら。
「ノックスの光がねぇと…見えねぇんだった…」
と、ティートは苦笑しながら闇の中で呟いた。
根が敵を締め付ける音と、荒い息づかいだけが聞こえてくる。
「こいつら……体の中にクリスタルを埋め込んでんのか」
クリスタル特有の微弱な電波がティートの頭の中へ流れてきていた。僅かに顔をしかめつつ、ニッと笑みを浮かべた。
「ま……おかげで、場所は分かるか」
ティートは僅かに呻きながらも、ゆっくりと目を閉じる。
「標準態勢を解除。 コード・アサルトに移行します」
ティートの口から出た声は、妙に機械的な、無感情な声。
目を開ければ、そこから覗いたのは翡翠ではなく銀色の光。
「全対象を確認」
再びティートが声を発すると、銀色の瞳が闇の中でゆらりと揺れ動いた。
銀の帯をつくりながら前へ前へと進み、大きく左右に行き来する。
肉を斬る感触。
血の匂い。
それらを気にする様子もなく、やがてその動きが止まった。
パチッと小さな電気が走る。
「対象消失。 全ての敵を殲滅しました」
その声を合図にしたかのように、階段にあったランプに次々と火が灯った。
ティートの荒い息づかいが戻ってくる。
額には汗。瞳は未だ銀色のままだ。
心臓が異常な程に高鳴っているのが分かり、ぎゅっと胸元を抑えつけた。
「ったく……こんなの、慣れてんだろうが」
ティートの手から短剣が落ち、乾いた音が響き渡った。
「これだから……不良品、は……」
と、ティートが笑ったかと思えば、それは直ぐに無感情へと変化した。
「端末に異常を発見しました。 二十秒後に停止します」
その場は沈黙に落ちた。ティートの手も、口も、瞳も、ピクリとも動かない。
約十秒が過ぎた頃、ティートの瞳が銀から翡翠へ変わる。
ティートの口が小さく動いた。
「俺ハ……俺タチハ、人形ジャ……ナ、イ……」
崩れるようにその場に倒れ込んだティートが、ゴロゴロと何段かの階段を転がっていく。
やがて止まった時には、始末した死体の中に身を投げ出す状態になった。
ティートの目がゆっくりゆっくりと閉じ始める。
「……ノックス」
いつものティートの声が聞こえた。
ガクリと頭から力が抜ける。
落ちていた二本の短剣はランプの光によって輝き、刃からは血がポタポタと流れ落ちて、小さな血だまりが出来ていた。
――L'avenir――
「……っ!?」
階段を小走りで降りていたノックスは、はたと足を止めた。
作品名:「Nova」Episode 作家名:刹那