「Nova」Episode
珍しく悲しみを含ませた声音でライムは呟き、机の上の新聞に目を落とす。そこには喜ぶべき朗報が書かれているのだが、ライムは素直に喜ぶことが出来ずにいた。
その記事は、ティラとティートの結婚話。
明日は朝から継承式がある。そのあとに盛大な結婚式を行うつもりなのだろう。
「それで、いいんだろうな……あいつは」
本当にいいのだろうか。あいつは、ティートは本当に───
「………あれ?」
気付けばティートは丘の上にいた。そこは、よくノックスと待ち合わせ場所にしていた、学校の裏にある丘だ。
眼下に広がる街並みは、今日も変わらずに美しく、賑やかに回って、巡っている。
3年前、ノックスの行方が分からなくなってから、ここにはこないように意識していたのだが、ボーッと歩いている内にここに来てしまっていたらしい。
無意識に選ぶのがここか、とティートは苦笑した。
この丘は今も昔も変わらずに心地よい風が吹いている。
昔のようにティートは草の上に腰を下ろし、夕日の色で染められたその国を眺めた。
美しい。いつもはそう思うはずの景色に物足りなさを感じ、ティートは首を傾げる。
美しい……のだろうか。何か、何かが足りない。
考える度にティートの頭はずきりと痛んだ。
「ティラが待ってるし……さっさと帰るか」
妙に重たい腰をあげ、ティートは目の前にあった階段を降りた。数段降りたところで、ティートは足を止め、何気なく後ろを振り返る。
「……」
嬉しそうな笑みを浮かべて手を差しのべてくるノックスの姿が目の前に現れて、ふっと静かに消えていった。
「おかえりなさいませ、ティート様」
城の門をくぐり、扉の前にいた警備兵に声をかけられたティートは、笑いながら軽く片手をあげる。
「何か変わった事は?」
ティートが問えば、兵は淡々とした口調で言う。
「ありません」
「そっか」
短い会話を終えて城に入り、無駄に華やかな城内の廊下を歩いて、ある大きな扉の前で立ち止まった。
ここに入るのはいつまで経ってもなかなか慣れない。昔から妙に緊張してしまうのだ。
ふぅ、と息を吐いてからティートはその扉に手をかけ、開ける。
そこは玉座の間。
奥ではきらびやかなドレスを身に纏ったティラが、家臣たちと何やら楽しそうに話をしていた。そんなティラはティートが帰ってきた事に気が付き、パッと表情を明るくしてティートに近づく。
「おかえりなさい、ティート」
「あぁ、ただいま」
ティラの声にティートは笑みを浮かべながら応えた。軽くティラの頭を撫でれば、頬を僅かに赤く染め、ティラは嬉しそうに笑う。
翡翠の瞳を見つめていたティラは、ふと、その澄んだ瞳の中に影が出来たことに首を傾げ、どうしたの、とティートに問おうと口を開くが、それよりも早くティートが言葉を発した。
「仕事、何か手伝える事あるか?」
「え……あ、いえ。 今はありません……」
「そっか。 なら俺、部屋に戻って明日の準備してるぞ?」
「あ、はい……」
ティラの頷きを見たティートは、再びティラの頭を軽く撫でてから自室に戻っていった。
ティートが去っていくその背を見ながら、ティラは小さくため息を吐く。
過去の事はもう忘れなさい、なんて言える筈がない。父、セルズ王が結婚の話を持ち出し、ティートが承諾した時には喜びよりも僅かに驚きの方が上回った。
「ティート……」
"アサルト"ではなく、彼はもう立派に"ティート"として生きている。国の為に仕える機械ではなく、一人の人間として。
「姫様」
背後からかけられた声にティラがゆっくりと振り返ると、そこには優しく笑みを浮かべたメイドがいた。
「明日の継承式の際の衣装合わせがございます」
「はい」
短く返答し、ティラはメイドのあとに続いてゆっくりと歩く。
窓から覗いた空を見れば、夜が間近に迫っていた。
夜の戸張が降りてくる。暖かく吹いていた風は冷たいものへと変わり、賑やかだったバハートの街にも静けさがやってきた。
夜はバハート内にある酒場やバーに行くと、様々な情報が聞こえてくる。その情報を求めて、ライムは夜の道を歩いていた。
ティラが国に戻って来るまではこうして夜の道を歩いていると、よく変な輩が湧いて出てきていたものだが、ティラが戻った途端にそのような光景は見なくなった。
細い裏道へ入り先を見ると、ポツンと小さい明かりが道を照らしていた。迷うことなく明かりに向かって真っ直ぐに歩いていき、オシャレな装飾がされたバーの扉に手をかけて、開ける。
入ってしまうと、その中は外とは違ってとても賑わいをみせていて、テーブル席は全て満席だった。ここにいる客は全て男だ。
相変わらずのむさ苦しさに顔をしかめながら、ライムはカウンターへと歩み寄ってその中にいた男に声をかける。
「マスター、今日は何か入ってるか?」
そう言うと、男はライムに微笑んだ。
「おや、いらっしゃいませ。お飲み物は?」
「今日はいい」
「そうですか」
少し残念そうに男は手に持ったグラスを元の場所に返し、改めてライムに向き直る。
「今日は特別何も入っていません」
「バハートだけじゃなくてもいいんだが」
「ふむ……それならば結構ありますね」
「教えてくれ」
イスに座ったライムは、騒がしく酒を飲んでいる男たちに目をやりながらマスターの声に耳を傾けた。
「ユニア・パートルで、結界の外を安全に移動するための何かを開発しているそうですね」
「機械か?」
「いえ、魔法でどうにかしようとしているそうです」
魔法を使えない奴らはどうなるのだろう、と考えながらライムは黙る。
「ユニア・パートルと反対側にあるジルトヘニアでは、戦力増幅のために兵を集めているとか」
「……今更どこと戦争しようとしているんだか」
そんなライムの言葉に、マスターも同意するように頷いた。
「おっしゃる通りですね。 こんな時代になってまでジルトヘニアは過去の栄光を引きずって……時代に取り残されている」
その昔、世界中の国々が戦い合った大きな戦争があった。その中で唯一、ほぼ無傷な状態で多くの国々と戦い勝利してきた国がある。
それがジルトヘニア国なのだ。
だが、その話は100年以上も前の事だ。世界は戦争を望んではいない。それはジルトヘニア国民にも同じことが言えるはずだ。
「哀れだな……時代は回っているというのに」
ため息混じりにライムが呟いた。
店の中は絶えず騒がしく声が飛び交って、酒の匂いが充満している。
ライムとマスターの間に暫しの沈黙が訪れ、それをマスターが先に破った。
「ルシフェリーゼでは大きな事はありませんが、治癒術で右に出る者はいないとされるオーナ・クレイゼが弟子を取ったそうです」
「オーナ・クレイゼが? あいつは……」
弟子を取らない事でも有名だったはずだ、とライムが言う前に、分かっていたようなマスターが頷いてみせる。
「珍しすぎて人々の間では結構話題になっているようですね」
くつくつと笑うマスターの前で、ライムが「だろうな」と苦笑した。
「あとは、特にくだらない情報ばかりですが」
「そうか……」
作品名:「Nova」Episode 作家名:刹那