「Nova」Episode
一番後ろにいたライムがちらりと背後に目をやると、三人を追いかけるようにして、今までとは話にならない程の数のゾンビなうごめいていた。それはまるで、ティラを追っているかのようにも見える。
「おい、もっと速く走れ」
焦る様子もなくライムが前を見て言うと、ティートが叫んだ。
「無理言うなよ!これで全力だ!」
「後ろからゾンビが追って来ている」
「はぁっ!?」
ティートは疲れたようにため息混じりに叫び、その後ろで走っていたノックスが背後を確認する。その際にライムと目が合い、小声でライムがノックスに言った。
「止めておけ、下手をすれば今度こそ死ぬぞ」
そう言ったライムにノックスは眉を寄せ、視線を前に戻す。
結局何もできないな、と一人呟きながら。
走り続けて約五分。
漸く視界がひらけ、書斎に戻ってきた事が分かった。
「はぁっ……はぁ、はぁ……っ、やっとか……!」
息を切らしていると、背後で大きな音が聞こえ、ティートとノックスが振り向くと、ライムが地下への入り口を本棚で塞いだ所だった。
きれいに埋まった入り口からは、叩きつけるような音が聞こえていた。すぐそこにゾンビ達がいるのだろう。
「これも単なる時間稼ぎだ。 さっさと出るぞ」
本棚を押さえながら言ったライムに、ノックスとティートは頷いた。
それと同時に再び大きな揺れが襲う。パラパラと天井から埃や欠片が落ちてくる中、書斎に取り付けられていた豪華なシャンデリアの鎖が音を立てて切れた。
「ノックスっ!!」
「……っ!!」
シャンデリアの真下にいたノックスはティートの声で上を見上げる。
迫るシャンデリア。
ノックスは転がるようにして横に倒れた。
ガシャアンッ!と大きな音を立て落ちたシャンデリアの横で、ノックスが呻きながら足を押さえている。
見ると、左足に鋭いガラスが突き刺さっていた。じわりと血が滲む。
「っ……」
唇を噛みしめ痛みを堪えたノックスは「大丈夫だ」と強気に笑ってみせ、心配そうにしていたティートに早く行くように促した。
立ち上がったノックスの足からパタパタと血が流れ落ちる。もう少しだ、と自分に言い聞かせ、ノックスはティートの後に続いた。
エントランスへ戻ってくる頃には、建物は危険な状態になっていた。あちこちで何かが壊れ、窓ガラスが割れ、床には亀裂が入る。
幸いな事に、エントランスにはゾンビ達はおらず、素直に屋敷の入り口の扉にたどり着いた。
重い扉を押し開け、外に飛び出す。瞬間、それを見計らったように屋敷が崩れた。
「おわっ!」
「離れよう!」
落ちてくる瓦礫に当たらないよう、屋敷から遠ざかって様子を見守る。やがて、屋敷は完全に瓦礫の山へと化した。
舞い上がった土煙。
それを追うように空へと視線を移した三人の目に、無数に輝いていた星達が映された。
「星……」
「もう大分夜中らしいな」
ノックスの小さな呟きに、隣で空から目を離さないままライムが言った。
ティラを抱えたまま、ティートが感嘆の声を上げる。
『ありがとう』
「……!?」
囁くような、そんな声が聞こえた。
それは全員の耳に届いていたらしい。
ノックス、ティート、ライムは同時にそれぞれの顔を見合せ、崩れた屋敷を見つめた。
夜の冷たい空気が、やけに気持ち良く感じた。
――vrai――
「夜の魔物は活発だ。日が昇るまで動かない方がいいだろう」
そう言ったライムにノックスとティートは頷いた。理由は一つ、ティラがいるから。
三人だけならばギリギリバハートにたどり着けるだろうが、ティラを守りながら行くのは危険だ。ノックスもティートもライムも、大分体力と魔力を消費している。無理をしてバハートに行く理由もないわけではないが、今は安全に慎重に行動した方が良いに決まっていた。
屋敷は崩れてしまったが、敷地の庭ではほとんど壊れているものはなく、塀もあったため外でも大分安全だろう。庭の真ん中にあった噴水は今も変わらずに水を空へと吹き出している。
その噴水の端に一人で腰掛けて水面を黙って見つめていたノックスに、ライムが気づいた。
声をかけようと口を開いたが、視界の端からノックスに近付いていったティートを見て、僅かに肩をすくめてその場を後にした。
「ノックス、大丈夫か?」
水面を見つめていたノックスにティートが声をかけると、ノックスは顔を上げて「あぁ」と笑んでみせる。
そんなノックスから視線を左足の方に移し、ティートは眉を寄せた。
回復術をかけたのだろうが、あまり効いていないようだ。傷は完全に治りきっておらず、まだ生々しく残っていた。
「痛むか?」
ティートの問いにノックスは首を振った。
「だいぶ良くなった」
「そうか」
言葉少なく、二人の間に静寂が立ち込める。そわそわと落ち着かない様子のティートに気付き、ノックスは苦笑しながら座ればどうだ?と呟くと、ティートは少し躊躇いながらもノックスの隣に腰を下ろした。
「……その」
「?」
ボソッと呟いたティートに、ノックスは首を傾げる。
「何か言ったか?」
「あ、いや……あれだ……」
「??」
珍しく素直に言おうとしないティートに、ノックスは更に疑問を抱き、眉を寄せた。
「や、やっぱ何でもねぇ……!」
「何だ? 言いたい事があるなら言ってくれ、気になる」
「気にするな!」
ティートの顔を覗き込んだノックスの視線から逃れようと、ティートは顔をぷいっと背ける。そのティートの横顔を見ると、耳が少しだけ赤くなっていた。
「……?」
寒いのだろうか、と内心思いながらノックスは空に顔を向け、その目に星空を映した。チカチカと様々な色の星が懸命に耀いている。
「ノヴァは」
「ん?」
ノックスが呟いた声に、ティートが声を上げる。
「ノヴァは手に入らなかったが、それ以上のものが見つかったな」
「……あぁ」
ティートが嬉しそうに言った。
「これでバハートも元に戻る」
「あぁ」
空から視線を外したノックスとティートの瞳が交差する。
「良かったな、ティート」
そう言ったノックスは優しく笑った。
だが、ティートはノックスの言葉とその笑顔にずきりと胸が痛んだ。
ノックスの笑顔は何度も見た。だが、こんな笑顔を見たのは初めてだ。
「ノックス……?」
そう呼んで肩に手をかけようとしたティートの手は空気を掻く。立ち上がったノックスに目を向けるが、髪に隠れて表情はよく見えなかった。
「ティラを一人にするな。 寂しがるぞ」
「あ、あぁ……」
辺りを見てくる、とティートに言い残し、ノックスはその場を後にした。
そのノックスの後ろ姿を見ていると、目を覚ましていたティラが近寄ってきて、きゅっとティートの手を握りしめた。
「ア、アサルト……?」
そう呼ばれるのは何年振りだろうか。ティラの声に、ティートは微笑みながら口を開く。
「はい、ティラ様」
「ほんとに、アサルト……なのですね?」
「……はい」
握り締めていたティラの手に、ティートはもう片方の手を重ね握り返すと、ティートを見上げていたティラの瞳に涙が溜まった。その姿はとてもノックスの泣き顔と似ている。
「会いたかった……アサルトっ……!」
作品名:「Nova」Episode 作家名:刹那