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ぼくらのふねはワルツをおどる  1.ゆずれないもの

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陸の上の舵取り




「いつも思うけどさぁ、」
 タバコの煙とともに河川敷に現れた男は、やけに遠い目で川を眺めて呟いた。スーツにくたびれたトレンチコートなら、職にあぶれて暇をもてあそぶサラリーマンのようだ。
「ここって、学校から地味に遠いよな」
 徒歩10分たらずを遠いと言うくたびれた顧問は、そのまま長く息をついた。俺はさりげなく横に半歩下がり、瀬田との距離を取った。このまま左半分の視界を消してしまえば、俺は穏やかな気持ちで川を眺めていられるのに。だいたい、いつもと言えるほどお前は毎度ここに足を運んでいるのか。そしてそれは、わざわざ来てやったぞアピールなのか。そもそも教師が生徒の前で、いかにもダルそうにタバコ吸うってどうなのか。考えれば考えるほど腹の中でトゲトゲしたものが固まって、吐き出したくなってくる。まったく、よろしくない。俺はそれにとらわれまいと、川の上へ意識を集中させた。
 すでに十近くの艇が川に出ていた。よろず橋の先にかかる八重橋までのこの区間は距離にしておよそ1000m。ほとんどの大会で漕ぐ距離がこの距離になるので、ここで練習する艇はおのずとこの場所に集まってくる。市民に親しまれる程度のこの川は、大会の時に行くようなきちんと整備された漕艇場とちがい、途中に橋もあれば川自体も緩やかではあるが蛇行している。カヌーなどと違い、ボートは漕手が向いている方とは逆向きに進んでいくから、長い距離を障害物なく取れるこの場所は貴重だった。もちろん、出ている艇のほとんどのブレードカラー(オールのデザイン)は、青地に白い2本のライン―北高のクルーだった。北高の今日の練習メニューは長距離漕らしく、比較的ゆったりとしたペースの艇が留まることなく川の流れを作っていた。
「秦ぁ」
 さすがに名前を呼ばれたら返事をしないわけにはいかない。なんですか、と答えるとタバコをくわえた唇が意味ありげに吊り上った。
「最近どーよ」
「どうって…」
「彼女とか、できた?」
 一瞬でも部の近況を聞いてきたのかと誤解した自分がバカだった。
「…冗談だって、そんな目で見るなよ。普段お前メガネだから、もしやと」
「部活の時はいつもコンタクトです」
 あぁそうなの、と瀬田はそれきりあっさりと黙ってしまった。相変わらずやりずらい。4月に新任したばかりの瀬田は、学校の教師の中でも浮いた存在だった。クラスでの最初の授業の挨拶も、部活のときとほぼ変わらなかった。
『俺は授業中にお前らが何をしていようと一切口を出さない。十何年も生きてりゃ、俺の授業が必要か否かくらい判断できるよな。ただしぺちゃくちゃ喋ったりまわりに迷惑をかけるのは許さない。あと、成績が伸びないって、俺に文句つけてくるのもなしな。知りたいことがあるなら、俺はいつだって答えてやる。ただし、考えて行動するのはお前らの仕事な』
 まさかここでも自分のスタイルを曲げないとは、と俺は感心を通り越して呆れていた。クラスのみんなも最初唖然として、「えらそう」とか「無責任」とか好き勝手言っていたけれど、今となっては瀬田の放任主義にみんな耐性がついている。最初こそインパクトがあったものの、瀬田の授業は黒板をあまり書かないことと、雑談にそれやすいことをのぞけば割とふつうで、真面目に話を聞く人もいれば、自習に精を出す人や、ずっと寝てる人もいる。他の教師の授業もだいたいそうだけど、瀬田の場合それをよしとしているから、結構みんなのびのびとやっているように思えたりもした。
 そんなふうにして、ボート部ものびのびやれたらいいのだけど、高校生だけでやるにはボートは制約がありすぎた。北高の吉野先生の厚意がなかったら俺たちは艇を出すこともできない。そこらへんは何度も瀬田には話したのだけど、「漕げるんだったらいいんじゃないか。やりたいようにやれよ」とあっけらかんと返されるのが常だ。北高に対して全く引け目がない顧問が、こうやってこの場所に来ると、俺は勝手にはらはらしてしまう。そして腹にはどんどんトゲトゲが固まってゆく。まったく、いいことが一つもない。
 気を取り直して俺は川に視線を戻すと、二つの赤いブレードを探した。そろそろ2回目の周回を終えて、瞬也たちの艇がまた目の前を通るはずだ。こんな奴のせいで練習をおろそかにするなんて、あってはならない。もう少ししたら帰るだろう。それまでは、耐えねばならない。俺は手にしていた赤いメガホンを持ち直した。
「そういやお前、ふね乗らないの?加納と高野はもう出てるんだろ」
 川を見るのに飽きたのか、瀬田は思い出したように口を開いた。俺は川に目を向けたまま答えた。
「乗りません。俺はコックスなんで」
「あー、それ前にも聞いたな。声かけ係だっけ?」
 瀬田が完全に言い終わる前に、俺は瀬田の方に向き直り語気を強くした。
「コックスは声かけ係じゃありません。舵取りです」
 瀬田は少し驚いたように目を大きくしたが、すぐにわざとらしく首をすくめた。
「それじゃ、ますますなんでだ。舵って、ふねに乗らなくても取れるのか?」
 それに答えるより早く、視界の端に赤いブレードをとらえた。すぐさま川に向き直ると、メガホンを構えた。一定のスピードで進んでいく艇の群れの中、瞬也たちの艇はするりと飛び出すと、テンポよく艇速を上げていった。1本、2本、3本。一漕ぎ一漕ぎオールが水を掴む様に目を凝らす。
「俊樹キャッチ遅れてる、もう一息早く!」
 足蹴り(強く蹴りだすように漕ぐ漕ぎ方)が入っている艇は伸びがあるけれど、オールを入れた瞬間わずかだが艇速を落としていた。すぐさまオールが作る波の形を追った。声を大きくする。
「瞬也オール深い、一枚入れていこう!」
 頭を振って汗を払う俊樹がきっつ、と叫んだのがわかった。前の瞬也は声は出さないものの表情は厳しい。俺はメガホンを強く握ると2人にぴたりと標準を合わせた。
「まだまだ行けるよ、ラスト1セット、さぁ行こう!」
「せいっ!」 
 二人の声がそろうと、艇はまたすっと伸びるように艇速を上げた。見る見るうちに小さくなっていく艇を追っていると、隣の瀬田は、ほー、と感嘆ともうめき声ともつかない声を上げた。
「お前やっぱりいい声してんな。久々に鳥肌たったわ」
「…別に、そんなに大したことないですよ」
 大きな声ならだれでも出せる。大事なのはただ届くことじゃなくて、しっかり伝えられることだと、同じコックスだった先輩が言っていたのを思い出した。俺は、さっきの答えていない質問を忘れてはいなかった。
「コックスが乗れる艇は、高校競技じゃ4人で漕ぐクォドだけです。瞬也たちが漕いでいるダブルには、コックスは乗れません」
「なるほど。じゃあ要するに、ポジションのない秦は今あの二人のコーチ兼マネージャーってとこか」
 瀬田が向けた人差し指に、俺はとてつもなく居心地が悪くなった。それは、俺の立ち位置を割としっかり指さしていて、それがまたたまらなく不快だった。
「また、そんなこわい顔でにらむなって。俺だって顧問として把握しておかなきゃいけないことはなぁ」
「どうせ教頭先生に怒られたんじゃないですか」
「あれ、お前見てたの?」