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ぼくらのふねはワルツをおどる  1.ゆずれないもの

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 返事をするかわりに俺は大きくため息をついた。もうすごい剣幕でさ、と聞いてもいないのにしゃべり続ける瀬田を見て、俺はこんな大人には絶対なるまいと意思を固くした。
「だってお前らだって、俺みたいな門外漢に知ったようなこと言われるの嫌だろ?好きなようにやればいいよ、打ち込みたいことなら、なおさらな」
 いいこと言った、みたいな得意顔はやめてほしい。許されているのか、ほっとかれているのかなんて、紙一重だ。どっちにしろ、この顧問に期待することは多くない。今までだってそうだった。ボートというなじみのないスポーツの顧問なんて、先生からしたら面倒事でしかない。練習を遠巻きに見つめて、最後に「君たちの努力は報われる」みたいな、根拠のないことを言って帰っていくのが常だった。どちらもわずらわしいと思っていたはずの関わりがなくなった分、今の方が楽なのかもしれないけど、それでもやっぱり俺は、こんな大人は嫌いだった。
「にしても、今じゃたったの3人か。寂しくなったもんだなぁ」
 瀬田は白いけむりを川に吐くと、短くなったタバコを携帯灰皿にしまった。こういうところはしっかりしているところが、また腹立たしい。
 川の上では、ちょうど北高のクォドが目の前を通り過ぎるところだった。ピッチ(1分間に漕ぐ回数)はそれほど高くはないが、コックスの声とともに、青のブレードが4本ぴたりとそろって、漕ぎがとても大きい。きっと、あのコックスシート(艇の中でコックスが座る場所)からの眺めは絶景だろう。波のない水面は、しばらくその艇が残したまっすぐな筋を覚えていた。
「でも、春になって新入生が入れば、お前もふねに乗るんだろ?あいつらと一緒に」
「乗りません」
 間髪入れずに答えた俺に、瀬田はえ、と目を丸くした。
「去年だってそうだったろ?それまで別のふね漕いでた同じ学年の奴らが、一緒のふねに乗ってさ。お前がコックス?してたじゃん。最後の締めくくりはみんなで、っていう趣向じゃないのか?」
「それじゃ勝てない。だから負けたんです」
 滅多に顔を出さない割には、よく覚えているものだ。6月のインターハイ予選、今年引退した先輩たちが漕いだ、最後の大会。そして俺が最後に艇に乗ったレースだった。
「今のダブルはあの二人で完成されています。あれなら十分上を狙える。インハイだって夢じゃない。それなのに全く初心者の新入生と組ませたら、今までの練習がすべてふりだしに戻ってしまう。そんなもったいないこと、できません」
「じゃあお前は?コックスできないじゃん。高校最後の年だろうが」
 また腹の底がトゲトゲしてきた。門外漢のくせに、知ったようなことを言ってるのはどこのどいつだ。
「最後だろうが関係ないです。俺はあの二人のコックスです。あの二人が勝てるんだったら、俺はなんだっていい。勝てるために漕がなきゃ、意味なんてない」
 トゲを吐き捨てるように言うと、瀬田は眉をしかめてふーん、と納得できないような困っているようなあいまいな表情を見せた。手持無沙汰になったのか、コートのポケットをあさり新しいタバコをくわえると、こちらを見てその口に薄い笑みを浮かべた。
「秦は将来、幸せになれないタイプだな」
「なんですかそれ」
「大丈夫、褒め言葉だ」
 何が大丈夫で褒め言葉なのか、俺にはさっぱりわからなかった。何も答えずにいると、瀬田はまた勝手にしゃべりはじめた。
「ま、お前がそれでいいならいいさ。でもそんなに必死になりすぎるなよ。いつぞやみたいにさ。高校最後って言ってもお前らはまだ」
「おいピッチさがってるぞ、上げていこう!」
 続く言葉をさえぎるように、対岸に向かって思い切り叫ぶと、瀬田は呆気にとられたように瞬きを何度も繰り返した。俺は瀬田を真正面に見据えた。
「必死になることのどこが悪いのか、俺にはわかりません」
「……まぶしいなぁ」
 目をしょぼしょぼさせて笑う瀬田に腹の底はまたざわついたけれど、こいつに分かってもらう必要なんてないと口を結んだ。すると、そうだ、と瀬田は思い出したようにまたポケットをあさった。出したのはタバコではなく、折りたたまれた1枚の紙切れだった。 
「教頭のせいだけじゃないさ。今日はこれを渡しににな」
 手渡されたそれを広げると、「県選抜合同合宿の選手参加表明について(再送)」と記されていた。しまった、と俺は心の中で舌打ちした。同じ紙は1週間前に吉野先生から渡されていた。
「俺にはさっぱりだけど。もう聞いてるんだろ?高野のことだよなそれ。催促だから、早めに返事してやれよ」
「……はい」
 いっその事今すぐ参加に丸を付けて、瀬田に渡そうかとも思ったが、ここ数日間の瞬也とのやりとりを考えると、後で何をされるかわからなかったからやめた。紙切れをしまって、また川に向かうと、ちょうどメニューを終えた瞬也たちの艇が対岸に浮かんでいた。これからまたこちら側に戻るために、俊樹が艇を回している。その途中、俊樹の視線が不意に上に持ちあがると、橋に向かって大きく手を振りはじめた。その視線の先には、うちの学校の制服を着た女子が数人、橋の欄干越しに固まっていた。俊樹とは違ってひかえめに手を振りかえしている。
「あいかわらず加納はモテるな」
 瀬田が悔しそうに呟いた。高校生相手にひがんでどうする。橋の上の女子たちは俊樹に向かって何か伝えようとしていたが、俊樹は聞き取れないらしく、なんだってー、と大きく叫んでいた。そろそろ瞬也がイラつき始めそうだ。二人に声を掛けようとメガホンを手に取ったとき、ちょうど橋の上の一人の女子と目が合ったような気がした。
「おいあいつ、お前に手振ってるんじゃないか」
「え」
 瀬田に肩を叩かれて目を凝らしたけど、もともと目もよくなければ、顔覚えも悪いのも手伝って結局誰かわからなかった。そのうち、その子は川の方へ向き直ってしまった。
「無視か」
「ちがいますよ、きっと、勘違いです」
 にやにやからかうように笑う瀬田を無視して、川に視線を戻し1周のクールダウンを告げると、俊樹は右手を上げて応じた。俊樹が橋の上にまた大きく手を振ると、女子たちは欄干を離れ、橋の上を歩き始めた。俺は頭の隅に引っかかったその子の背中をちらりとかすめてから、また川の上の赤いブレードを追った。