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ぼくらのふねはワルツをおどる  1.ゆずれないもの

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 すぐに追いつけると思ったのに、後ろ姿を見つけたのは駐輪場を出た後だった。校舎の前の一方通行の狭い道路をぐねぐねと蛇行しながら走るクロスバイクを目指して、ペダルを強く踏んだ。日はまだあるけれど、顔に吹き付ける風は芯まで冷たい。マフラーの裾を結び忘れたのを後悔した。
「はねられるよ」
 横に並んで声をかけると、俊樹は視線だけ寄越してにたりと唇で笑うと、俺のママチャリの横っ腹を思い切り蹴った。慌ててハンドルを強く握る。
「ちょっと、あぶないだろ!」
「いやーなっちゃんも隅に置けないなぁ!」
 はぁ?と思わず腹から声が出た。
「何言ってんの、あんなに大勢の女子を手玉に取って!」
 呆れてため息も出ない。多分転がされていたのは自分だ。
「で、誰に告白されてたの?くるみちゃんだろ?」
「ちがう。というか、くるみちゃんって誰」
「ウソ。佐々木くるみ。さっき目の前にいただろうが」
 その時初めて佐々木さんの下の名前を知った。俊樹はだいたいの女子を下の名前で呼ぶ。それが許されるのも、結構すごいことだ。にたにたと笑い続ける俊樹に言い訳をしたくて、最初に呼び止められたきっかけを思い出そうとしたけど、なかなかすぐに出てこなかった。
「あー、だから。そうだ、今日、班でやった化学実験のレポート、みんなでまとめようって言われたんだ。でもあれは個人課題でデータを共有してれば一人でもできる課題だったし、部活もあったから明日の朝でもいいかって話してたんだよ。そうしたら話題が思わぬ方に…って、俊樹、」
 あーーとまるでエラー音のような唸り声を上げる俊樹に、続く言葉が途絶えた。
「お前ほんとに男か?タマついてんのか?紳士なのか?」
「男さ、ついてるよ、紳士かどうかは知らないけど」
 俊樹はしかめ面で何度も首を振ると、やたら深いため息をついた。
「天然は業が深い…」
「あんなに寄ってたかって来られちゃ、たまんないよ。俊樹が来てなかったらどうなってたか」
「なっちゃん分かってる?俺、助けたんじゃなくて邪魔したんだよ?」
 俊樹が言わんとしていることは分かる。確かに女の子と放課後一緒に課題、なんて甘い響きだけど、4対1じゃ分が悪すぎる。しかも同じ班の佐々木さん以外の女子の名前は、全く分からなかった。昔から、人の名前を覚えるのは苦手だ。
「だいたい、俺がいなくて困るのは俊樹たちだろ」
「まぁそうだけどさー」
「それとも、バスケ部の俊樹には関係ない?」
 わざと俊樹が困るような言い方にすると、にわかに俊樹の語気が弱まった。
「あーもー、そういう意地悪な言い方ないだろ。あれは便宜上だって言ってるじゃん」
 はいはい、といつものように軽く流せるくらい、俊樹の自称バスケ部は当たり前になっていた。それでも、俊樹はまだ何か言いたげに唇をとがらせていた。なに、と聞くと、少しの間があった後に後ろ頭を軽く叩かれた。
「もっと楽しめよなーなっちゃん。ボートだけじゃないぜ。青春は一度きりってね」
 確かに俊樹なら、あの4人を楽しませるくらい簡単なことだし、それを楽しむことだってできるんだろう。でも俺にとっては苦行でしかない。たぶん、それだけのことだ。俺には俺の楽しみ方がある。
「ご忠告ありがとう。じゃあ今日はどんなきついメニューで、二人をいじめて遊ぼうかな」
 溢れんばかりの笑顔でそう言うと、俊樹はひっ、と顔をひきつらせた。
「夏紀、それはちょっと趣味が悪いんじゃないかな」
 俺は聞こえなかったふりをして、一方通行が終わって広くなった道路へと先に漕ぎだした。しかしそこはママチャリ、すぐに俊樹のクロスバイクに追いつかれると、あっという間に前へ行かれた。このあたりは市の高校が集まっていて、歩道には帰宅する学生たちで賑うなか、車道脇を颯爽と駆け抜けるクロスバイクはみんなの視線を集めていた。手足の長い俊樹は、線の細いクロスバイクに乗るととても様になる。俺はその背中をせっせとママチャリで追った。
「女子たちにさ、」
 川に掛かるよろず橋の上り坂にさしかかっても、俊樹のクロスバイクはすいすいと先を行く。あー?と、背中越しに振り向いた背中に追いつくように、大きく息を吸い込むと身を乗り出してペダルを踏んだ。肺の中がすうすうする。
「秦くんは、文化部だと思ってたって言われたよ」
 きっと笑ってるんだろう、白い息が後ろに飛んで行くのが見えた。坂のてっぺんでようやく横に並ぶころには体が温まっていた。いいウォームアップだ。
「まぁ、なっちゃんはちっちゃくてカワイイもんな」 
「カワイイって…」
 顔をのぞき込まれて反射的に身を引いてしまう。くすぐったい笑顔のまま俊樹は首を傾げた。
「なに、なっちゃんそんなこと気にしてんの?」
「別にそういうわけじゃないけど、」
 けど、なんだろう。言葉にしないまま、橋の下の水面の状態を伺った。もう癖のようなものだ。風もなく、水面は触れたくなるほどなめらかだった。コンディションは良好だ。ちょうど真下を艇が走っていった。松の葉のように細い船体についた四本のオールが、弧を描いて水面に筋を残していく。クォドだ。
「胸張って言ってやればいいじゃん、俺は艇の上で一番偉い司令搭だ!ってさ」
「そんなに大したもんじゃないだろ」
 ちらりと横を見ると俊樹も同じ艇を追っていた。この時間に出ているということは、恐らく大学生のクルーだ。キャッチ、ソーとオールの動きに合わせてコックスの声が小さくこだました。
「だいたい、今は艇に乗ってないしさ」
「乗ってなくても、なっちゃんは俺たちのコックスじゃん」
 俊樹はさも当たり前のようにさらりと言ってくれた。それだけで俺は嬉しかった。黙って頷いて、艇庫の方に目をやる。すでにシャッターが開いているのが見えた。不機嫌な瞬也の顔が浮かぶ。
「早く行こう。瞬也にへそ曲げられると、面倒くさい」
 そのまま先を行こうとしたけれど、すぐに横に並ばれた。うーっ、さみぃー!俊樹は大げさに肩をすくめると夏紀ぃ!と馬鹿みたいにでかい声で自分の名前を呼んだ。
「はやく春にならないかなぁ!来年は、新入生いっぱいいれよーぜ!」
 大声に圧倒されて、気がついたら笑っていた。ありがとう、と言いかけて、やめた。うん、とだけ頷くと俊樹は満足げに笑った。