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Higher and Higher (前)

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高千穂Ⅰ



 恵介は一人で、学校から駅までの道を歩いていた。いつもなら高千穂や他のやつらとバカ話でもしながら歩いているので、ものさびしさを感じる。昨日、千里や総一郎とコンビニに寄って肉まんを食べたのを思い出しながら、黙々と足を動かした。
 電車に乗り込んでぼんやり吊り広告をながめているうちに、寄り道をすることを思いついた。どうせ家に帰ってもテレビを見てしまうのだから、途中の図書館に寄って勉強でもしよう。テスト週間だし。
 そう考えて、図書館のある駅で降り、自習室に行くことにした。しかし、初めて足を運んだ自習室は、学校帰りの受験生や浪人生で席が埋まっていた。
 ついていない気分になりながら、しかたないので図書館の正面にあった喫茶店に入った。このまま帰るのはしゃくな気がしたのだ。
 無機質なビルが建ち並ぶ大通りの中で、壁全体が煉瓦模様になっているその喫茶店は、浮いて見えた。遠くから見ると本物の煉瓦造りになっているので、なおさらだ。近くで見ると、蔦まで描かれているのがわかる。入り口上の、木製に見せかけたスチールの看板には、「エリス」と書かれていた。扉にステンドグラスが入っていると思ったら、中から見るとシールだった。偽物だらけの店だ。
「いらっしゃいませー」
 カウンターの向こうから、ポニーテールを高く結った女性が顔を出した。奥から三番目のテーブル席に案内される。店内は吹き抜けになっており、剥き出しの梁の間でゆっくりとプロペラが回っていた。客は恵介以外に五人ほどいた。
席に着くと、恵介はまずメニュー表を開いて、一番安い飲み物を探した。昨日、千里に肉まんをおごった上に自分のぶんも買ったので、金がないのだ。「俺は? 俺は?」と騒いだ総一郎は、もちろん無視した。
よし、ホットミルクに決定。
「すみませーん」
 呼び鈴がなかったので、カウンターに向かって声をかけた。
「はい、ただ今―」 
 女性の声ではなく、若い男の声が返ってきた。バイトだろうか、と考えながら、鞄から参考書とノートを引っ張り出す。
「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
 黒いエプロンをした男が、テーブルの前に立つ。その声に聞き覚えがある気がして、恵介は注文を告げる前に、店員の顔を見上げた。
「あっ……」
 恵介は短く声を上げる。男は、長い前髪を上げて広い額をさらけ出していた。見慣れない髪型ではあるが、間違いない。
「高千穂!」
 今日学校を休んだ、高千穂だった。どこか悪くしているようには見えないので、浦部の言うとおり、サボっていたのだろう。高千穂の方も、恵介を見て目を見開いた。
「恵介……」
「びっくりした。お前、ここでバイトしてたんだ? 知らなかったよ。つーか、学校サボるなよ」
 恵介は学校の友達と外で会えたのが嬉しくて、固まっている高千穂の脇をつついた。高千穂はワンテンポ遅れて、「ああ、ごめん……」とうなづく。
 高千穂は、黒いエプロンの下に白いブラウスを着て、首もとに細いリボンを結んでいた。普段、制服のボタンはだらしなく開けっぱなしにしてあるのに、今は一番上まで留められているのが、おかしい。ずいぶんと窮屈そうに見える。
「注文は?」
 恵介がニヤニヤと笑いながらながめるのに気分を害したのか、高千穂はどこかぶっきらぼうにそう言った。
「なんだよ。おまえ、俺に保健室の掃除おしつけたくせにさー」
 冗談めかしてそう言うと、高千穂の顔色がサッと変わった。眉根がぎゅっと寄って、表情に悲壮さが漂う。
 恵介はあわてた。怒らせるつもりはないのだ。そもそも、本当は掃除をしていない。
「ま、まあ、でも、俺もけっこう学校休んでるしな。いつかおまえに同じ事しちまうかもしれないから、それまでの借りってことで……」
「あら、慎吾くんの友達?」
 とりつくろうとする恵介の言葉は、女性の楽しそうな声によってさえぎられた。高千穂と二人してカウンターを振り返る。造花の鉢が置かれたカウンターから身を乗り出して、女性がこちらに笑いかけていた。
「あっ、すみません、涼香さん」
「いいよぉ。今そんなに忙しくないし、その子と一緒にお茶でもしたら?」
「いや、そんな。仕事中ですし」
 こいつ、敬語が話せたのか。恵介は、しぶって首をふる高千穂を、信じられない思いで見上げた。高千穂が他人に対して、こんな丁寧な態度で接するのを、初めて見た。
 高千穂は恵介の視線に気づいて、それを払うようにしっしと手をふった。もちろん、そんなことではやめてやらない。涼香と呼ばれた女性は、ニコニコ笑いながら、高千穂に休憩をすすめていた。
「だいじょうぶ。うちのエプロン付けてるうちは、ちゃんと給料出してあげるから」
「でも」
「その代わり、ケーキくらいは注文してね」
 結局、高千穂が折れて、恵介の向かいに腰を下ろした。前髪をとめていたピンをはずし、手で前髪をなでつける。いつもの高千穂にもどった。表情が見えずらくなったので、恵介は少し残念に思う。
 高千穂は恵介と目を合わせようとはせずに、メニューを手に取った。自分で選ぶのかと思いきや、恵介に開いて示す。
「掃除サボったおわびに、おごってやる。なんでも好きなもの注文しろよ」
「えっ、マジ?」
 高千穂が開いたページには、コーヒーなどの飲み物が写真付きで載っていた。頼もうとしていたホットミルクは、はしの方に一番小さく載っている。思わず、一番右上の大きい写真に目がいった。ホットミルクに比べると、商品名が長くて、値段も格段に高い。
「……ブルーマウンテンコーヒーで」
 値段が高いとわかっていてそれにしたのは、あいかわらず目を合わせてくれない高千穂に対する意趣返しと、総一郎から聞いた部活のことをふくめて、自分の知らない高千穂がいるのがなんだか悔しかったからだった。そう気づくのは、ずいぶん後になってからだった。

作品名:Higher and Higher (前) 作家名:春田一