みずいろ
演奏会
それから二日後。
6月12日、日曜日。
この日はかなり慌ただしいスケジュールだった。
同じ楽器担当だったひとつ上の代の先輩の誕生日だ、ということすら思い出す暇もなかったくらいに。
午前中は地元にある私立大学で英検を受け、その後父の車で送ってもらい、午後は、県内で連盟に所属する中学校が地区ごとに集結して発表する吹奏楽の演奏会に参加することになっていた。
まだ外部での演奏会の経験がない1年生の後輩が心配ではあったが、彼女は真面目な子だし必要なことは教えたからおおかた大丈夫であろうと信じることにし、思ったより簡単だった試験のマーク欄をすべて埋めて提出した。
―――
演奏会の会場につくと、階段の端で2年生数人と副顧問のひとりが一緒にお弁当を食べているところだった。
「おぉ、一ノ瀬さん来たか」
副顧問が声をあげ、それに続いて2年生たちは次々にこんにちは、と挨拶をする。
こんにちは、と皆に返しながらふと違和感に気づく。
「あれ、他のみんなは」
「ああ。皆はまだだよ。もうすぐ来るはずなんだけどねー」
聞けば、彼らは楽器搬入の関係で他の部員よりも早めに会場に向かったのだと言う。だけど、まだ楽器を乗せたトラックが来ておらず、時間が余ったので先にお昼を取ることにしたのだそうだ。
「まだ時間あるし、一ノ瀬さんもお昼食べちゃえば?」
先生がそう言って勧めてくる。
確かにトラックと他の部員が来ないことには身動きが取れないし、先生の手前携帯も使えないので、私はお昼を取ることにした。
鞄から弁当の袋を取り出すと、同じ低音パートの2年生でチューバ担当の男子部員が階段の席をひとつ空けてくれた。
弁当も食べ終わる頃、他の部員たちは到着した。
思わず立ち上がり、水のない砂漠に食糧を持った救助隊が来て喜んでいるどこかの難民のような出で立ちで、私は両手でぶんぶん手を振りながら後輩の名を叫ぶ。
実際、一部を除いて苦手なメンバーばかりがひしめくこのお弁当コーナーの空気に耐えるのは、このときには限界に近づいていた。
「あーんなちゃーーーん!!」
こちらに気付いた杏奈ちゃんは、一瞬でその顔を笑顔に塗り替え、周りの低音パートの人々も一緒にこちらへ向かってきた。
「先輩!来たんですね!!」
「ごめんね、英検なんとか終わったよ~」
あれこれ言葉を交わしていると、後ろから口を挟んできたのは同じ学年でバスクラリネット担当のケロちゃんだ。
「なっちゃん、どこ行ってたんですか!弦バスの搬入の時大変だったんだから!」
「ケロちゃんごめん~、ありがとう!英検だって昨日言ったよ?」
ケロちゃんの話し方は独特で、普段はのんびりおっとりマイペースなのに、言い訳めかしたことを言うときや不平を言うときには捲し立てるようにレロレロと早口になる。また、話し相手が同い年や後輩相手でも中途半端に敬語が混じる癖がある。
ちなみに、この日英検を受ける部員は私の他にも数人いたが、ほとんどの人は演奏会に出なかったようだ。昔は仲良かったけれど今はお仲間と一緒に私の悪口を言っている3年のフルート担当はその場にいなかった。
そんなことを考えていると、トロンボーン担当の副部長の叫び声が聞こえてきた。
「集合してください、点呼します!」
「ハイ!」
3年目の吹奏楽生活で、すっかり身に付いた返事のしかた。声は大きく、目線は上に、間延びがないように、もっと高いトーンで!表情が暗い!腹筋使ってください!お腹動かしてください!
入部したての頃こそ散々先輩たちに注意されてきたことだが、今では意識しなくても反射的にできるようになってしまった。
「フルート!」「月野先輩が英検でいません」「クラ!」「います!」「サックス…」
副部長が点呼をとる声。何人居るかを数え、一瞬の隙も与えず答えるパートリーダーたち。それをメモする副部長。これも、最初こそ奇妙な光景であったけれど今ではすっかり慣れてしまった。
「…います!」「低音」「います」「パーカス」「います!」
点呼が終わり、結果を副部長が顧問に報告する。
何やら相談したあと、チューバ3年の部長が指示を出した。
「じゃあパート毎で鞄持って会場に入るひと一人決めて、他の人は搬入口に移動してください!」
「ハイ!」
早速低音パートで集まり、楽器の関係でコントラバスは優先的にトラックに行けるようにしてもらい、残りはジャンケンで負け残った人に鞄を託すことに決めた。
結果、負けてしまった1年生のバリトンサックスの子に皆は続々と荷物を預けてトラックに走っていった。
「ごめんなさい、私のたぶん重いけど、宜しくね」
罪悪感を感じつつ彼女に自分の鞄を預けると、ニコニコヘラヘラ遠慮しながら受け取っていた。
ちゃんと持ってくれたのを確認し、私はトラックに向かう杏奈ちゃんたちを追いかけた。