シークレットガーデン
私はキッチンに入り、きのこのオムレツを作る肇ちゃんの横でブラックオリーブを輪切りにして、フライパンにオリーブオイルとにんにくを入れた。そこにホタテとアスパラガス、もやし、ブロッコリーを入れてざっといためる。ホタテと緑野菜のガーリックソテー、出来上がりだ。私の作る料理はどうも小洒落ていると結城くんに言われている。
一方の肇ちゃんは家庭的な料理が得意だ。私も料理が得意なほうだが、肇ちゃんとはまさしく月とすっぽんだ。生来の凝り性なので、作ろうとすれば本格ビストロも純和風もパンさえ作れる。だがそこをあえて家庭料理にとどめている肇ちゃんの力量に私は白旗を振るしかない。
結城くんは料理ができない。料理どころか洗濯、掃除、整理整頓、洗い物ができない。肇ちゃんはそれらすべてが得意なので、まったく都合のいい二人である。
居間のテーブルにポトフ、きのこのオムレツ、ホタテと緑野菜のガーリックソテー、そして雑穀入りのごはんが並ぶ。私たちはそろって座り、いただきますをした。
ポトフは肇ちゃんの一番の得意料理だ。大きくぶつ切りにしたままの野菜とブロックの豚肉を、圧力鍋に全部入れて煮るんだけど、これがたまらなくおいしいのだ。結城くんの一番のお気に入りメニューでもある。今日もきっと結城くんのリクエストだ。結城くんは私の前でおいしそうにポトフを食べている。肇ちゃんはそれを困ったような不思議な表情で見ている。コンソメを啜ると、あたたかな何かが体に広がった。
その次の朝早く、結城くんは大きなドラムバッグを抱えて出かけて行った。仙台で大きな大会があるのだそうだ。
結城くんは一流の体操選手だ。大学から奨学金をもらって体操をやっている。とにかくすごい選手で、同い年に同レベルの選手はもういない。体操のことなんてまるでわからなかった私が、初めて見た映像で圧倒された。圧倒的に美しい姿だった。
大会は一週間続くので、その間は私はちょくちょくアパートに寄った。夜、私たちは一緒に結城くんの競技のDVDを見た。
日に焼けない白い躯体がしなり、宙に舞う。美しい放物線を描く。人間の体とはこうも美しいものだったかと見るたびに気づかされる。
私は画面をじっと見つめる肇ちゃんの眼鏡に結城君が反転して映っているのを見た。
肇ちゃんは静かな瞳をした背の高い青年だった。
静かな瞳は深い森の湖のように、悲しみを湛えていた。
肇ちゃんの弟の夕くんは七歳の時ひき逃げにあって死んだ。一時は町中にビラを貼って犯人を捜したが結局見つからなかった。
私はそのビラを見せてもらった。白黒写真の中で、肇ちゃんと同じ瞳をした男の子が無邪気にバスケットボールを抱えて笑っていた。
この子はもう戻ってこない。肇ちゃんは今大学で犯罪心理学を勉強している。
……三年前浩紀はソマリアに行っていた。彼は二度と戻ってこなかった。
ひき逃げにあったとき、夕くんは肇ちゃんと喧嘩して、家を飛び出してしまったのだそうだ。時間は午後五時。もっとも見通しの悪い薄暮の時間帯。
「七時になっても帰ってこなくて、どうにもおかしいってなったんだ。俺は意地を張って、アイツのことだからどっかの公園でバスケでもしてるはずだって言い張った。でも結局心配になってみんなと一緒に探しに出た。それから三十分もしないうちに家から一キロくらいのところで夕が倒れてるのが見つかった。血は大して流れてなかったから俺は安心したもんだった。……胸を強く打っていてさ、その時はもうあまり息がなかったんだ。それから病院に運んですぐに夕は死んでしまった」
何千回何万回と話してきた話なのだろう、肇ちゃんの語り口は滑らかだった。
「俺は自分を責めたけど、家族は俺にやさしかった。それが逆に辛かった。警察はひき逃げ犯を捜そうとした。でも人通りのない道で、目撃者はだれもいなかった。俺は家族とビラを作って近所に張った。毎日現場に花を供えた。でも犯人は見つからなかった。悪いのはひき逃げした奴だ。ケンカで飛び出してったのは夕だし、ケンカの原因だって夕が勝手に俺の自転車を使って、ベルを壊しちゃったからなんだ。だから俺はどうしたらいいのかわからなかった。このやり場のない気持ちをどこにぶつければいいのか……」
行き場のない悲しみ。いっそこの世がわかりやすい因果律だったら良かった。
「中学で一弥に会ったよ。あいつは子供みたいでさ。今も変わらないんだけど。笑った顔がほら……、子供みたいだろ?」
付き合い始めたころだったか忘れたが、私は肇ちゃんに「なんで結城くんと一緒に住んでるの?」と聞いたことがある。それに肇ちゃんはこう答えたはずだった。
「アイツは子供みたいなんだよ。一流選手のくせしてさ、一人じゃメシも満足に食えないんだ。誰かが面倒を見てやらないと」
そう、確かに結城くんは子供みたいだった。無邪気で、イノセントだった。肇ちゃんは彼の生活を助けてやっているのだと行っていたが実際に助けられているのは肇ちゃんの方だった。
「あんなきれいな顔してさ、一人じゃ片づけもできないし。なんだかんだしているうちに俺が面倒みる役になっちゃって。それが腐れ縁でずっと続いてるってわけ」
そういって肇ちゃんは笑った。
「だけど結構、俺も一弥に救われてたところ、結構あると思うんだ。夕が死んでから、俺はどっかおかしくなっちゃったし」
そうなのだ。肇ちゃんには結城くんが必要なのだ。私も結城くんに接することで少し救われる。結城くんはみんなを少しずつ救っている。私はたぶん、結城くんが人生に必要でない人とすごく親しくなるのは難しいと思っている。結局、肇ちゃんが最も結城くんを必要としていて、そんな肇ちゃんだから私は好きになれたのだ。……彼がいなくなっても。
私は口を開いて訥々と語り始めた。肇ちゃんと違って、私は今まであまり話す機会を持たなかったし、話す内容もそう多くない。
「浩紀には高校生の時に会った。なんか、街頭でボランティアの募金に立ってて、私はどうだったかな、わかんないけど。それで浩紀はまだ大学生なのにボランティアでソマリアに行ったの。覚えてる? 内戦。そのときも情勢はあんまりよくなかったんだけど、そのあとすぐに内戦が始まって。……それで彼は二度と帰ってこなかった」
正義感の強い人だった。ものすごく頭のいい人でもあった。頭が良すぎて、世の中のいろんな間違いやほころびが許せなくて、自分の身一つで飛び込んでしまうようなところがあった。でも決して無謀ではなかった。決して。
そういうところが、たぶん肇ちゃんと似ているのだ。
失ったものはもう戻ってこないのを知っているのに、私たちは何かを追い求めるように日々走っている。
私たち、まるで盟友みたいだね。
そういったとき、君は驚くほど柔らかに、苦笑したよね?
作品名:シークレットガーデン 作家名:坂井