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シークレットガーデン

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「君は俺をお茶に誘った。違うか?」
浩紀はまるで教師が生徒に「こんな問題もわからないのか?」と皮肉るように言った。
「はあー? 意味わかんない」
私はバカバカしくなってパフェを食べ始めた。何の変哲もないただのパフェだったけど、確かにおいしかった。

それから私たちはパフェを食べながら話をした。浩紀は私に単位がとれなくて半裸で池に飛び込んだ先輩の話をした。私はそれを聞いて腹筋が痛くなるほど笑ったのを覚えている。
浩紀は話術がうまく、さぞかし人気があるだろうと思った。実際それは本当だった。彼は友人や後輩に慕われていた。
「ねえ、最後に聞いていい?」
アドレスを交換したあと私は言った。
「何?」
「本当に世界中の困ってる人たちを救えると思ってる?」
「思ってる。……って答えるさ、だれでも。俺たちがそう答えなくて誰がそう答える? ……これでも自分のやっていることが無意味に思えるときだってあるんだ。けどそこで俺たちがやめたらどうなる? 誰もそれをしなくなったら、絶対変わるわけない。……だから自分たちに言い聞かせるように言うんだ、『救える』って」
浩紀は窓の外を見ながら言った。瞳が黒く光を反射していた。
「誰も信じなくても、せめて俺たちだけは」

それから私たちは何度かデートをした後付き合い始めた。浩紀は年下の、しかも高校生の女の子と付き合っていることを後ろめたく思ったり思い悩んだりするような人ではなかった。私たちはキスをしたしセックスもした。私は処女だったので、まあ、彼が初めての人ということになる。浩紀は真面目で夢を持っている人だったが、私生活はわりとルーズだった。浩紀は私と会う一方で、熱心にボランティアに取り組み、私も彼の仕事をときたま覗いたりした。
そのころソマリアでは飢餓が続いていて、浩紀が入っていたNGOはボランティアを派遣することにした。浩紀はそれに志願した。驚くほどあっさりと決めた。即断だった。
「ありさと会えなくなるのが寂しいな。浮気しないで待ってろよ?」
浩紀は空港のロビーでそう言った。
「絶対浮気すんなよ! 特に大学生の男とは!」
それが私の聞いた彼の最後の言葉だった。

それから後のことは、みんなもきっと知っていると思う。
浩紀が現地についてすぐに、ソマリアは政治情勢が悪化して、ほどなく内戦状態に陥った。今は無政府状態が続いている。
内戦のさなか、政府軍と反政府ゲリラの銃撃戦に巻き込まれて邦人ボランティア五名が亡くなった。浩紀もその中に含まれていた。
家に帰ってテレビをつけて、粗い映像のニュースに呆然とした。確かに海外ボランティアは危険な仕事だ。でも私は、その時まで彼は死なないと漠然と思っていたのだ。空港のロビーで、私に「浮気しなかったか?」って聞いてくると思っていたのだ。彼は殺しても死なないような気がしていた。そんなことはない。彼は人間だ。刺せば血が出るし、銃で撃たれれば死ぬ。私はそんなこともわからないただの十七歳だった。
私は一週間後彼の葬儀に参列した。遺体は結局戻ってこなかった。あまりに損傷が激しいからというのが理由だった。同じグループで活動していたほかの二十五名のボランティアの内、七名は現地人とアムネスティの力を借りて国外に脱出した。残る十二名はそのときまだソマリア国内から出られずにいた。そんな状況のなか遺族は声高に誰かを責めることもできず、無表情の裏に静かに押し殺せない悲しみを抱えていた。
浩紀の母親は沈んではいたが取り立てて憔悴しているようでも取り乱しているようでもなかった。父親はいるらしいが姿を見せなかった。彼の親族は制服を着た場違いの女子高生を不思議に思っている様子はなかった。空の箱を運んでいく葬列、煙が上がらない葬儀場の空が私の葬式の第一イメージになった。焼香をするときの彼の母親の、深い皺にあきらめが刻まれていた。

それからソマリア国内に逗留したままだったボランティアが無事国外に脱出した後、学生ボランティアの無謀さが声高に非難されるようになった。世論は彼と彼の仲間を非難した。あまりにも向う見ずだと。学生のいい加減な気持ちでやるほど海外ボランティアは甘いものではないと。それがきっかけで彼の参加していたNGOは解散した。あらゆる学生ボランティアや学生NGO・NPOが非難の嵐にさらされた。だけど私は思っていた。浩紀は決して何も考えていない未熟な学生ではなかった。決して命知らずの愚か者ではなかった。
今も、煙が上がらない空の下、十七歳の制服姿の私が叫んでいる。
浩紀は決して向う見ずなだけのバカな学生じゃなかった。

それから、彼の参加していたNGOと特に連携が深かったinter-peopleは、五人の志ある若者の死への反省と追悼から、学生の向こうみずな支援の撲滅を理念に掲げた。
そして私は、今こうして、学生NGOの一員として、国際支援に関わっている。

車内にアナウンスが流れた。次の駅が降りる駅だ。私は足元のスーパーのビニール袋を見た。中から玉ねぎとローリエの袋が覗いていた。

自動改札を抜け、駅前に出る。駅前は買い物帰りの主婦や放課後を楽しむ学生たちでにぎわっていた。西日がビルの向こうから差している。私はアパートへ向かう坂道を登り始めた。肇ちゃんと結城くんの住むアパートは、昔ながらの下町にある。商店街や一戸建てが多いのどかな街だ。通りにもどこかアットホームな空気が漂い、それが私は好きだ。私のアパートは学生の多い文教地区にあり、オシャレで新しい街並みだが他人には無関心だ。ある種の若者文化のような空気は、わりかし気に入ってるんだけど。
商店がちらほら並ぶ長い坂道をスーパーのビニール袋を提げて登って行く。オレンジ色の雲がたなびく空に目を細めた。
この世界では幸福はいびつな形に見えるようだ。だけどだれがそれを責められる?

坂を上りきったところに豆腐のような外見の白いアパートがある。私は外付けの急な階段を上り、一番端の部屋のインターホンを鳴らす。そしてそのまま返事を待たず、ドアを開けて中に入る。
「おじゃましまーす」
勝手知ったる他人の家とはこのことで、私は靴を脱いで入っていく。肇ちゃんはキッチンでじゃがいもを剥いていた。
「ありさ、おかえり」
「うん」
肇ちゃんがちらっとこっちを向いた。
「玉ねぎここに置いとくね」
私はコートを脱ぎながら居間に入る。居間では結城くんが変な姿勢でテレビを見ていた。
「ありさちゃん」
結城くんはその変な姿勢のままこちらを向いた。
「よ。……何やってんの?」
「柔軟」
「テレビ見ながら?」
確かに手足を伸ばすような動きをしている。結城くんの色素の薄い髪が揺れた。
「音だけ聞いてるんだよ」
「うそだー。今絶対見てた」
「見てない」
見てた、見てないと子供みたいな応酬を繰り返す。結局私は結城くんの柔軟を手伝った。明日は大会だというのに、途中からふざけてくすぐりあいになったりした。

しばらくするとコンソメのいい匂いが漂い始め、肇ちゃんがキッチンからひょいと顔を出した。
「ありさ、手伝って」
「はいはーい」
作品名:シークレットガーデン 作家名:坂井