風のごとく駆け抜けて
県総体と違い、今回の大会は800mも予選から組の人数は8人だった。
秋は駅伝も近いと言うことがあり、参加人数が少ないと言うのも影響しているのだろう。
予選1組目。
その3レーンが私のスタート位置だ。
係員の指示で、1組目の選手がトラックに入る
。
スタートラインに着く前に軽く流しを入れる。
問題なく脚は動いてくれている。
なによりも、全天候型トラックを蹴った時の独特の感触がすごく懐かしく思えた。土のトラックとは違い、下にゴムを引いているタータンのトラックは、ほんの僅かだが弾むような感じがする。
そう言えば、高校から陸上を始めた麻子は、最初の頃タータンも土で出来てると勘違いしていたようだ。
「いや、だって茶色だし、知識がなけりゃ分からないって」
事実を知った時、麻子はそう言ってふて腐れていた。
スタートラインに着いて、両腕を思いっ切り上にあげて背中を伸ばす。
少しだけ夏の暑さを残す日差しと、それを反射して熱を帯び、照り返しを起こしている足元のタータン。
対照的に、すっかり秋の装いを帯びた微かな風。
そして、足元のタータンから香る微かなゴムの匂いと、今からスタートする選手たちがかもし出す緊張感。
そのどれもが、私にとっては懐かしく、心を弾ませるには十分だった。
この場所に帰って来れたんだ。
駅伝部に入部した時に、また走れると言う思いを十分に噛みしめていたが、高校初の試合は私にまた別の感情を呼び起こさせていた。
「これからトラックで行われます競技は、本日最初の種目であります、女子800m予選、その第1組目であります。予選は全部で4組行われまして、各組3着までと、4着以下記録が良かった上位4名が明日行われます準決勝へと進出いたします。その第1組目。スクリーン掲載通り8名全員の出場であります」
お決まりのアナウンスが流れたあと、「位置に着いて」と係員の声が聞こえる。「お願いします」と一礼してスタート位置に着く。
ここからピストルが鳴るまでの一瞬の間が、中学生の時は好きでは無かった。
緊張の糸だけでなく、空気すら張りつめている気がしていたからだ。
でも、今は違う。
またこの緊張感を味わえるのが素直に嬉しい。
なにより、この先にあるレースが楽しみでしかたない。
ピストルが鳴ると同時に、私は勢いよく走り出す。800mは最初の約100mはセパレートと言って、自分のレーンを走らなければならない。そこからオープンになり、自由に走れるのだが、その時に少しでも前にいないと、一斉にみんなが1レーンに入って来るので走りにくいのだ。なにより、久々のレース。正直誰にも邪魔されたくなかった。
セパレートが終わると私より外側を走っている選手が内側へと入って来る。
それでも私のペースが彼女達より早いため、合流する時に私は予定通りにトップに立っていた。
前に誰もいない光景はかなり気分が良かった。現在、駅伝部で一番早い私は練習で同じ光景を見ることは度々ある。
でもそれはあくまで練習。
やはり試合だと同じ光景も違って見える。
正直に言うと、中学1年生以来の800mに最初は不安があった。
しかし、いざ走り出すと、それは一瞬でどこかへと消えていた。
むしろ、今は前へ前へと走りたい気持ちでいっぱいだ。
永野先生に「予選であろうと手を抜くことは禁止」と言われて戸惑ったが、今はそれで良かったと思う。こうして思いっきり走っても、なにも言われないからだ。
最初はすぐ後ろに聞こえていた後続選手の呼吸音や足音も、300mほど走ると聞こえなくなってきた。
どうも、私のペースに着いてこれなくなったようだ。
いや、むしろペースを落として自分のペースでレースを進めているのかもしれない。
3着までは準決に進出だ。私が後続選手の立場でも残りの2枠を確実に狙いに行く。オーバーペースで走って後半失速しては意味が無い。
後続選手の音が聞こえなくなると、今度は自分の足音と呼吸音がはっきりとと聞こえてくるようになる。
呼吸と地面を蹴る2つの音は、まるでオーケストラでも演奏しているかのように、リズムよく心地の良い音を奏でていた。
もうすぐラスト1周。
私はゴール前のフィールド部分に置いてある電動計時を見て、苦笑いをしてしまう。計時はようやく1分を回ったところだった。
あまりの気分の良さと楽しさでペースを上げ過ぎてしまったようだ。
とは言うものの、慌ててペースを落とす気も無く、むしろこの状況を楽しんでいる自分がいることに驚いた。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻