風のごとく駆け抜けて
今になって気付く。
えいりんが、今こうして私の後ろにぴったりと付いているのは、体力を削るだけで無く、それと同時に私の気持ちも折るつもりだったのかも知れない。
気持ちの糸が、最後の1本まで切れそうになっているのが分かり、悔しくて涙が出て来た。
頑張らないといけない。
まだレースは終わってないのに……。
でも、私の気持ちは限界に達していた。
きっと後3歩も走れば、私は気持ちが切れて、その場に止まってしまうだろう。
ごめん……みんな。
それは、本当に最後の1本となった気持ちの糸が、無残にも切れ始めた時だった。
「聖香頑張れ! しっかり前見て! 負けちゃダメ!」
私にはその声がはっきりと聞こえた。
晴美?
確かに今、晴美の声が聞こえた。
そんな馬鹿な。だって晴美は今年の夏に交通事故で……。
でも今の声は確かに晴美の声だった。
私は声のした方を振り返えろうとする。
だが、それは出来なかった。
「こら聖香。前見て走って! まだレースは終わってない! 都大路走るんでしょ!」
私が振り返るのを阻止するかのように、後ろから叫び声がする。
そうだ。私は晴美と約束したんだ。都大路に絶対行くと。
昨日、出発前にも晴美のお墓に行って、頑張って来ると誓ったのに……。
何をやっているんだろう私……。
突風に晒され、えいりんが私を風よけに使いながら、体力を回復していると言う事実に、私はパニックを起こし気持ちが切れてしまった。
みんながタスキを繋いで来てくれたのに、私が全てを台無しにするところだった。
大丈夫。体力的にはかなりきついし、突風のせいで不利な状況に立っているのも事実だが、気持ちは元気になって来た。
それと同時に、心の中で切れていた糸が複雑に絡まり合い、一本の太い糸へと変わっているような気がした。
太くなった糸はもう二度と切れそうには無い。
と、私は今年の夏合宿のことを思い出した。
「私の声が聞こえたら合図してね」
晴美はあの時、そう言っていた。
「晴美、ありがとう。ちゃんと応援聞こえたよ」
息を吐き出すように私は独り言をつぶやき、晴美と約束した通り、左手で小さくガッツポーズを作る。
思いっきり息を吐いた分、体に大量の酸素が入って来るのを感じる。
それが体中の隅々まで行き渡ると、落ち着きを取り戻すことが出来た。
落ち着いた分、視界が広がったのだろう。
私はあることに気付く。
後50mで橋を渡り終え、ラスト1キロを向かえる。
そのラスト1キロの看板から100mいった場所。
そこに城華大付属ののぼりが数本立っているのだが、どれもはためくこと無く、静かに立っている。
ラスト1キロの看板を持つ補助員の子は、風に飛ばされないように必死で立っていると言うのに。
つまり、あの僅か100mのどこかで、風が止む場所があるのだ。
よし、ここは勝負に出よう。
突風を受けつつ、ラスト1キロを通過する。
えいりんは相変わらず私を風よけに使い、後ろに張り付いていた。
さっきまではそれが本当に嫌だったのに、今は好都合だ。
私は全身の神経を使うようなイメージで風を捉える。
ここから100m以内のどこかに風が止む地点があるはずだ。
風が止んだ瞬間に全体力を使い、一気にスパートをかける気でいた。
のぼりまでの距離がどんどんと縮まって行き、後30mとなった時に、私の体が反応する。
「風が止んだ」
肌に風を感じなくなった瞬間。短距離選手がピストルの音にコンマ数秒で反応し、一気に加速してスタートを切るがごとく、私は体に残っている体力をすべて出し切るつもりで、一気にスパートをかけた。
あとのことはどうでもいい。
とにかくゴールテープを切るまでの900m。
時間にして2分50秒程度。
その間さえ体が持ってくれれば良い。
ゴールしてそのまま倒れてもかまうものか。
私は心のなかで必死に自分に言い聞かせ走る。
息をするたびに、肺が痛みを訴えていたし、脚にいたっては、まるで漬物石でもくくり付けているかのように重たかった。
それでも、しっかりと前へと進めている。
少なくとも、えいりんの足音も呼吸音も聞こえないくらいには差を広げているようだ。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻