風のごとく駆け抜けて
ふと、私の中で、昨年みんなで見た都大路の場面が蘇る。
「まるで、風がいつどの方向から来るか、分かっているようです」
あの時、解説者はえいりんに対してそんなことを言っていた。
もちろん、なにかしらのからくりはあるのだろう。
何か周囲の木々の揺れなのかも知れないし、もっと別の何かかも知れない。
今はそれが何かは分からないが、えいりんは確かに風が吹いてくるタイミングと方向が分かっているようだ。
その証拠に、さっきからえいりんは完全に私を風よけに使っている。
私がペースを落とすと、えいりんまでペースを落とす。
左に少しだけ蛇行すると、ぴったりと付いて来る。
ラスト2キロでえいりんが私を前に出させたのもこのためだったのかもしれない。
橋の直前になって先頭を入れ替わるより、その前から入れ変わっていた方が、位置取りも変更しやすい。
先頭に立った時、多少はえいりんの作戦にハメられている気もしていた。
それでも、先頭を走るのは気持ちが良かったし、自分のペースでレースを進められるので特に問題はなかった。
それがまさか、こんなことになるとは。
先ほど紘子の走りを紗耶の携帯で見ていた時、こんな風は吹いていなかった。
だからこそ、完全に油断したのだ。
もちろん、この橋に時々強烈な風が吹くことは知っていた。
でも、昨年葵先輩が走るのを映像で見る限り、ここまで酷く無かったし、一昨年も1区を走った時に風が無かったせいで、深く考えていなかったのも事実だ。
まるで台風のような強烈な風だ。
きっと、えいりんも多少は風を受けているだろう。
それでも、私の後ろにいる分だけ影響は少ないはずだ。
先ほどからまともに風を受け続けている私は、かなりピンチな状況へと陥り始めていた。
風の中を進むせいで、体力消費が半端なく大きい。
さらには先ほどは心地よいと感じていた秋風もここまで強烈だと、痛いくらいに冷たく感じてしまう。
この冷たさが体をものすごい速さで冷やして行き、体温を奪っていく。
このまま行けば、橋を渡り終える頃には、まともに風を受けている私とえいりんでは、体力的余裕にかなりの差が出てしまう。
まだ橋を渡り始めて100mも走っていない。
そのわずかな間で、私は天国から地獄へと落とされていた。
とにかく、橋を渡り切ってこの強風から逃げなければ。
そう思いながらも、風を受けつつ必死で走っていると、ある考えが浮かんで来た。
それは絶対に考えてはいけないことだった。
でも、一度頭に浮かんだ考えは、すぐには消えてくれない。
「そもそも、この風はどこまで吹いてるの? 橋を渡り終えたら止んでくるの? もしゴールまでこのままだったら……。そこまで体力を削られた状態でえいりんに勝てるの?」
その思いと同時に、自分の息が今まで以上に上がって来るのが分かる。
そして次の瞬間、私は決定的なことに気付く。
えいりんの呼吸音がほとんどしないのだ。
橋を渡り始めた時には確かに私と同じくらいに上がっていたのに。
私を風よけに使いながら、呼吸が整うくらいまで余裕を持ち始めている。
その事実が私をパニックに落とし入れた。
「嫌だ! 負けたくない! 絶対に負けたくない! ここまでみんなが頑張って来てくれたんだ。都大路に行くって約束したんだ。絶対に負けたくない」
必死で自分にそう言い聞かせる。
でも、それは心の底から湧きあがる言葉では無かった。
あきらかに私の中で、別の思いが湧き上がって来ている。
それを必死で抑えるように、言葉をかぶせているだけだ。
負けたくない。
だけど……。
このままだと、負けるかもしれない。
頭の中にその言葉が出て来ると同時に、体の力が一気に抜けて行くのが分かった。
だめだ。今ここで気持ちが切れたら走れなくなる。なんとかしないといけない。
それは分かっている。
ただ、この風にさらされ続け、前に進むのも必死な私には、もう気力がほとんど残っていなかった。
まだ勝負は終わっていない。
もうすぐラスト1キロだ。
でも、私の気持ちは切れる寸前だ。
一歩進むごとに、心の中でプチプチと何かが切れている音がしている気がする。
きっとそれは、私の気持ちが切れて行く音なのだろう。
もう、私の気持ちは細い糸が2、3本残っているだけだ……。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻