風のごとく駆け抜けて
だが、その並走も2キロ地点を通過するまでだった。
2キロを過ぎた所で、えいりんがすっと私の前に出た。
「懐かしむのはここまで。ここからは真剣勝負よ」
私の眼の前を走るえいりんの背中が、そう語っている気がした。
それと同時に私はあることに気付く。
この前、藍子と桂水のグランドで走った時は、藍子のフォームが昔とは変わった気がしていた。
その原因がオーバーペースだったのか、高校での練習成果なのかは結局分からなかったが。
だが、フォームが変わったなと思ったのは事実だ。
それが、今はどうだろう。
中学の時、私が県ランキング1位で優勝したあのトラックレース。
あの時と、えいりんのフォームは何ひとつ変わっていない。
蹴った左足が微妙に外へ跳ねるのと、右の腕を少しだけ外側に振る癖もそのままだ。
それが妙に懐かしく、真剣勝負をしている時だと言うのに、私は思わず吹き出しそうになってしまった。
笑いを我慢する意味も多少含みつつ、このままえいりんに主導権を握られるのが少し不愉快だったので、少しペースを上げてえいりんの前に出ることにした。
まずはえいりんの横に並び、そのまま前に出ようとした時だ。
えいりんが私のペースに合わせるように、一緒にペースを上げて来た。
どうあっても私を前に出すつもりはないらしい。
まだ焦る距離でも無いので、私は無理をして前に出るようなことはせず、リラックスして並走をすることにした。
と言いつつも、決して楽をしているわけでは無い。
時計が無いからペースは分からないが、あきらかにこのペースは速い。
少なくとも私は、確実に体力が減って来ている。
これは下手な小競り合いをするより、どこかで一気に前へ出てしまった方が得策なのかもしれない。
そう思いながら沿道を見ると、「中間点」と書かれたプラカードを持った役員の生徒が立っていた。
もう、半分来たのか。
正直言って、ここまでの2、5キロは随分と早く感じた。
でも残りの2、5キロはどうなのだろうか。
少なくとも、淡々と過ぎてくれるとは思えない。
そもそも、えいりんに確実に勝とうと思ったら、どこで仕掛けるべきなのか。
中学生の時を私は思い出してみる。
と、衝撃の事実に気付いた。
私は駅伝でえいりんと勝負をしたことがないのだ。
中学3年生の県中学駅伝。私はエース区間の6区だったが、えいりんは1区だった。桂水市内駅伝もそうだ。私はエース区間、えいりんは1区。ちなみにえいりんはどちらも区間賞。私は県では区間賞なのに市内では麻子に負けると言う結果だった。
あの時は、中学の部員からも、えいりんからも驚かれた。
その私に勝った相手が同じチームと言うのだから、世の中は不思議なものだ。
駅伝での対戦はこれが初めてと分かった以上、自分の状態とえいりんの状態をしっかりと見ながらレースを進めていくしかない。
3キロ地点を通過し、私は再度えいりんの前に出ようと試みる。
すると、さっきの抵抗はなんだったのかと問いたくなるくらいあっさりと、えいりんは私に先頭を譲り、私の左斜め後ろに1歩分だけ下がるように位置取りを変えた。
ほとんど並走状態とは言え、初めてえいりんから先頭を奪った。
いや、正しくは先頭を譲ってもらったと言うべきなのか。
でも形はどうあれ、先頭に出たのだ。
出来ればここから少しでもえいりんを離しにかかりたい。
私はフォームを若干小さくして、ピッチ走法に切り替える。
残りはもう2キロない。
若干ペースを上げたこのスピードでも、ゴールまで走り切れる自信はあった。
不思議なことに、私が先頭に出てから、えいりんは急に大人しくなった。
揺さぶるように前に出ることも無く、淡々と私の左斜め後ろをぴったりと付いて来る。
もしかしたら、ラストのトラック勝負を狙っているのかも知れない。
ラスト勝負になると、一瞬の反応遅れが命取りになる可能性も出て来る。
えいりんの動きには、しっかりと警戒しておかなければいけない。
なぜ、えいりんが私に先頭を譲ったのかは分からない。
何かしら考えがあるのは確かなのだろうが。
ただ、えいりんにどんな理由があろうとも、今私が先頭を走っていることに変わりはない。
先頭を走っていると気付いたことがある。
ものすごくありきたりなことだが、やっぱり先頭を走るのは気持ちが良いと言うことだ。
私に吹く微かな秋風や沿道の応援や後ろを付いて来るえいりんの足音さえ、先頭を走っていると自分の力に変わって行く気がして来る。
それに気付いてからは、一歩進むたびに自分がどんどん元気になって行く感じがした。
「大丈夫、この調子なら絶対に最後まで良い走りが出来る」
自分で自分にそう言い聞かせ、私はほんの少しではあるがまたペースを上げる。
目の前に赤い大きな橋が見えて来た。
あの橋を越えればラスト1キロだ。
先頭が私、左斜め後ろにえいりんと言う位置取りのまま橋を渡り始める。
渡り初めて5歩も行かないところでえいりんが、位置取りを変える。
私の右側へと移動し、真横に並んできた。
ここから仕掛けて来るつもりか。
でも、なぜわざわざ右側に?
そのまま真っ直ぐ私の左横に並べばロスも少ないだろうに。
そう思った瞬間、私は左側から殴られるような強い衝撃を受ける。
体が思わず、えいりんの方へとよろけそうになる。
強烈な風が橋の上に吹いていたのだ。
まさか、えいりんはこの風が来るのを分かっていたと言うのだろうか。
と、えいりんが私の右斜め後ろに下がる。
今度は左斜め前から、脚を一歩出すだけで体力を大幅に削られる風が吹いてくる。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻