風のごとく駆け抜けて
「はい、先頭が後2分程度で到着します。2校ほぼ同時です。1番、城華大付属高校。2番、桂水高校。準備してください」
え? 2校ほぼ同時?
私と紗耶は思わず顔を見合わせる。
いったいどう言うことだ。
「せいちゃん! これ見て!」
紗耶はそう言って、私の顔に携帯の画面を近づけて来た。
「さぁ、ラスト400mを切ってまたもや後ろを振り返った城華大付属の貴島。後ろにいる桂水高校の那須川が気になるのか。あきらかに顔には焦りが見えています。しかし貴島の2キロ通過は6分25秒。決して自分の走りが出来ていないわけではありません。これは桂水の那須川を褒めるべきでしょう。手元の資料では那須川の3000mのベストは10分15秒。しかしこの走りはあきらかにそれ以上の走りをしています。1100m地点で城華大付属に逆転されてから、必死で喰らい付いています、桂水高校の那須川朋恵。その足音が聞こえるのか、先ほどから2度後ろを振り返った城華大付属高校の貴島由香。ラスト400mの地点でその差はわずかに3秒です」
画面を見た瞬間に涙が溢れそうになった。
普段は、まるでフランス人形のように整った顔をした朋恵が、その面影すら感じさせないくらい険しい表情で、必死に走っていた。
フォームだってお世辞にも綺麗とは言えず、まさにがむしゃらと言った感じだ。
あの朋恵が、そこまで必死になって貴島由香を追っていたのだ。
「城華大付属、阿部監督は貴島が出発する前に言ったそうです。『今日はお前が勝負を決めて来い』と。当然、桂水高校が朝にエントリー変更をしたことは、城華大付属にも伝わっています。それを知った上での貴島へのアドバイスだったのでしょう。しかし、これが駅伝の恐ろしいところ。那須川の走りはあきらかに9分台の走り。思えば昨年も4区で流れが変わりました。そして今年も4区。もちろん今年流れを掴んだのは桂水高校と言っていいでしょう」
「これは本当に朋恵すごいね。死ぬ気でえいりんに追いつくつもりだったけど、これなら随分と楽にレースを進められそう」
私が安堵のため息を付いた瞬間だった。
「せいちゃん!!」
紗耶は子供を本気で叱りつけるような声で、私の名前を呼ぶ。
同時に、自分の両手を私の両肩にのせ、親の仇でも見るかのように私を睨みつけた。
お互いの距離があまりにも近いため、私は一瞬、キスでもされるのかと思ってしまった。
紘子にしてしまった自分が言うのもなんだが。
でも、紗耶の顔を見るとあきらかに怒っているのが分かる。
「せいちゃん! お願いだから、そんな考えは今からコートを脱ぐのと一緒に捨ててほしいんだよぉ」
紗耶は私の肩をぎゅっと掴み、私を睨んだまま声を張り上げる。
「わたしだって市島さんの走力がどれくらいか知ってるんだよぉ。せいちゃんは勘違いしてる。頭を冷やしてよく考えて欲しいんだよぉ。市島さんとせいちゃんが同時にスタートして楽にレースを進めることが出来るの? 追い付かなくていいから楽だなんて思ってスタートしたら、絶対に市島さんに負けちゃうんだよぉ」
それだけ言うと紗耶は私の肩から手を離した。
紗耶の言葉がまるで血液のように、私の体内を駆け巡った気がした。
そうだ。私はいったいに何を勘違いしていたのだろうか。
相手はあのえいりんなのだ。
楽に勝負なんて出来るはずがない。
実際、中学生の時に対戦したレースはどれも最後まで気の抜けないレースだった。
「ありがとう紗耶。今の一言がなかったら間違いなく私はえいりにん負けていた。なんか肝心な所でだめだな私は。入学してすぐ、麻子に怒られるし、最後の県駅伝では紗耶に怒られるし。でも、そう考えると2人がいてくれてよかった」
「せいちゃん、落ち着き過ぎで緊張感がなくなってるんだよぉ。と言うより、あさちゃんに怒られた話、わたしは知らないんだよぉ」
「あれ? そうだっけ……。じゃぁ、帰りの車で話してあげる」
私は紗耶に頬笑み返すと、ロングコートを脱いで紗耶に渡す。
紗耶もコートを受け取ると「楽しみに待ってるよぉ」と笑顔を返してくれた。
中継ゾーンに入ると、すでにえいりんはスタンバイをしていた。
「さわのんとほぼ同時スタート出来るなんて思ってもみなかった。やっぱり運命ってやつかなぁ」
「どうだろうね。えいりんの場合、熊本の高校を辞めたりしてるし、努力の結果ってやつじゃない?」
すごくまじめに答えたつもりだが、なぜかえいりんに笑われてしまう。
「てか、都大路に行くためには、桂水に大差を付けてタスキを貰える方が良いはずなんだけど。僅差でスタート出来るのが嬉しい自分がいる」
えいりんが独り言のようにつぶやく。
私はそれを聞き、紗耶がどこにいるかを確認する。
どうやら近くにはいないらしい。
「ごめん、えいりん。私も心のどこかでは、今から勝負が出来るのが楽しくてしょうがないって思ってる。都大路がかかってるのにね。チームメートに聞かれたら怒られそう」
私がえいりんに向かって本音を打ち明けた時には、貴島由香は残り50mの所まで来ていた。
「由香、ラスト」
えいりんが声を掛けタスキを受け取る。
「朋恵、ラスト頑張って」
朋恵も顔がはっきりと見えるところまで来ていた。
そうとうきついのだろう。
まだ30mは離れているというのに「はぁ! はぁ!」と言う朋恵の息遣いが聞こえて来る。
きつさのせいか、朋恵は顔をぐちゃぐちゃにして、口を大きく開け若干首を振り、涙を流し走っていた。
その顔を見ると、私まで泣きそうになってしまう。
でも、まだ泣くわけにはいかない。
私はこれから走るのだ。今からが私にとっての駅伝なのだ。
それに、こんなにも頑張った朋恵を最後くらい笑顔で迎えてやらなければ。
「朋恵お疲れ、よくがんばった」
私はとびっきりの笑顔で朋恵の声を掛ける。
「ごめんな……さい。あと……お願いし……ます」
息も絶え絶えになりながら、私に声を掛けてくれた朋恵からタスキを受け取り、私は勢いよく飛び出して行く。
「せいちゃん、前と4秒差!」
どこからか紗耶の声が聞こえた。
50m程度走り勢いに乗った所で、私はタスキを肩から掛ける。
紘子、麻子、アリス、朋恵と繋がれて来たタスキはみんなの汗でぐっしょりと濡れ、重くなっていた。
この重さこそが、ここまで走って来たみんなの頑張りだと思うし、私に託された希望の重みなのだと思う。
それに、紗耶や梓、永野先生、由香里さん、葵先輩、久美子先輩。桂水高校女子駅伝部に携わったいる全員の思いが込められている気がした。
もちろん、晴美の思いだって込められている。
いやそれ以前に、晴美は都大路で待っているのだ。
そう考えると、絶対にここで負けるわけにはいかない。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻