風のごとく駆け抜けて
「あの……。梓ちゃん、ランシャツ貸して。それと藤木さん、ランパン貸してください。昨日、私見ました。持って来てますよね。私、2人のユニホームを着て走ります。2人のようなすごい走りは出来ないかも知れないけど……。それでもタスキでみんなの思いを繋ぐのとは別に、2人の思いを私が背負って走ります。あと、梓ちゃん。いつも試合で使ってる大和さんの髪留めも借りれるかな? 先輩には怒られちゃうかもしれないけど、先輩のためにも頑張りたいから」
朋恵の発言に紗耶と梓はあっけにとられながらも、静かに頷く。
それがスイッチだったかのように、重たい空気はすっと消えた気がした。
「さぁ、大和さん病院に行きましょう。寒いだろうからロングコートを着てなさい」
由香里さんは梓をロングコートで包むと、そのまま軽々とお姫様だっこで持ち上げてしまった。
まったく重そうなそぶりを見せず、由香里さんは梓を抱いたまま部屋を出て行く。
「あれ、重心のかけ方にコツがあるんだと。昔、私も酔いつぶれた時に由香里にああやって抱きかかえられたことがある」
驚く私達に永野先生が説明を入れてくれた。
「私は部屋でメンバー変更の用紙を作成するから」
そう言って立ち上がる永野先生の足は、なぜか出入り口ではなく、部屋の奥側にいた紗耶の方へと向かう。
紗耶の真正面まで来ると、紗耶の頭に軽く手を乗せた。
「藤木、すまんな。お前の気持ちに気付いてやれなくて……。でもな、これだけは言わせてくれ。藤木がいない状態が一番ベストだなんて、私は一瞬たりとも思ったことはないぞ。故障してもいつも笑顔で部の雰囲気を明るくしてくれてるし、佐々木の代わりにマネージャー業をしてくれたり。本当に感謝している。だから、あんな悲しいことは二度と言うな」
それだけ言うと永野先生は静かに部屋を出ていった。
紗耶はその場に立ち尽くし、声を殺しながら泣いていた。
「あの……。藤木さん、散歩に行きませんか? 私、急遽走ることになったから体を動かしておきたいし、出来れば4区のコースを詳しく教えて欲しいです」
朋恵は紗耶にお願いすると同時に泣いている紗耶の手を引っぱって、部屋を出て行こうとする。紗耶も特に抵抗することなく、出入り口に向かう。
「あさちゃん……。せいちゃん……。ごめん。後でちゃんとあずちゃんに謝っておくから」
紗耶は俯いたまま謝り、朋恵と一緒に部屋を出て行った。
その後、しばらく部屋には沈黙が続く。
その沈黙の中で、麻子が私達の顔をじっと見ていた。
「聖香、紘子、それにアリス。話がある」
麻子は出入り口を気にするような素振りを見せながら、私達に声を掛ける。
その声は真剣そのものだった。
「あたしがこれから言うこと、もしかしたら結構ひどい言い方かもしれない。だからこそ、このメンバーにしか言わない。でもキャプテンとして、はっきり言わせてもらう」
まるで私達の反応を見るように、麻子は言葉を切って全員の顔を見る。
「正直言って、今のあたし達は崖っぷちに立たされているわ。いや、下手をしたらもう片足が崖から落ちれるかもしれない。勘違いしないでほしいのは、結束がどうこうとか、人間関係がとか、そう言う見えないものじゃないの。紗耶と梓も、あれくらいでヒビが入るような関係じゃないのは分かってる。あたしが言いたいのは現実的な問題よ」
麻子が言おうとしてることが何か、はっきりと分かった。
「朋恵は確かに速くなったと思う。先週の3000mタイムトライでも、10分5秒を出して、自己新を更新している。それでも梓とのタイム差が25秒あるのも事実よ。ましてや城華大付属の4区は貴島由香。3キロなら9分35から40秒くらいで走るわ。つまり今時点で、4区で25秒から30秒の差がついてしまうと言うことよ」
麻子の説明に、紘子とアリスはかなり悩んだ顔をする。
「昨日も永野先生が言った通り、今年はかなりの接戦になることは間違いないと思う。現にあたしも山崎藍子に対して大差を広げられるとは思えない。まぁ、大差で負けるとも思えないけど。でね、何が言いたいかと言うと……。もちろん朋恵にも頑張ってもらう。それを差し引いても多分あたし達4人で、1人7秒くらいは貯金を作らないといけないってこと。それがどれだけきついことかはよく分かってる。でも、やるしかないくらいに追い詰められていると言う現実も、直視して欲しい」
麻子の訴えに誰もがすぐには返事を返せなかった。
少しの沈黙の後、紘子が急に表情を明るくする。
「じゃぁ、自分が桂に勝って流れを作ってみせますし。それに昨日永野先生が言っていました。あとはどれだけ勝ちたいと思うかって。自分はものすごく勝ちたいと思ってますし」
「アリスも勝ちたいです。佐々木さんのためにも藤木さんのためにも、あずみーのためにも」
紘子に続きアリスも強く答える。
まったく。なんとも頼もしい後輩だ。
「麻子。後輩2人がこう言ってるのよ。私達もやるしかないでしょ?」
私が麻子の顔を見ると、麻子も静かに頷く。
そうだ。もう悩んでも仕方がない。
麻子の言う通り、崖っぷちに立っているのは事実だろう。
でも、だからと言って悲観的になることもないし、それぞれがしっかりと走ることに、なんら変わりはないのだ。
だったら、しっかりと前を見て進むしかない。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻