風のごとく駆け抜けて
「あの、アリスはまだまだ初心者だからあまりピンんと来ないんですけど、短い距離が苦手で長い距離が得意ってことあるんですか?」
「あるぞ。まぁ、私が那須川に言ってるのは、高校生レベルの話ではないがな。実際に試せないが、例えばブレロと那須川の3000mのタイム差がだいたい40秒くらいだろ?
これを7倍したら距離で言うと21キロ。おおよそハーフマラソンの距離だな。計算上では40秒を7倍して280秒。4分40秒ってところか?
つまり2人がハーフマラソンを走ると、4分40秒の差が付く計算になる。だが実際に走ったら、多分3分差くらいだろうな。
理由は簡単。那須川が長い距離が得意だからだ。勘違いしないでほしいが、別にそれはブレロが悪いとかじゃないぞ。ブレロにしかない走りと言う物もあるからな。
常に落ち着いてレースを進められるところは、駅伝部の中でもトップクラスかもしれないな。その辺は明日の1500mでしっかり見せてくれ」
その説明の横で「ないです。ないです。私に才能なんてないですから。適当なことを言わないでください」と、朋恵は半泣きになりながら、必死になって永野先生に訴えていた。
そんな朋恵をひとしきり笑ったところで、紘子と紗耶、梓がアップへと出かける。
ちなみに今回も全員が速い方の組、2組目に入っていた。
「あの……。3000mが始まる前にダウンに行ってきます」
「じゃぁ、私達も明日に備えて軽めいのジョグに行くわよ」
朋恵、麻子、アリスもそれぞれ出かけて行く。
わずか2分足らずの間で、残ったのは私だけになってしまった。
いや、正確に言うと永野先生と由香里さんはいるのだが。
「私も走って来て良いですか? ほら、もう藍子達にもばれちゃってますし」
けっして、この場から逃げたかったわけではなく、1人はなんだか寂しかったので提案してみたが、あっさりと永野先生に却下されてしまった。
順調に体力は戻って来ているので焦らなくてよいとのことだった。
「そう言えば澤野さん。私が以前持って行った、あの平均台みたいなのって役にたったのかしら? 持って言った時に、澤野さんが飛んだのは見たのだけど」
最初、由香里さんが何を言っているのか本気で分からなかった。
頭の中で平均台を想像し、3000m障害の障害だと言うことに気付く。
「もちろんですよ。あれが無かったら、日本選手権で優勝してませんから。あの障害を何度も飛び越えたからこその、日本選手権での走りですから」
「あら、あれってそんなに役にやってたんだ。ちょっと意外だった」
どうやら由香里さんは、自分が運んだ物が何に使われていたのか、知らなかったようだ。
「あ、そうだ澤野。あの障害、卒業記念にやるから。ほら、昨年は大和にタスキをあげただろ? 同じように澤野には障害をやるよ。大学に持って行くといい。どう考えてもこれから先、3000m障害をやる奴はいないだろうし。私もやらせる気はないからな」
「いりませんよ! 大体どうやって持って帰るですか」
「あら、私がまた運んであげるわよ」
さらりと由香里さんが答える。
なんだか本気でやってくれそうな気がしてならない。
そんな雑談からしばらくすると、まずは朋恵が。
後から麻子とアリスが帰って来た。
それから10分もすると3000mの1組が始まる。
1組目が終わり、2組目の選手がスタートラインに並び出す。
800mでは1人も見ることがなかった蛍光オレンジのユニホームが、今度は3人もいる。
やっぱり3人もあのユンフォームが揃うと威圧感がある。
2組目はスタートして1000m行くと、なんとも面白い展開となった。
「見事にペアが出来てるわね」
トラックを見ながら麻子が笑う。
そうなのだ。
先頭を行くのは雨宮桂と紘子の2人。
今回もこの2人は競り合っていた。
気になったのが、紘子がいつもならぴったりと後ろに付くのに、今回は横に並んでいることだ。
なにか作戦なのだろうか。
その後方約15mには、工藤知恵と藍子が抜きつ抜かれつをしながら、3位争いをしいる。
さらにその後ろには、泉原学院と聖ルートリアの生徒が紘子達のように並んで5位争いをしていた。
そして7位争いをしているのは紗耶と梓だ。
今の駅伝部の顔ぶれを見る限り、紘子、麻子、アリスは、駅伝メンバー入り決定だろう。
私もこのまま体力が戻れば入れるはずだ。
いや、晴美のためにも、ここは何としてでも入りたい。
そうなると、最後の一枠は紗耶と梓、勝った方となるはずだ。
今の2人の競り合いを見る限り、お互いそのことを理解してるのだろう。
さっきからどちらも一歩も引こうとしない。
「どっちが勝っても複雑ね。藤木さんも3年生だし、大和さんだって、お姉さんの夢を果たすために頑張っているんだし」
「まぁ、私はそう言う事情は抜きでメンバーを選ぶわよ。そんなことを言いだしたら、誰だって走りたいに決まってるもの。私だって高校時代、自分が1年生でレギュラーに入ったせいでメンバーから外れてしまった3年生の先輩を見てるわ。でもだからこそ、タスキを掛けて走る時は、死に物狂いだったけど」
由香里さんと永野先生の話を聞いて、どこか複雑な気分になってしまう。
そうなのだ。
我が桂水高校駅伝部が未だに経験していないことがそれだ。
具体的には、レギュラー落ち。
一昨年、私が1年生の時は逆に補欠0で全員が即レギュラー。
昨年は選手が6人いたが、朋恵がまだまだ他と随分と差があったため、実際はやはり全員がレギュラーと言った状態だった。
だが、今年は違う。紘子、私、麻子、アリス、紗耶、梓、さらに朋恵も随分と記録が伸びて来た。
7人中2人は絶対に走れない。
私はふと、前にえいりんが言ったことを思い出した。
「今年もレギュラー争いが熾烈だよ」
「私の代わりなんていくらでもいるもの」
桂水高校にいると駅伝は走って当たり前と言う感覚になっていたが、強豪校はまずはレギュラーを勝ち取らないといけないのだ。
なんとも厳しい世界だ。
と、みんなが大騒ぎを始めた。
その理由はトラックを見てすぐに気付いた。
雨宮桂と並んでいた紘子が先頭に出たのだ。
紘子が雨宮桂の前に出たのを見るのは初めてだ。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻