風のごとく駆け抜けて
3年生最後のトラックレース
合宿所にあるシャワーを使って汗を流し、集合場所になっている職員駐車場に行く。
と言っても合宿所の眼の前が駐車場なのだが。
全員がそろうと県総体と同様に、永野先生と由香里さん2台の車で競技場へと向かう。
ちなみに今回も永野先生の車には私とアリス、朋恵が乗っていた。
「なんか朋恵、表情が硬くない?」
助手席から後を振り返って朋恵の顔を見る。
あきらかに緊張しているようだ。
「あの……。800mって、どうやって走れば良いんですか。走ったことがないからまったく分からなくて。てか、私試合に出るたびに初出場の種目ばかりで、戸惑ってばっかりです」
朋恵が真剣な目をして、助手席の私に身を乗り出すような感じで聞いてくる。
「そうね。もうなにも考えない方が良いわよ。最初から全力で突っ込んで行くくらいでちょど良いと思う。あ、今回はタイム決勝だから、最初の100mは短距離みたいに自分の決めれたレーンを走るから注意してね」
私の説明に朋恵は何度も頷く。
頷くたびに朋恵のトレードマークとも言うべき、両耳の上にある小さな三つ編みが何度も飛び跳ねていた。
真剣な表情と不規則に飛び跳ねる三つ編みが対照的で思わず吹き出してしまい、朋恵に怒られてしまう。
「よし、那須川。これから那須川はその路線で攻めて行こう。次の大会は400mと200m。さらに次は100mにハードルだ」
「あの……。私、本気で短い距離はだめです。もっと長いのが良いんですけど……」
「と言うより永野先生? いっそのこと7種競技で良いんんじゃないんですか? それだと100mハードル、走高跳、砲丸投、200m、走幅跳、やり投、800mと出来てお得ですよ」
私が笑いながら言うと永野先生も「ナイスアイディアだ澤野」とノリノリで答える。
半泣きになった朋恵から、頭をバシバシと叩かれてしまった。
「アリスも1500mは初めてなんですよね。どうしたら良いですか? 澤野さん」
会話が一段落したところで、今度はアリスが質問をして来る。
その質問には容易に答えられた。
「簡単よ。いつもの練習のように、麻子を標的にして走れば、おのずと結果はついてくるわよ」
私の回答に永野先生も大いに納得する。
「なるほどアリスは普段の練習通りで良いってことですね。なんだか気が楽になりました」
アリスは満足そうな顔で外を眺め始めた。
同じ初出場でガチガチになる朋恵。
自然体で構えているアリス。
なんとも対照的な2人だと私は思った。
競技場に着き、由香里さんの車から荷物を降ろす。
永野先生の車に乗っていた私達も、荷物だけはすべて由香里さんの車に入れていたのだ。
と、私はなにか嫌な予感がして辺りを見回す。
「どおしたのぉ? せいちゃん」
紗耶が不思議そうに私を見てくる。
「いや、今思ったんだけど、県総体の時に藍子や千鶴に『なんで出場してないの』って責められたじゃない。なんかまた同じパターンになりそうで」
そう言いながら辺りを見るが、誰もおらず胸をなで下ろす。
「まぁ、そんなことにはならんと思うがな」
私達の話を聞いていた永野先生が意味ありげな言葉を言う。
理由が分かったのはスタンドに着いて、永野先生からプログラムを貰った時だった。
「え? 私の名前が800mにある。って1500mにも」
自分でもビックリだ。
800m、1500mとも最終組に私はエントリーされていたのだ。
これはどう言ったことなのだろうか。
説明をお願いしますと言わんばかりに永野先生の顔を見る。
「申し込みの期限が8月末までだったんだよ。その頃はまだ澤野が戻って来てなかったが、お前が帰って来ることを信じて入れておいたんだ」
その言葉に涙が出そうになった。
「だから他の学校の選手からすれば、澤野が今年も2種目とも出場すると思ってるだろう。まぁ、最終組のメンバーがオーロラビジョンに出た時に、DNSの文字を見て驚愕するだろうがな」
説明聞き、何も問題が解決されていないことに気付く。
時間を稼いだだけで、結局は藍子達に説明をしなければならないのだ。
毎年のパターンから考えて、例のぼろい……いや趣きのある旅館に行った時にだろうか。なんと説明するべきか、考えなければ。
「そうだ澤野。他のやつには、体調不良で棄権したと言っとけよ。下手に練習してないとか言って、相手に希望を持たすようなことを言うなよ」
考える前に永野先生は答えを提示してくれた。
と、麻子が私のTシャツの裾を引っ張って来る。
私が麻子の方を向くと、小声で質問をして来た。
「あのさ、DNSって何?」
「え? 麻子知らないの?」
私が驚くと恥ずかしそうに頷く麻子。
普段なら「仕方ないでしょ」とか言いそうなのに。
「Did Not Startの略よ。要は棄権しましたってこと。他にもDQだと失格とか色々あるわよ」
「その言葉は二度と聞きたくないですし」
麻子の横にいた紘子が、わざとらしく耳を押さえ叫ぶ。
そう言えば、紘子は昨年の中国総体で、扱けた拍子に前の選手を押した形になり、失格になったのだ。
「てか、なんで湯川さん知らなかったんですか? アリスでも知ってましたよ」
アリスの一言に麻子はますます顔を赤くする。
「え……英語が苦手だから」
消えそうな声で麻子がつぶやく。
「いや、英語って程の英語じゃないじゃない」
「そうだよぉ、あさちゃん。授業の方が何十倍も難しいよぉ」
私と紗耶の発言に麻子は悔しそうな顔をする。
「違うのよ。走ってる時くらい、勉強のことは忘れたかったの。英語は苦手だから特に」
必死に麻子は反論をして来る。
それを聞いて誰もが笑いだす。
「まったく湯川は。最後のトラックレースの時まで楽しい奴だな」
永野先生の台詞で私と麻子、紗耶が思わず顔を見合わせる。
駅伝に意識が集中しており、完全に忘れていた。
私達3年生にとっては、これが最後のトラックレースとなるのだ。
「あれ? でも私、今回走れませんよ?」
「そうだな。となると、澤野の高校生活最後のトラックレースは……」
「日本選手権ってことになりますね」
自分で言って驚いた。
よく考えたら私は、高校3年生になってトラックレースを1度しか走って無いのだ。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻