風のごとく駆け抜けて
「そうだ。聖香ちゃん。せっかくだからうちに泊りに来ない?」
我ながらナイスアイデアと言わんばかりに、倉安さんは胸の前で手を叩く。
いきなり言われても返事に困ってしまう。
そもそも親が何と言うか……。
「よかったね、椎菜。聖香ちゃんがうちにお泊りに来るって」
返事も返していないのに、なぜかすでに私が泊まりに行くことになっていた。
椎菜ちゃんも「せいちゃん、おとまり?」と私に聞いてくる始末。
ふと、1年生の時の部活紹介で麻子と出会った時の強引さを思い出す。
見た目は私、声は晴美、中身は麻子と言った感じの女性。
それが目の前にいる倉安尚子さんを的確に表現した説明のような気がしていた。
とりあえず母親に聞いてもみようと電話を入れる。
まずは来週から学校に行こうと思うと伝えると、安心したような声で返事が返って来た。
その後に泊ることを言うとあっさりと了解が出る。
まぁ、倉安さんが電話を代わり、説明してくれたと言うのも大きいのかもしれないが。
母親との電話を切ったと、私はもう一件電話を掛ける。
相手はすぐに出た。
「お久しぶりです。永野先生」
「どうした澤野? 妙によそよそしい喋り方で」
一ヶ月振りに永野先生の声を聞く。
でも、私のなかでもそれ以上に長い間声を聞いていないような感覚だった。
「どうにか、こうやって電話が出来るくらいまでは気持ちも落ち着きました。すみません。この一ヶ月ずっと落ち込んでました。来週の月曜日から学校にも行こうと思ってます。もちろん部活にも。迷惑をお掛けしました」
電話の向こうではしばらく沈黙があった。
その沈黙が妙に長く感じられる。
「別に私も部員も、迷惑だなんて思ってないぞ。澤野が帰って来てくれて嬉しいよ。これでようやくスタート地点だ。もう一度、全員で都大路目指して頑張ろう。佐々木のことでお前も苦しかっただろう。私は話を聞いてやることしか出来ないが、なにかあったら遠慮なく電話して来いよ。来週の月曜待ってるから」
永野先生の言葉に「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」とお礼を言って電話を切った。たったその一言を言うだけなのに、私は随分と気力を使ってしまった。
気を緩めたら涙が一気に溢れてしまいそうだったのだ。
おかげで電話を切った後、倉安さんと椎菜ちゃんの前で、涙をいっぱいこぼしてしまう。
「聖香ちゃんの周りには優しい人がいっぱいいるのね」
「倉安さんも十分に優しいですから。あと……。前から言おうと思ってたんですけど、聖香ちゃんは恥ずかしいです。せめて聖香でお願いします」
倉安さんの言葉に、私は涙をこぼしながらも笑って返す。
「そう? 聖香ちゃんって可愛いと思うけど。じゃぁ、聖香。あたしと約束しようか」
「約束?」
私は涙を拭きながら倉安さんの顔を見る。
「聖香は月曜から部活に戻って、頑張って練習して、11月の県高校駅伝でレギュラーとして活躍すること。その代り私は、その時会場に行って全力で聖香の応援をする」
なぜか倉安さんは言い終わると椎菜ちゃんを抱えて私の方に近付けて来た。
「椎菜。せいちゃんと指切りして」
「ゆびきり〜?」
言われて椎菜ちゃんは手を私に差し出して来る。
そのしぐさが何とも可愛かった。
私は椎菜ちゃんの小さな指に自分の指を絡ませる。
倉安さんが「指切りげんまん〜♪」と歌うと椎菜ちゃんも真似をして歌い出していた。
ファミレスを後にして、倉安さんの車で家へと向かう。
驚いたことに一軒家だった。
旦那さんが単身赴任をしてると聞いていたので、なんとなくアパートだと思っていたのだ。
「そうなのよ。この新居が完成したわずか三ヶ月後に旦那が転勤になってね。その時はどうしようかと思ったわ。まぁ、あたしの実家が車で10分だから、あたしはこっちに残ることにしたのよ。旦那も二年したらまた戻って来れそうだし」
言われてよく見ると、倉安さんの家は随分と新しかった。
家に入ると廊下もリビングも、ものすごく綺麗に掃除されていた。
もしもこの家に姉が住んだらどうなるのだろうか。
そんな怖いことが一瞬頭の中を過ぎる。
私は全力で頭を振り、その考えを追い出す。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻