風のごとく駆け抜けて
3日目の午後練が終わって初めて知ったのだが、恵那ちゃんは合宿所には泊まらず、今日、明日と親の車で通うらしい。
「さすがに生徒以外をこの合宿所に泊めると問題になるからな。正確には、昨年北原を泊めたら問題になったと言った方が正しいのだが」
永野先生はなんとも渋い顔をする。
合宿所の玄関で見送る私達に元気よく手を振って、恵那ちゃんは帰って行った。
「聖香。明日は覚悟しておいた方が良いわよ。あなた、恵那ちゃんにフルボッコにされるから」
「ご忠告ありがとう麻子。でも、私だって負ける気は無いわよ。いくら相手が中1で、永野先生の妹だとしてもね。明日も全力で走るわ」
「いや、根本的に何もわかってないのね。まぁいいわ。明日、自分の眼で確かめなさい」
麻子は無表情にそれだけ言って、合宿所に戻って行く。
私には麻子が何を言いたいのか、さっぱり分からなかった。
そして4日目。私にとって合宿で一番きつい日がやって来る。
「聖香。あたしたちってもう3年生だよね」
「どうしたの? 麻子。突然」
「いや、夏合宿のプールも3回目なのに相変わらず聖香は泳げないんだなって」
今年もプールサイドに座り、脚を水に浸けている私の肩を麻子が叩く。
余計なお世話だと思った。
「生物ってのは突然進化するもんじゃないですし。進化するためには時間が必要なだけですし」
私と同じようにプールサイドに座る紘子が麻子に反論する。
麻子は別に紘子については何も言ってなかったが、私と同じように泳げない紘子にとって、自分のことを言われているにも等しかったのだろう。
「てか、泳げるようになるのは進化とかじゃないと思うんだけど」
麻子が苦笑いする。
プールに眼をやると永野先生と恵那ちゃんがビーチボールを投げて遊んでいた。
2人で遊んでいる姿を見ると、やっぱり恵那ちゃんは永野先生が好きなんだなと感じる。
「それにしても金髪に紺のスクール水着って反則的に可愛いわね」
麻子がアリスのことを言っているのはすぐに分かった。
正直な話、私もプールに入る前にアリスの水着姿を見て同じことを思ったのだ。
でも、口に出すとみんなに何を言われるか分からなかったので黙っていたのだが……。
あっさりと口に出している辺りが、なんとも麻子らしいと思う。
私達がプールサイドに集まっていると思ったのか、梓と朋恵もプールの中から私達の方へと近づいて来た。
「なんか……恵那ちゃん。去年のロードレースで会った時とは別人みたいです。背も高くなって体も大きくなって」
朋恵の発言に麻子が笑いだす。
「ほら、聖香。あきらめなさい。朋恵もそう言ってるわよ」
「いやいや。意味が分からないから」
麻子が何を言いたいのか、本当に分からなかった。
「だから、恵那ちゃんがこの1年間で成長したら、聖香よりも胸が大きくなったってことを朋恵は言いたかったのよ」
「違います……。そんなこと私言ってません。酷いですよ湯川さん。そりゃ確かに、恵那ちゃんの方が澤野さんより胸が大きいと言う事実はありますけど、私はそんなこと思ってませんよ」
朋恵はあきらかに焦った顔をして、麻子に一生懸命説明をしていた。
焦りすぎて自分が何を言っているのか分かってないようだ。
朋恵の発言を聞いて梓は声を出して笑いだし、紘子はポンポンと私の肩を叩いて首を振っていた。
その動作は「強く生きてください」と言われているようだった。
たっぷりと3時間近くプールで遊んだのち、恵那ちゃんは帰って行った。
たった2日間ではあったが、恵那ちゃんとの練習は良い刺激になった。
随分と恵那ちゃんも成長していることが分かった。
成長と言えば、朋恵も凄いものがあった。
昨年は1人だけ別メニューだったが、今年は私達と同じメニューを与えられている。力の差があり、後ろの方を走っているのも事実だが、4日目終了時点ではきちんと練習をすべてをこなしていた。
そして、もう1人。
とんでもなく成長している人がいた。
「よし、全員分のデーター出しが終わたかな。後は各自で確認してね」
晩御飯も終わり、私とアリス、朋恵が片付けから帰って来ると、宿泊室の座卓でノートパソコンと睨めっこをしていた晴美が、安堵のため息をつく。
中学生の時は美術部だった晴美。
高校に入っても真っ先に美術部に入部したものの、私が駅伝部に入ることを決めると、一緒にマネージャーとして入部した。
私がいるからと言った感じで始めたマネージャーだったが、今や部にとって絶対に必要な存在となっていた。
現に最近、永野先生はタイム計測をするものの、あくまで全体のペースを確認する程度だ。細かい記録はすべて晴美に任せてある。
晴美の凄いところは昨日ようなインターバルだと、全員分の記録とリカバリーのジョグに要した時間を、ストップウォッチ2つとデジカメだけで計測してしまうところだ。
一度やり方を聞くと先頭のタイムと、それ以下のタイム差を別々のストップウォッチで計測し、デジカメの動画モードでゴールシーンだけを撮影して、後はパソコンに入力しながら計算して行くと説明してもらった。
その時の晴美は、小さな子供に教えるような感じで説明してくれたのだが、私にとってはドイツ語で地理の授業を受けているくらい、わけのわからないものだった。
みんなで今日の練習のタイムを確認していると、永野先生が部屋に入って来る。
「急な話で悪いが、明日合宿にスペシャルゲストが来るからよろしくな。特に澤野」
永野先生の発言にみんなの注目が私に集まる。
「どう言うことなんですか。なぜ私だけ? てかスペシャルゲストって恵那ちゃんだったんでしょ?」
「湯川が一発で当ててしまったからな。悔しかったんで別に呼んでみた」
永野先生は随分と勝ち誇ったような顔をする。
なんと言うか、そう言うところは随分と子供みたいだなと思ってしまう。
どちらかと言うと、飛行機に乗った時のような子供っぽさの方が好きなのだが。
っと、これを口にするととんでもないことになりそうだ。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻