風のごとく駆け抜けて
原部さんの横に並ぶようにして水濠に足を掛ける。
2人同時に水の中に入る。
水から出たのは私の方が先だった。
先ほど原部選手に先頭を奪われた地点で、今度は私が先頭を奪い返す。
「原部選手、澤野選手を先頭に先頭は2000m通過。2000m通過は6分32秒。この1000mは3分17秒であります」
わずかに風が吹いていたせいか、競技場内に流れるアナウンスが耳にしっかりと入って来た。
ホームストレートを先頭のまま走り、残りは2周となる。
ゴールライン直後の障害を飛び越えた時にすぐ後ろで音がした。
どうやら原部さんはすぐ後ろを付いて来ているようだ。
油断すると再度逆転される可能性もある。
最後まで絶対に気を抜いてはいけない。
それでも私が先頭のままレースを進めて行く。
極端にペースを上げたつもりは無かったが、さっきから障害を飛び越えるたびに、脚がどんどん重たくなっているのが分かる。
水濠のひとつ前にある障害を飛び越える時に、脚の重さでリズムを崩し、着地がふら付くような感じになってしまった。
このレース初めての失敗だ。
さすが3000m障害。
楽には終わらせてくれないようだ。
もしも私が原部さんのように何度もレースを経験したら、最後まで綺麗に飛ぶことが出来るのだろうか。
そんな考えを脳が一瞬でシャットダウンさせる。
今バランスを崩した瞬間に詰められたのだろう。
再び原部さんに並ばれてしまったのだ。
今まで冷静に走って来たが、ここで並ばれ私は焦り感じる。
それでもどうにか水濠は綺麗に飛び越えることが出来た。
私と原部さんは同時に水から出て並んで走る。
ただ、原部さんは並んできただけで、再び前に出ようとはしなかった。
ホームストレートを並びながら走っているうちに、私の中である考えが浮かんでくる。
「大丈夫。ただ並ばれただけ。相手に余力が残っていたら、とっくに前に出られている。まだチャンスは十分にある。それに相手は実業団選手。それも昨年までこの種目4連覇中で日本記録保持者。下手な小細工なんて通用しないだろう」
その思いを確認すると、不思議と決心が固まった。
ラスト1周の鐘が鳴ると同時に私はありったけの力を振り絞り、スパートをかけた。
私がスパートをかけても、原部選手は付いて来なかった。
また私が単独1位になる。
だが、油断は禁物だ。
現にさっきも障害でバランスを崩した時に追いつかれた。
そう思った直後、バックストレート入口前、1500mのスタート地点にある障害を飛び超えようとしてバランスを崩してしまう。
幸いにもバランスを崩しながらも、綺麗に着地出来た。
しかもこのロスがありながらも、まだ原部選手には追いつかれていない。
それとも一応綺麗に着地出来たからそこまでロスになっていないのか。
そんなことが頭を駆け巡るがすぐに振り払う。
まだレースは終わってはいない。
まずは目の前に集中すべきだと思ったからだ。
次の障害は綺麗に飛ぶことが出来た。
でも、脚は悲鳴を上げそうなくらいに重たくなっている。
残すは水濠が1回と障害が1回だ。
左手で太ももをパチンと叩き気合いを入れる。
渾身の力を込めて水濠前で加速し、飛び越える。
どうにかふくらはぎが浸かるくらいの場所に着地出来た。
私が水濠から出る時には、まだ原部選手が飛び越えて来る音は聞こえなかった。
「大丈夫。ある程度の差はある。落ちつて行こう」
自分に言い聞かせるようにして最後の障害へと向かう。
私がホームストレートに入ると同時に、スタンドから大歓声が起こった。
その歓声の中、最後の障害も無事に飛び越える。
後はゴールまで駆け抜けるだけだ。
差があるのは分かってるが油断は絶対にしない。
「今年の目標は、最後の一歩まであきらめない。最後の一歩まで油断しない」
梓が入部して新体制になった時に、麻子がみんなを集めて言った言葉だ。
もちろん、それが何を意味するのか全員が理解していた。
昨年の県高校駅伝。
私達は後一歩と言うところで城華大付属に負けた。
だからこそ麻子の立てた目標がどれだけ重要か、はっきりと分かっている。
私は体に残っている力をすべて出し切るつもりで必死で走る。
大丈夫。後ろからは足音も呼吸音も聞こえない。
ラスト10m。
電動計時をちらっと見る。
あ、自己ベスト更新だ。一瞬そんな考えが頭を過ぎる。
そう思ったら、ゴールの時に自然と左手でガッツポーズを作っていた。
ゴールラインを越える瞬間、笑顔が込み上げて来る。
ゴールして振り返ると電動計時は9分52秒66で止まっていた。
よく考えると、自己新はそのまま高校新記録と言うことにもなるのだ。
自分でも信じられなかった。
初出場の日本選手権。
人生2度目の3000m障害。
そんな状況の中で、私は高校新記録を更新し、見事に日本選手権を制したのだった。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻