風のごとく駆け抜けて
冷静に考えると、社会人や大学生と走ると言うのはなんとも不思議な感じがした。
でも、年齢が離れた人と勝負すると言うのは今までに無い楽しさもあった。
熊本選手権でえいりんも社会人や大学生と走っていた。
その時えいりんはどんな気持ちだったのだろうか。
私は単独トップで走り続け、2度目の水濠を迎える。
今度はきちんと遠くまで飛ぶことを意識して。
バシャンと水の中に足が浸かる音がする。
先ほどのドボンと言う音に比べ、前に飛べたことが分かる。
ふくらはぎから膝下辺りまで水に埋まった程度で済んだ。
2回目の水濠を超えた時にふと何かを思い出しそうになったが、それがなにかは分からなかった。
だがそれは、木本さんと練習した時と同じような感覚だし、思い出そうとしている内容も同じだと心のどこかでは感じている。
でもそれ以上は考えられない。
なぜなら、目の前の障害物を飛ぶことに意識を集中するので、精一杯だからだ。
やはり、ハードルを使って、イメージを掴んでいても、実施に飛んでみると練習の時とは随分とイメージと違っていた。
そもそも、練習では脚をハードルの上に置いて飛んでいないのだ。
もちろん、今日の方が足をかけられる分、楽なのではあるが勝手が違うことに変わりなく、神経を集中させないと綺麗に飛べないのである。
それでも3周目はどの障害物も綺麗に超えられた。
3つ程障害を飛び越え、水濠に向かう途中で、私はさっき思い出そうとしていたことが何であったか、気付いた。
大型連休前に小学生の時の話をみんなでした。
私が、川や森でよく遊んでいたと言ったらみんなにドン引きされてしまったが、その遊びの中に、探検ごっごと言うのがあった。
ぶっちゃけて言うと近くの川や森に探検に行くだけなのだが……。
小学生の足だと行動範囲も限られ、一ヶ月もすれば探検する場所も無くなってしまった。
いったい誰が最初に言いだしたかは分からないが、今まで探検した場所をいかに速く回れるか競走しようと言う話になった。
分かりやすく言うと自然の障害物競争だ。
川を飛び越え、大きな石に登り、山道を掛け上がり、田んぼのあぜ道を走り抜けと言った具合でまさに野生児と言った感じだった。
今なら、小学生の時のあだ名が『やせいか』だったのも、仕方がないことだと理解出来る。
その探検ごっこに、なんとなく3000m障害は似ている気がした。
そう思うと、不思議と水濠も恐怖心が無くなり、普通の障害物と同じような感覚でこえることが出来た。
ホームストレートに入ると相変わらずの大きな声援を受ける。
それを糧に私は前へと進んでいく。
周回は残り4周となっていた。
決して淡々とと言うわけでは無いが、前へと前へと進んで行く。
最初の1周こそ、何度かトップが入れ替わったが、あれ以降先頭が入れ替わることはなかった。初出場の3000m障害で先頭を走れるというのはなんとも気持ちが良い。
ただ、困ったことに自分のペースがいったいどれくらいなのかが分からないのだ。
電動計時は作動しており、周回を確認する時に見ることは出来るのだが、1周が400mではないため、ペースが計算できない。
木本さんにはきちんと1周の距離を聞いたのだが、忘れてしまっていた。
確か中途半端な距離だったため、覚えていても計算するのは難しい気がするが……。
この周は水濠を含め今までで一番無難に回ることが出来た。
ラスト3周の表示を確認し、一つ障害を越え、1500mのスタート地点付近にある障害を越えようとした時だ。
急に太ももあたりが重たく感じられた。
どうにか障害を越えたものの、1周目に人の真後ろで超えた時のような、なんともバランスの悪い越え方になってしまった。
さっきがラスト3周。そこから150m近くは走っている。
1周が400m以上あるが、150mで相殺したとして、残りは1200mくらいだろうか。
普通に3000mを走っていてもきつい所だ。
脚の状態はあきらかに悪くなっていた。
太ももがかなり重い。
足を置いているとは言え、何度も障害を飛び越えているからだろう。
水濠もさっきほど遠くへ飛ぶことが出来ず、水を多く被った。
3000m障害がこんなにもきつい種目だとは思わなかった。
正直、かなり楽しいと思えるのも事実だが、だんだんとそれよりもきつさが上回り始めた。
ホームストレートに出た時に、私を呼ぶものすごい大きな声がした。
「こら澤野! 脚が止まりかけてる!! 最終日の勢いはどうした! 私はそんな走りのあんたに負けたんじゃないんや! 根性見せろ!」
ちらっとそちらを見ると、小宮さんがスタンドの一番下まで降りて来て、叫んでいた。
なんだろう、合宿中は「あなたに勝てないと宮本にも勝てない」とずっと言いながら、走る時は親の仇のように私を見ていたのに。
そんな人にこんなに大きな声で応援されると、嬉しさと同時に頑張らなくてはと言う気持ちが湧いて来る。
ラスト2周。そう言えば、牧村さんは結果を気にしなくても良いと言ってくれた。
初めての経験で、3000m障害のラスト2周がどれだけ体力を使うのかは分からない。だったら、下手に貯めるよりも後先考えずにどんどん使い切ってしまえば良い。
ガス欠で最後の障害前で止まってしまったら、それはそれで良い思い出だ。
私は太ももをパンパンと両手で叩き、気持ちを入れ替える。
もちろん脚はさっきから重たいままだ。
それでも前へ進むしかない。
この1周は障害を綺麗に飛べないこともあった。
それでも障害でロスをする分、間の平坦で稼ごうと必死に走る。
幸いにも水濠はきっちりと飛ぶことが出来た。
そしてついにラスト1周の鐘が鳴る。
もう、脚は限界に近いくらいまで疲労していた。
あとは気力がどこまで持つかだ。
もしかしたら脚をひっかけて転ぶかも知れない。
それすらも覚悟していたが、無事に障害を越えて行き、最後の水濠の前に来る。
ひょっとしたら、また3000m障害をやることがあるかも知れないが、とりあえずはこれが最後の水濠。だから綺麗に越えて終わりたい。
私は、障害物に乗せた脚を思いっきり蹴り着地する。
2周目程では無いかもしれないが、今日のうちでは間違いなく2番目に遠くへ飛べた。
残すは後一つの障害と直線のみだ。
私がホームストレートに入るとスタンド中が歓声を上げているような気がした。
明彩大の人達だけでなく、もっと大きな歓声が競技場中に反響ているように感じる。
無事に最後の障害物を飛び越え、私は必死にラストスパートをする。まるで、県総体で清水千鶴と争ったラストスパートのように。
ゴールする時はあまりのきつさに手を上げる余裕も無く、ゴールラインを超えるとそのまま前のめりで倒れ込んでしまった。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻