風のごとく駆け抜けて
「それにしても木本さん、随分と詳しいんですね。とても助かります」
「まぁね。私も大学2年生の時に出ようとして、練習したことがあったからね」
さも当たり前のように喋る木本さんの一言に、私は思わず動きを止める。
それに木本さんも気づいたのだろう。
私を見て苦笑いをしていた。
「誰も澤野に話してないのね。まったくみんな人が良いと言うか、気にしすぎと言うか……。私ね、実は2年生の1月まで選手だったのよ。自分で言うのもなんだけどさ、これでもS級推薦で入って、1年生からレギュラーだったし、1年の全日本大学女子駅伝は1区で区間2位だったの。でも2年生の12月に内臓の病気を患ってね。それが原因でマネージャーに転向したの。って、澤野。なんでそんな顔するの。私はこれでもマネージャー業も誇りをもって楽しくやってるの。むしろ、こうして部に残らせてくれた牧村監督や、私がマネージャーになっても昔と変わらず接してくれるみんなに感謝してるわよ」
説明しながら笑う木本さんの姿を見る限り、心の底からそう思っているのだろう。
その後も、木本さんにアドバイスを貰いながら何度かハードリングの練習を続ける。
そして、その日はやって来た。
初めて訪れた競技場。
初めて出場する記録会。
そして初めて走る3000m障害。
何もが初めてづくしの状況に私はものすごく緊張していた。
「それでは女子3000m障害、トラックに入って」
係員の合図を聞いて、ジャージの上を脱ぎ、ユニホーム姿になる。
何もかもが初めてづくしのこの状況で、桂水高校のユニホームだけはいつもと変わらないものだと気付く。
駅伝もトラックもこのユニホームで戦って来た。
大丈夫、これを着ている限り、私はしっかりと走れるはずだ。
自分のユニホームを見ると不思議と緊張も解けて来た。
私以外の5人はすでにトラックに入り、スタートラインから逆走し、流しを行いながら障害を飛んでいた。
そう、この女子3000m障害には私を含め6人しかエントリーしていなかった。
内訳は高校生が3人、大学生が2人、社会人が1人だ。
明彩大の方々が出場した女子5000mは一組20人で4組もあったのに。
そもそも、女子3000m障害と言う種目自体、全国的に見ても行われることが少ない。
例えば男子ならインターハイの正式種目に入っているが、女子は入っていないのだ。競技人口が少ないのも仕方がないところではある。
現に私も今回のことが無かったら、一生走ることは無かったかもしれない。
競技者が少なくても自分が必死で走ることに変わりはないのだが。
私も他の選手と同様に、スタートラインから逆走して一番近くにある障害に向かう。
木本さんに言われた通り、障害の数歩手前で加速し、障害を飛ぶ。
台の上に足を掛け、状態を起こさないようにしながら、着地はすぐ下を目指す。
これも木本さんが全てコツを教えてくれた。
何度も説明してもらい、繰り返し暗唱してたのできちんと頭の中に入っている。
問題はレースできつくなった時にこれを思い出せるかどうかだ。
「それではスタートラインにお願いします」
係員に言われ、私達はスタート地点に向かう。
3000m障害のスタートラインはホームストレートの真ん中付近。
こんな場所に立つのはなんとも変な雰囲気だ。
「せーの」
「「「「さ・わ・の〜!!!」」」」
スタンドからのあまりに大きな掛け声に私はビックリする。
見ると明彩大の人が全員メガホンで叫んでいた。
手を振るとみんながメガホンを叩いてくれる。
一番前列には木本さんと小宮さん、キャプテンの岡本さんがいるのを確認出来た。
「同じ釜の飯を食べて一緒に合宿を頑張ったんだ。全員で精一杯応援するから」
私がアップに行く時に、岡本さんかけてくれた言葉を思い出す。
「位置について」
係員の指示に「お願いします」と一礼してスタートラインにつく。
私はインから2番目のスタート。
牧村さんからはどうせ記録会だし、結果を気にせずに最初からどんどん行けと指示を受けていた。
それこそ普通の3000mを走るような感覚でと。
だからそのつもりでスタートしたら……。
いきなり先頭に立っていた。
まぁ、その方が障害を飛び越えやすくて良いのだが。
スタートラインから一番最初の障害まで約60m。
その間を私は先頭のまま走り続け、人生初の障害を越える。
木本さんに言われたことをきちんと守り、難なくクリアーする。
その直後に社会人の選手が私の前に出る。
私はその人の真後ろに付いて走り、2番目の障害に向かる。
障害が近づき、加速しようとした時に気付いた。
目の前に人がいると、障害物がよく見えずにタイミングが合わせ辛い。
どうにか、無理矢理2台目を超えたものの、さっきとは真逆で、状態を起こしてしまい、着地も綺麗に決まらず、大きなロスをしてしまった。
先頭の社会人選手とも、3mくらいの差が開く。
だが、次の障害物を超え、水濠に向かう途中で、あっさりと私は前に追いついてしまった。
先ほどのように後ろに張り付いてはダメだと思い、水濠手前で横に並ぶ。
そして、初の水濠。
木本さんから、水濠の時だけはなるべく遠くへ着地するように言われていたのだが……。
足を掛けて飛ぼうとした瞬間、恐怖心が頭を過ぎった。
そのせいで自分では遠くに飛んだつもりだったがほぼ真下に落ちてしまい、太ももの辺りまで水に浸かってしまった。
どうにか水濠を抜け走り出すと、水が掛かったのだろう、ランパンが濡れており微妙に気持ち悪かった。
水濠のロスで先頭と大きく離れてしまったと思っていたが、前を見るとそうでもなかった。
ホームストレートに入り、スタートライン手前にある障害を飛んだ直後に、また追いついてしまう。
「ゴーゴーレッツゴー! レッツゴー澤野!!」
「「「「ゴーゴーレッツゴー! レッツゴー澤野!!」」」」
私が先頭に追い付いたからだろうか。
明彩大のみんなの応援がものすごい大声援となって私の耳に入って来る。
正直、こんなにも大きな声で応援されると、恥ずかしさよりも嬉しさの方が勝って来る。
その声援を背に私はもう一度先頭に立つ。
これで後6周。
私は目の前の障害を最初と同じように単独トップで飛ぶ。
今度は、先ほどのように後ろから抜かれることは無かった。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻