風のごとく駆け抜けて
目が覚めて、ふと携帯を見ると朝の6時だった。
予定より1時間早く起床してしまったことになる。
でも、この硬いフローリングで二度寝をする気にはなれない。
そう、結局私は喧嘩に負けたのだ。
凝り固まった体をほぐすためにも、走りに出かけることにした。
もちろん、目的地は熊本城だ。
昨日、姉と歩いて来た道を逆走して行く。
コンビニや飲食店の前を走り、昨日見た交差する道路まで来る。
階段から上の道路へと登って行き、さらに真っ直ぐに進む。
そこから上り坂を登ると、熊本城が見えてきた。
より良く見える場所へと思い、公園の奥へと進んで行く。
そう言えば、姉がよくランナーが走っていると言っていた通り、公園の一番外側はランニングコースのようになっていた。
公園から見える熊本城は黒く美しく、そして堂々としていた。
瓦や壁は黒いにも関わらず、光すら発しているように思える。
どっしりと構えた櫓や天守閣は、そこだけ時間の流れが止まっているようにも感じた。
その雄大さに、魂を持て行かれそうな錯覚を覚える。
我に返り、回れ右をして来た道を戻ろうとして、私はあることに気付いた。
公園入口付近に、私が両手を広げたよりも幹が太い大きな木が一本立っているのだが、その側にジャージを着て陸上シューズを履いた1人の女の子が立っていた。
パッと見て私と同じくらいの年齢だ。
ちょうどその子が私に背中を向けてストレッチをしているので、ジャージの背中に書かれた『鍾愛女子』と言う文字が見える。
私でも知っている全国高校駅伝上位の常連校だ。
そっか、この近くに高校があったのか。
つまり、この人はその鍾愛女子の部員。
ひょっとするとレギュラーメンバーなのだろうか。
そんなことを考えていると、その子がストレッチの動作を変え、私と目が合う形になる。
「え? さわのん?」
「うそ。えい…りん?」
あまりに突然のことにお互い動作が止まってしまう。
「ちょっと! うそ。ほんとうにさわのんだ。なんでこんなところに!」
そう騒ぐのは、えいりんこと、市島瑛理。
名前が『えいり』だから、いつもえいりんと呼んでいた。
私と同じ桂水市出身で、中学時代は県トップをかけて何度も争った相手だ。
でも、レース以外では仲が良く、試合で出会うたびに色々なことを話していた。
なんと言うか、レースではライバル。他では親友と言ったところか。
「いや、それはこっちのセリフなんだけど。なにしてるの。てか、そのジャージ」
私の一言にえいりんがニヤッと笑う。
「そう。鍾愛女子。私、城華大付属の推薦を蹴って、この学校に入ったの。さわのんは城華大付属?」
えいりんの質問に私は首を振る。
「え? そうなの。てっきりさわのんは城華大付属と思っていた。じゃぁ、どこ? 泉原学院? 聖ルートリア?」
えいりんは県内の強豪校を上げて行く。
そのどれにも私は首を振る。
「私、桂水高校に通ってるの」
私の一言にえいりんは驚きの声を上げた。
驚くえいりんに私は事情を説明する。
「なるほどね。さわのんも色々あったんだ。県中学駅伝以降、まったく出会ってなかったもんね。連絡先も聞いて無かったし」
えいりんは苦笑いしてた。
まぁ、私も同じ桂水市内在住だから、いつでも会えると思って連絡先を聞いていなかったのだが。
「えいりんは、なんで山口県内じゃなくて、わざわざ熊本の高校を選んだの?」
私の質問に、えいりんはちょっとだけ笑う。
「別に熊本にこだわったわけじゃないよ。県外からの推薦が、今の高校からしかなかっただけ。うちの高校の監督、出身が山口なのよ。だから私のことも多少は知ってたみたい。後は、私個人の理由。私ね、もしも県外から推薦が来たら、たとえ城華大付属を断ってでも行こうって決めてたんだ。何も分からない、誰も知り合いがいない別の場所で、自分がどれだけ戦えるかを試してみたかったの」
私に説明してくれるえいりんの顔はとても晴れやかで、その選択にまったく後悔が無いことを静かに物語っていた。
今の私が桂水高校を選んだことをどう思っているかと聞かれて、はたして同じ顔が出来るだろうか。
一瞬頭の中で考えてみたが、後悔はないとしてもここまでの顔は出来ないような気がした。
「ところで、さわのん。今日の14時から暇?」
えいりんが、まるでいたずらをする小さな子供のような笑顔で私を見る。
そう言われて、私は今日の予定を思い出す。
姉に熊本城を案内してもらうのは午前中のはずだ。
特に午後からは予定は入っていない。
「うん。暇だよ」
その一言に、えいりんの笑顔が三倍くらい輝く。
「じゃぁさぁ! 14時に県の陸上競技場に来て」
その後もえいりんは機関銃のように喋る。
その話をまとめると、どうも今日は熊本県選手権があるようだ。
しかもえいりんの高校デビュー戦だと言う。
そして女子1500m決勝が今日の14時スタート。
つまり、『応援に来て』とえいりんは言っているようだ。
「てか、えいりん。予選は? そもそも県選手権って山口県もそうだけど、中学、高校、大学、社会人の区別ないんでしょ? そんなレベルの高い試合で決勝に残ったの?」
「私を誰だと思ってるよ。決勝進出どころか、相手がどれだけ強敵揃いでも優勝してみせるわ。あ、予選は今日の10時から」
まだ予選すら走っていないのに、決勝の応援へ来てと誘われているようだ。
えっと、こう言うのをなんと言うんだっけ……。捕らぬ狸の皮算用?
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻