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風のごとく駆け抜けて

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夏休みが目前にせまった7月の土曜日。
練習も終わり着替え終わって、さぁ帰ろうと言う時だった。

「あの……。トイレに行ったら、自転車置き場で小さい女の子をみました」
「いや、ともちゃん。なにを言ってるのかなぁ。怪談話にしてはオチがないんだよぉ」
紗耶は朋恵の一言を笑って聞き流す。

「あ……。あの少女です」
 朋恵が指差す先には、確かに小学生ぐらいの女の子が立っていた。

「って、あれ恵那ちゃんじゃない」
麻子の一言に紘子と朋恵が首を傾げる。
そうか、1年生は永野先生の妹に会うのは初めてか。

きっとまた、永野先生に用事かあって来たのだろう。
誰もがそう思っていたのだが……。

「恵那? なんであんたこんなところにいるのよ」
なんと永野先生が一番驚いていた。

「家出して来た。綾子お姉ちゃん、今日泊めて」
恵那ちゃんの一言に私達も驚く。

「家出? あんた何バカなこと言ってるわけ?」

「だって父さんも母さんも酷いんだよ。塾と陸上クラブがそれぞれ週3回あって、休む暇もないから塾を辞めたいって言ったら、辞めるなら陸上クラブを辞めろって言うんだもん。私は綾子お姉ちゃんみたいに走りたいって言ったら、お前はあんな風になるなって、綾子お姉ちゃんのことをバカにするし。だから、塾に行く振りして、電車でここまで来た」

どうやら恵那ちゃんは両親と喧嘩をしたようだ。

「そりゃ、父さん達が言うことが正しい。走ることなんていつでも出来るんだから、今は勉強をしっかりやりなさい。母さんには内緒にしてあげるから今から帰れ」

「嫌だ。帰らない。だいたい、綾子お姉ちゃんをバカにしたんだよ。許せないよ。綾子お姉ちゃんは悔しくないの? 怒らないの? あんな風になるなって言われたんだよ」

恵那ちゃんが声を張り上げながら必死で永野先生に訴える。

「別に。だって事実だし。恵那、本当に私みたいになったらダメだぞ。苦労するだけだ。そうならないためにもしっかり勉強しなさい」

「何でそんなこと言うの? あたしは綾子お姉ちゃんみたいにすごいランナーになりたいの。勉強する暇があっsたら走りたいの。綾子お姉ちゃんみたいに速く走りたい」

「仮に走れたとして、その後どうするの? 一生、ランナーってわけにもいかないでしょ?」

永野先生が恵那ちゃんに問いかけると、恵那ちゃんは気まずそうな顔になる。

「分かったら、帰って勉強しな」
「なんで綾子お姉ちゃんまで親みたいなこと言うの! そんなにみんな、あたしのことが嫌いなの?」
恵那ちゃんが叫び終わるのと同時に、パンっと乾いた大きな音がする。

永野先生が恵那ちゃんの頬を平手打ちした音だった。

「ちょっと綾子先生……」
葵先輩が真っ先に反応する。
私を含め、他の部員は突然の出来事に動くことすら出来なかった。

「やっぱり綾子お姉ちゃんも、あたしのこと嫌いなんだ。もういい」
恵那ちゃんが泣きながら悲鳴のような声を上げて、走ってその場から逃げ出す。

「ちょっと、待ってよ」
葵先輩が走って恵那ちゃんを追いかけて行く。
すぐに2人の姿は見えなくなった。

「今日の部活は終了でいいぞ。悪かったな」
永野先生はため息と一緒に怠そうな声を出し、職員室の方へと消えて行った。

みんなお互いの顔を見て「じゃぁ帰ろうか……」と言うのが精一杯だった。

私も帰ろうとしたのだが、手に部室の鍵を持っていることに気付く。
さすがにこれは返しておかないとまずい。
それも返す先は永野先生だ。

なんとも外れくじを引いてしまったもんだ。

「失礼します」
土曜の職員室はなんとも静かだった。
こんな時、隣に晴美がいてくれたら心強いのだが、今日は家の用事があるからと、お休みだ。

「永野先生。部室の鍵を返しに来ました」
先生の机に近付くと永野先生は机に伏せていた。

「ああ、澤野か」
気だるそうに私を見る永野先生。

「ちょっと大丈夫ですか?」
「平気。それにしても変な所を見せてしまったな」
「いえ、別に気にしてませんよ。姉妹喧嘩なんて私だって何度もしてますから」
笑顔で答えて私は部室の鍵を永野先生に渡す。

「恵那には困ったもんだよ。あきらかにあの子は私の後を追ってるからな」
苦笑いして永野先生が独り言のようにつぶやく。

「いいじゃないですか。誰かの目標になれるって素敵だと思いますよ。現に先生の高校駅伝を見た時、私達もああ言う走りがしたいって思いましたもん」

「いや、恵那の場合は人生自体が私の後を追っているんだよ。母親から聞いたんだ。あいつの夢は城華大付属で陸上部に入って、実業団で活躍することなんだと」

「随分具体的ですね。でも、目標が明確っていいと思いますよ」
「まぁ、そこまでは良いとしても、そのまま実業団を辞めて苦労するところまで真似されたくないんだよ」
永野先生は自虐的に笑って見せた。

「いえ、必ずしもそうなるとは限りませんから」

「でもそうなる可能性もあるだろう。だからこそ、勉強はしっかりとやって欲しいんだ。学力があれば多少のことはどうにかなるからな。勉強をしてなかったせいで、私自身、大学に入るのに苦労したし。だから恵那が陸上クラブに入ると言い出した時に、親に言ったんだ。学習塾にも入れて勉強もしっかりやらせておかないと私みたいになるって」

「そう言うこと恵那ちゃんにちゃんと話されました?」
「いや。そこまで言う必要もないだろ。まずは勉強をしっかりしておけばそれで良いんだし」

「それ、永野先生の勘違いですよ。きちんと言わないと絶対に伝わりませんよ」

一瞬、永野先生にものすごい形相で睨まれた。
それでも、私は言わななければならないと思った。

「私がそうでしたから。そう言えば、入部する時ちょっとだけ話題になりましたが、私が数々の高校の推薦を断った理由って話したこと無かったですね。父から反対されてたんです。陸上は中学まで。高校に入ったら勉強に専念するようにと」
私の話を聞き、永野先生の表情が驚きに変わっていく。