風のごとく駆け抜けて
「ねぇ、澤野さん? 私達が中学1年生の時にあった県中学選手権、1年1500mで澤野さん4位だったでしょ?」
「え? そうだけど……よく覚えてるわね」
「だって私が5位だったから」
そうなのか。えいりんと藍子の順位は覚えているのだが。
「3位が市島瑛理。2位が藍子。ここまで話せば分かるでしょ?」
「1位が清水千鶴?」
静かに頷く貴島由香。
でも私には中学の時に清水千鶴と走った記憶は無かった。
「ただ、彼女。その時の優勝以来、中学3年間、名前をまったく聞かなかったのよね。それがなぜ突然……。あ、そう言えば、その選手権の時に話したけど、彼女って祖先は毛利元就に仕えていた戦国武将らしいよ」
わりとどうでも良い知識を貴島由香が披露した直後に、ラスト1周の鐘が鳴る。
清水千鶴のペースはまったく落ちていなかった。
結局最初から最後まで彼女は独走し、4分30秒96でゴール。
これが予選トップの成績となる。
ゴールした彼女は、真っ直ぐに私達の所へ歩いて来た。
「澤野さんと貴島さんだよね」
元気よく聞いてくる彼女に、私達2人はそろって頷く。
「午後の決勝、よろしくね。あなた達を倒してあたしが四年ぶりに県チャンピョンになるから」
「ねぇ、清水さん? 四年前に優勝してからどうしてたの? いや……あれから名前を聞かなかったから」
恐る恐る尋ねる貴島由香とは対照的に、清水千鶴は笑顔で語りだす。
「あの頃からあたし貧血が酷くてさ、ずっとろくに走れなかったのよ。中3の夏頃からようやくジョグがまともに出来るようになったけど、全然実績も無いから推薦も来なくて。今の野田川高校なんて、短長投擲を合わせても部員が全部で4人しかいないのよ。しかも、長距離はあたしだけ。グランドもサッカー部と野球部が優先だがから、まったく使えなくて。あたしは学校の許可をもらって、小学生の時からお世話になっている地域のクラブチームで練習してるの。まぁ、そんなことをハンデともせずに勝って見せるけどね」
言いたいことを全て言い切ったのだろうか? 彼女は私達の前から去って行く。
「これは、6位で良いとか言ってられないわね」
貴島由香のつぶやきが妙に耳に残った。
「お帰り聖香」
みんなの所に戻ると、晴美が真っ先に声を掛けて来る。
「ちょっと聖香。あの3組目のトップ何者?」
麻子が私に迫って来るので「暑苦しい」と手で払いのけて説明をする。
「へぇ。それにしても宣戦布告とは……すごいわねその子」
「でも葵先輩。聖香は、そう言う子が大好きかな」
晴美が笑うと同時に後ろから変な音がした。
「あの……ひろこちゃん。こぼれてる。こぼれてるよアクへリアス」
どうやら紘子がアクへリアスをこぼしたらしい。
と言うよりは2リットルのペットボトルを倒したようだ。
それも床に敷いていたブルーシートの上で……。
「ほら、朋恵そっちの荷物のけて。紗耶、そっちのジャージも危ない。って紘子! あんたなに放心してるのよ」
麻子がテキパキと指示を出しながら、紘子を叱る。
「で、澤野。実際どうなんだ決勝は」
「負けたくない。ただそれだけですね」
「あはは。やっぱり澤野のそう言うところは好きだな」
今の今まで放心していた紘子が、なぜか永野先生を泣きそうな目で見る。
本当に紘子はどうしたんだろうか。
1500m女子決勝。スタート前から異様な緊張感に包まれていた。
私と貴島由香、清水千鶴の3人はお互い一切喋らず、顔も合わせることも無く、スタート前の準備を行う。
意識しているわけでは無いが、それぞれが相手に隙を見せないようにしている気がした。
少なくとも私はそうだった。
今、彼女達と喋ると相手を有利にさせてしまいそうだ。
私達3人の空気が他の12人にも伝染したのだろうか。
今から走る15人全員が誰1人喋ることなくスタートラインに並ぶ。
私達を取り巻いていたその緊張感も、スタートのピストル音と共に消えた気がした。
私は最初から全力で走り出す。
清水千鶴や貴島由香にも負けたくない。
それ以上に自分の中にあるのが、一ヶ月前にえいりんが熊本で出した4分19秒44と言うタイムだ。
そのタイムを破ろうと思ったら、前半から手を抜くわけにはいかない。
自分の中で、これだけの勢いで飛び出せば、文句なしで先頭に出ると思っていた。
だからこそ50m走ったところで、清水千鶴が私の前に出たことに驚いてしまう。
先頭が清水千鶴。
その真後ろに私がぴったりと付く。
後ろからも足音が聞こえる。貴島由香だろうか。
ホームストレートに入ると同時に、スタンドのあちこちから応援の声が聞こえて来る。
「ゴーゴー! レッツゴー! レッツゴー! ゆ〜か!」
「ゴーゴー! レッツゴー! レッツゴー! ゆ〜か!」
城華大付属の選手たちが声を張り上げて応援しているようだ。
「こら、由香! 澤野聖香に追いつきなさい。たった3m差よ」
応援の合間に山崎藍子が叫んでいる。
走っている私が聞こえるくらいだ。
いったいどれくらいの声を出しているのだろう。
「聖香先輩ファイトです」
「聖香! 前抜かせ!」
「せいちゃん落ち着いて行こぉー!」
あ、桂水高校のメンバーも負けていなかった。
でも、これは嬉しかった。応援はやっぱり力になる。
ホームストレートを走り、もうすぐゴール前を通過して300mになる。
ふと電動計時を見て一瞬取り乱そうになった。
48……49……50。
300mの通過が50秒? 清水千鶴が勢いよく飛び出し、私も負けずに付いて行った。
多少はオーバーペースだろうとは思っていたが、目の間にいる敵とえいりんの記録を破ることを考えたら、ある程度は突っ込んで入ることも必要だ。
それでも300mを50秒はやりすぎだ。
このままのペースで行けば1500mを4分10秒。
あきらかにこのペースで最後まで走り切れるわけがない。
順位のみを狙うなら、一旦ペースを落とし、今は無理をしないほうが良い。
でも記録を狙うなら、このまま突っ込み続けて行けるところまで行った方が良いだろう。
トラックを1周して400mを通過したところで、前を走る清水千鶴のペースが若干落ち始めた。
ここで判断を迫られる。
私も合わせてペースを落とし順位を狙うか。
前に出て記録を狙うのか。
迷うことは無かった。
あの時、一瞬だけ負けても良いと思ったのも事実だが、やっぱり負けるのは悔しい。
狙うは記録だ。
私は、スッと清水千鶴の横に並び、そのまま抜きに掛かる。
先頭に立ち、視界が開けるとテンションも上がって来た。
やはり一番前を走るのは気持ちがいい。
作品名:風のごとく駆け抜けて 作家名:毛利 耶麻