小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

(続)湯西川にて 36~最終回

INDEX|7ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 



(続)湯西川にて (最終回)母と子の背中

 その夜のお座敷を終えた清子が、いつものようにフロントへ
帰りの挨拶に現れました。
これから深夜勤務となる従業員たちへ、和やかに頭を下げていると、
足音を忍ばせるようにして現れた女将の姿が、
いつのまにか清子の隣にあります。
「ちょっとおいでよ、清子」とささやきながら、女将が着物の袂を引きます。


 女将の目は、ロ―ビーの一番奥にある片隅をさししめしてています。
そこにある空間は、周囲に聞かれたくない話をするときの、
いつもの女将と清子の指定席です。


(はて?・・・・しくじった覚えはないし。
 今日はいったい何事かしら・・・・)

先に立って歩いて行った女将は、いつもの椅子に腰も下ろさず、
中庭が見渡せる大きなガラスの前で、申し訳なさそうにしたまま、
悄然として立ちつくしています。


 「すぐに、ばれてしまうことだから、私から先に謝っておきます。
 決して響のことを怒らないでおくれよ。
 あの子に罪はないしちっとも悪くはないんだから・・・・
 あたしが余計なお節介を妬きすぎたせいなのさ。
 実は、あんたにはすべて内緒で、響を、俊彦さんに
 何度も合わせてしまいました。
 余計なことをやりすぎたと、今さらながら後悔をしているんだよ。
 でもね・・・・最後にさ。
 あの子ったら、バス停で俊彦さんに嬉しそうに甘えて、
 抱っこまでされたうえに、大きなソフトクリームを買ってもらって、
 美味しそうに一緒に食べていたんだよ。
 ごめんよ、清子。
 どうしても、放っておけなかったんだ。響が可哀そうすぎてさ・・・・」


 「そうですか。俊彦さんは、無事に桐生へ帰りましたか」


 「あたしゃ・・・・もうひとつ、お節介をしちまった。
 ほら、あの足尾町の煙害から山を復活させるという、例の植樹の
 ボランティア活動の一件さ。
 俊彦さんに勧めておいたから、あの性格のことだ。
 きっとその活動にも参加をしてくれると思う。
 織り姫と彦星だって、一年に一度は、天の川で行き会えるんだ。
 あんたたちが、一年に何回か足尾の山の中でひそかに行き会ったって
 誰も、文句なんか言うもんか。
 ごめんよ。何から何まで勝手なお節介ばかりやいちまって・・・・
 だってさ。見てらんないよ、あんた達。
 いつまで経っても、危なっかしいままで、さ」


 響が従業員に、手を引かれてやってきました。
眠そうな顔をしていましたが清子の顔を見た瞬間から、
なにやら妙にはがみはじめます。


 「そのお顔の様子では、お母さんに、なにか秘密などが有りますね、響。
 正直に、何が有ったか言ってごらん。おこりませんから」


 「だって、とっても食べたかったんですもの。・・・・
 あたいったら。
 大きなソフトクリームを、たくさん食べてしまいました。
 ごめんなさい。お母さんとの大切な約束を破ってしまいました。
 今日の響は、とても、悪い子です」


 「そう・・・・
 美味しかったかい。ソフトクリームは」


 「はい。お母さま」

 「よかったねぇ。食べさせてくれたお兄ちゃんに、
 ちゃんとお礼を言えましたか」

 「あ・・・・いけない。
 お礼を言うのは、すっかりと忘れてしまいました!」

 「忘れちゃったのか、お礼は。・・・・
 でもまぁ、それも仕方有りません。
 ・・・・ほら、おいで。久し振りに、抱っこなどをしてあげるから」


 「お仕事の着物の時は、汚れると大変ですので、
 抱っこなどをしてはいけません」

 「子供のくせに、なにを余計な心配をしているのかしら、この子ったら。
 今日は、響にとっては、とても大切な特別な日です。
 だからお母さんも、今日だけは、響を抱っこしてあげたい気分なの。
 あら、まぁ・・・・重いわねぇ。
 いつの間にこんなに大きくなったのかしら。響は」


 「お兄ちゃんにも、やっぱり、重いと言われました」


 「・・・・そう。そんな風に言われたの。
 よかったねぇ響。お兄ちゃんにも、やっぱり重いと言われて。
 じゃあ、このまま抱っこをしてあげるから、二人でおうちに帰ろうね。
 女将さん。いろいろとありがとうございました。
 清子も、長年の、胸のつかえなどがなんとなく
 取れたような想いがいたします。
 いつも女将さんの好意には甘えっぱなしですが、甘えついでにもうひとつ、
 足尾の山にも、行きたい気持ちになってまいりました。
 響。女将さんに、さようならをしてください。
 明日もまた、お願いしますって、ちゃんと
 ご挨拶をしてちょうだいな」

 嬉しそうに響を抱きかかえたまま、芸者姿の清子がロ―ビーを
立ち去っていきます。
それは、女将も初めて見る親娘の光景です。
芸者に正装をした清子が、初めて女将に見せる、
響を抱っこをしたままの姿です。



 「馬っ鹿じゃないの。清子ったら。
 粋が売りもので、いなせが信条の湯西川温泉の芸者が、嬉しそうに
 我が子を抱いたまま仕事場の中を歩くなんて、
 まったくもって前代未聞の出来事だ。
 何を考えてんだろう、まったくもって・・・・
 でもさ、響にとっては、おそらく今後、二度とは
 やってこない今日という特別な日だ。
 昼間は、父親の俊彦さんに甘えて抱っこをされたし、
 夜になったら、母親の清子に久しぶりに抱っこをされているんだ。
 普通の家庭なら、ごく当たり前の光景なんだろうけど、、
 響にしてみればこんな日は、一生に一度、有るか無いかの
 奇跡の出来事なんだ。
 よおく、良く覚えておくんだよ、響。
 今日と言う日は、もう二度と、たぶんやって来ないんだから・・・・」



 宴会を終えて赤い顔で通りかかった常連客の一人が、
清子と響の後ろ姿を見送りながら、目を潤ませている女将の姿に気づきます。