*レイニードロップ*
*
部室の前にいたのは、布団お化けだった。っていうのは、スイから後で聞いたネーミング。畳んだ掛け布団と寝袋を抱えて体が見えなくなっていたのは、部長だった。多分。
「いや、何してんですか……」
「部室のドアが開けられなくてね。君たちを待っていたんだよ」
「一回下ろすとか、なんとか、しようがなかったのかと……」
「汚れるじゃないか、バカか君は。いいからさっさと開けてくれないかい?」
ひどいことを言われているけれど、諦めて、というか拒む理由もないのでドアを開ける。
「そうだ、スイちゃん。乃木崎くんに変なことをされなかったかい?」
「へんなことー?」
「例えば、おしっこを飲ませてくれとほがっ」
僕は部長の抱えていた布団を押し付けて口を塞ぐ。一瞬鼻も口もふさがったせいか、変な息を吐き出す部長。
きょとんとしたスイに、不思議そうに尋ねられる。
「おにーさん、おしっこ飲むの? 汚いよ?」
「あのね、スイちゃん。あの人の言うことは全部嘘だから。気にしちゃだめだ」
はてなとスイは首を傾げる。
全く、この部長は一体何を吹き込もうとしているのだ。
「もう、相変わらず乃木崎くんは変態なんだから」
寝袋と布団を机下ろした部長は、呆れ顔で言う。呆れたいのはこっちの方だ。
「変態じゃないです。これ以上変なこと言わないでください」
「……ふぅん?」
部長の呟くような微笑に、何か嫌な予感がよぎる。得体の知れない、嫌な予感。
ふわ、とスイが欠伸したのを見て、僕は肩をすくめる。
「ま、別にいいんですけど。さっさと、寝ましょうよ。スイちゃんは、ソファで寝ようか。少し寒いかもしれないけれど、掛け布団もあるから」
「じゃあ、乃木崎くん、僕はどうやって寝ればいいんだい? もしかして、寒いのを堪えるためにお互い温めあほがっ」
「自分で寝袋貰ってきてるじゃないですか。僕らは雑魚寝です。別に、部長は今日が初めてってわけじゃないでしょーが」
「僕の初めては、乃木崎くんのために取ってあほがっ」
一度押しのけられた寝袋を、もう一度部長の顔面に押し付ける。だから、子どもが見ている前で何を言おうとしているんだ、この部長は、本当に。
眠そうに目を細めたスイが、いささか怪訝げにこちらを見ている。
「あー、スイちゃん。あの人のことは気にしないで、寝よっか。僕も眠いし」
スイを誤魔化すための嘘ではなく、実際、僕も疲れていた。何せ雨に打たれて、その足で学校に戻ってきて、苦痛でしかない作業を強いられて、それに、どこから来たともしれない少女と出会って、巻き込まれて、半日どころか四半日にも見たない間に、色々なことがありすぎた。
「スイ、真っ暗やだー」
部室の電気を消そうとしたところで、ソファに横になったスイが駄々をこねるように言う。
確かに、夜中の校舎というのはそれだけでも不気味なのに、明かりがなくなれば余計に怖くも感じる。外は相変わらずの雨降りで月明かりもは全く差し込まないから、電気を消せば部室は完全に真っ暗になってしまう。
「分かった。じゃあ、電気は付けたままにしておこっか」
「やったー」
なんて、言う側からスイは目を擦る。この分なら、すぐにスイも眠りにつくだろう。
それぞれが適当な場所に横になって、スイは布団にくるまって、僕や部長は寝袋に潜り込む。明るいのは気になるけれど、疲れた体は素直に睡眠を欲していた。
「でも、明日になったらスイちゃんのことを隠し続けるのも、難しくなるだろうねえ」
まるで他人事みたいに、部長が言う。
びくりと、スイが体を強張らせたのが分かる。
「部ちょ……」
口を挟もうとすると、部長に目配せをされた。何か考えがあるという顔に、僕は口をつぐむ。
「明日は文化祭の前日だからね。みんな、朝から準備で忙しくしているだろうし、部室棟も人が多くなるよ。僕らも展示の準備をしなきゃいけないから、ずっとスイちゃんについているわけにもいかない」
「……スイは、邪魔?」
「そんなことはないよ。スイちゃんは可愛いし、大好きだよ。けどね、気持ちだけじゃどうしようもないことも、あるんだ」
少し淋しげに、部長は呟く。
「スイちゃんから見たら僕や乃木崎くんはずっと大人に見えるかもしれないけれど、僕たちだって、まだまだ子どもなんだよ。お父さんやお母さんがいなきゃ、こうして学校に通うことも出来ない。ご飯だって食べられない。そんな内は、まだまだ子どもさ。ましてやスイちゃんは、もっと子どもだ。きっと、お父さんもお母さんも、心配しているよ」
「……でも、だってお父さんは意地悪なんだもん」
「意地悪?」
スイが家出をしてきたことは聞いていたけれど、その理由はまだ聞いていない。
「お父さんは、スイのこと、子どもだって言うの。だから、下に降りちゃいけないって。スイは、もうお姉さんになったんだもん。下に降りたって、大丈夫だもん」
「……ふぅん?」
言いたいことを飲み込むように、部長は相槌を挟む。
僕も、反射的に尋ねたいことはあったけれど、部長に倣って口をつぐむ。今は、スイの話を聞いてあげる時だ。
「それで、家出してきたの?」
「……うん」
「そっか。まだ、お家には帰りたくないの?」
「だって、帰れないもん……」
「帰れない?」
「……帰り方が、分からないの」
やっぱり、スイは迷子だったのか。家出をしてきたスイは、帰り道が分からないところまで来てしまって、帰れなくなった。そこで、僕と出会った。
「それじゃあ、お家を探さないとだなぁ……スイちゃんは、どこから来たの?」
「……あっち」
スイは、すっと窓の外を指さす。心なし、空に掲げるように遠くを指し示す。
「……そっか。あっちの方かぁ。山の方なのかな、ねえ、乃木崎くん」
「そこで僕に振りますか。いや、まぁ、いいですけど。確か、部長の家もそっちの方じゃなかったでしたっけ」
僕の家がどちらかというと麓から市街地に近いのに対して、部長は山の方から学校に通ってきている。丁度スイが指したのもそちらの方向だった。下に降りるとかなんとか言っていたのも、山から下りてくるという意味だったのだろうか。少し、釈然としないけれど。
「そうだねぇ……。スイちゃん。明日になったら、一緒に行ってみようか。もしかしたら、近くに行けば道が分かるかもしれないから」
黙ってしまう、スイ。ふと見れば、スイはまぶたが重いのか、パチリパチリと瞬きを繰り返している。話している内に眠くなってきたのだろう。
「……無理だよ……だって……スイは……」
呟くように言葉を紡いで、ついにスイは眠りに落ちる。何か言いたいことがあったのかもしれないけれど、その言葉は途中で切れてしまった。
すやすやと寝息を立て始めたその寝顔は、子どもらしい純粋なものだった。
作品名:*レイニードロップ* 作家名:古寺 真