*レイニードロップ*
*
「おかえりー、おにーさん」
部室のドアを開けると、とてとてと駆けてきたスイが抱きついてきた。
「おかえり、乃木崎くん。さっき起きてから、君のことを待ってたみたいだよ」
「ち、違うもん! スイ、待ってなんかないもん!」
スイは抱きついたまま、むぅと頬をを膨らませて見上げてくる。僕のことはともかく、スイのことはどうにかしてやらないと、いけない。
「部長、ちょっとだけヤバいです。この雨で裏の川が増水して、決壊しそうらしくて、生徒は全員避難するようにと、先生から。騒々しかったのはそのせいですね」
部長の顔色が、変わる。スイは目をぱちくりとさせて、僕の体を放す。
外の雨は、なおもざあざあと窓を打ち続けている。
「……このままだと、文化祭も中止になりそうらしいです」
「嘘だろ……悪い冗談だ。笑えない。雨だから、なんだっていうんだよ。体育祭じゃあるまいに、文化祭が雨天中止なんて聞いたことない」
「……部長? 大丈夫ですか……?」
「大丈夫なもんかよ。明日は、最後の機会だったんだ。乃木崎くんの写真と僕の写真が並ぶことができる、最後の機会だったんだ。それが中止になるだなんて、認められるもんか……!」
力なく笑う部長に、掛ける言葉は見つからなかった。こんな状況になって――今頃になってようやく、僕は部長の想いに気付いた。気付けていなかった。
なんだかんだといって、僕は部長と一年半もの時間をこの写真部で過ごしたのだ。あと半年で卒業する部長にとって、この文化祭は最後の思い出になるはずだったのだ。だからこそ、部長の写真と僕の写真を並べることに固執していた。なんでもっと早く、その想いに応えられなかったのか。自分のプライドだけにこだわり続けていたことが情けなくなる。
「……雨が止めばいいんだろう? まだ、中止になるって決まったわけじゃない」
はっと希望を見出したみたいに、部長が顔を上げる。
けれど、僕は首を振ってその希望を否定しなきゃいけない。
「ダメらしいです。本当ならとっくに移動しているはずの雨雲が、ずっと停滞しているらしいんです。しかもこの街の上を、狙ったみたいに」
「……なんだよ、それ。まるで僕たちを邪魔してるみたいじゃないか」
部長は顔を覆う。万策尽き果てたとでも言いたそうに、肩を落とす。こんなにも力ない部長を見るのは、僕にとって初めてのことだった。
部室に、沈黙が下りる。
こうしている間にも、時間は過ぎている。雨は降り続けている。川の水位も、上がり続けているだろう。早く避難しなくては、いけない。
だのに、体が動かなかった。
「スイの、せいだ」
沈黙を破るように呟いたのは――スイだった。僕と部長は、顔を上げてスイを見つめる。一体何を言い出したのだろうと、首を傾げる。何が、スイのせいだというのだろう?
「この雨はスイのせいなの。スイが悪いの」
「スイちゃん、それはどういう意味? 僕にはよく分からないんだけど」
「おにーさんは、信じてくれる? スイのこと信じてくれる?」
スイの視線に、僕はしばしたじろぐ。けれど真っ直ぐと見つめるその瞳に、首を振ることは出来なかった。
「……信じるよ。スイちゃんのことを、信じる」
僕の言葉を聞いて、スイはそれでも迷うように一度だけ目を逸らして、だけど、何か決めたように、再度顔を上げる。
「スイのお父さんはね、天気職人なの。雨を降らせるのが、お仕事なの」
作品名:*レイニードロップ* 作家名:古寺 真