人生の、夏
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私は、母子家庭で育った。しかし、世間で言われている平均的な母子家庭世帯とは少し異なっていたと思う。私は父親に会ったことがない。しかしもちろん、とは言ってはおかしいが、私が十八で家を出るまでは父親と称する男が入れ替わり立ち代り現れてはいた。まだ幼い頃、私は母に尋ねたことがある。どうして私にはお父さんがたくさんいるの、どうして一緒に住まないの、と。最近はどうなのかは知らないけれど、私が幼稚園に通っていた昔にはまだ、父の日に何かしらの簡単な工作をして、プレゼントを作るという時間があった。私はその時若い女性教諭に、うちにはお父さんがたくさんいるのでカードが足りません、と申し出た記憶がある。母は、私の問いに対してはこう答えた。うちに時々来る人は、お父さんと名乗っているだけなの。彩夏のお父さんは本当は一人しかいないの。本当のお父さんじゃないから一緒に住まないの。それに、あんたに手を出されちゃ困るしね。と言って母は笑った。私も意味がわからないままに、つられて笑った。母は当時、地元で一番の高級クラブを経営していた。それは当然のことながら、私の本当の父、または父と名乗る誰かしらの援助があって成せる事であった。母は美しかった。美貌を利用して、自分の思うままに生きるすべを身に付けていた。私は母の血を、そのまま受け継いだのである。とは言っても、それは母の美貌をそのまま受け継いだだけであって、その社交性や、異性同性問わずに好かれる気質などを私は受け継がなかった。
多忙な母に代わり、私の面倒を見てくれたのは祖母であった。私が小学校を卒業するまでという期限付きで、母は私の面倒を見てもらうようにと祖母に頼んでいたようだ。私は父に会ったことが無いのと同様に、祖父に会ったこともない。そのことについて、私はやはり祖母に尋ねたことがある。うちは、とその時祖母は言った。男の人が残らない家系なのよ。どこかから来て、またどこかへ行ってしまうのね。でも、と祖母は続けた。あの人は、孫が生まれたなんて思ってもいないでしょうね。多分今でも、昔と変わらずに遊び呆けているのでしょう。だいたい美也子もお祖父さんに会ったことが無いのよ。だから、彩夏と一緒。また、祖母はこうも言った。彩夏が男の子だったらね、うちの歴史は変わったのかもしれないね。歴史だなんて、大げさなんだけどさ。でも、あんたも美也子にそっくりだからね。
夕食の後、テレビを見ながら祖母はよく昔の話をしていた。そして、夜の十時になると、一人暮らしをしている同じマンションの別の部屋へ帰っていゆくのだった。祖母が帰ってからは、私はいつしか習慣になっていたある遊びを繰り返すようになった。一人になると私は母の部屋へ行き、鏡台の前で母の洋服や下着をひっくり返しては様々なものを身に付けた。着せ替え人形の人形は私自身であった。そして、夜の世界で働く母のクローゼットは衣裳に事欠かなかった。黒やボルドーの繊細なレースの下着や、ラインストーンやビジューの付いたつやつやとしたブラウスやドレスなどが溢れており、私はいつもそれらの美しい服に埋もれて過ごした。どの衣類も、母がいつもつけている香水のひんやりとした甘い香りがした。クローゼットの隅には、母が店でだけ履く靴が収められている棚があった。私は時折その、およそ実用的ではない靴を取り出して履いた。しかし子供の足には全く合わず、つま先から高い高いヒールへと続く稜線の上でぐらぐらと辛うじて留まる、足裏がひどく不安なのであった。サイズはまだまだ合わないながらも、母の衣類の光沢のある素材や色彩などは子供の癖に少しも違和感がなく、不思議と私に馴染んでいた。しかし靴だけはどうしようもなく、私は早くこの靴がちょうど良く履けるようになりたいと思ったものである。母が帰宅するのはだいたい午前二時から三時頃であったが、私はいつも十二時ちょうどでその遊びをやめた。それが私なりの、子供なりの遠慮であった。
私はその秘密の遊びを、母には全く気づかれることなくやりおおせているのだと思っていた。しかし、母は私の着せ替え遊びには気が付いていたようだ。私がそれに夢中になり始めた頃、母は鏡台を、引き出しに鍵のかかるものに買い換えた。そして、鍵のかかる引き出しの中へ化粧品や宝石をしまっていたらしい。更に、これは後で知ったのだが、私が着替えで遊んでいたものはどうやら母の普段着だったようだ。母は自宅ではないどこかに、自分のお気に入りの衣裳を納める場所を持っていた。私が幼い頃に遊んだ衣裳は、特に子供に触れられても構わないと母が判断した、「お気に入りの時期もあったけど、今ではわりとどうでもよくなった去年の」洋服が順次おさめれられているのであった。
最初は秘密であった着せ替え遊びは次第に祖母の知るところになり、最後には母にも知られてしまった。小学六年にもなれば、元々小柄な母の服をそこそこ着こなすようになり、例の靴にも足がぴったりと収まるようになった。祖母は私を見て、この子はもう美也子のお店に出れるでしょ、と言って笑った。母はそれに対して、いや、駄目よ。この子は駄目だわ、と答えた。
小学校を卒業すると、母はクローゼットの中身を全部あげると言った。子供が着るにはおかしいのもあるけど、好きにしたら良いわと言った。