人生の、夏
3
中学入学当初は男女問わずにちやほやとされていた私だったが、二年生になる頃には既に、私と周囲の間には何か言いがたい溝が出来上がっていた。男子生徒はただ私を遠くから眺めるばかりになり、どこまでも均一であることを求められる女子生徒の輪の中に私は入ることが出来なくなっていった。そして私が黙っていても次々と湧いてくる様々な噂が、私と彼らの間の溝をますます深くした。年上のお金を持っている男としか付き合わない女。水商売の家の女。父の顔を知らない女。それらは全て当たっていた。しかし、だから何だというのだろう。私の噂や悪口で盛り上がる同年代の女は年上の男を捕まえる魅力がないだけであり、同じ学校の男は私の側にいながら私の興味を惹くことができないだけであった。そして母の商売は順調でサラリーマンでは稼げないほどの売上を出しており、水商売と呼んで卑しめようともそれはただの嫉妬にしか聞こえなかった。もっともその売上には彼らの父親たちの少ない月給のうちのいくらかも含まれており、各家庭では私の母への悪口が渦巻いることは想像に難くなかった。程なくして私は、地元では有名な私立大学に通う男と知り合った。彼は地元の資産家の息子であった。そして私は彼の裕福な生活の一部を享受することになった。冗談のようだが、彼はよく真っ赤なフェラーリを私の通う中学の校門前に横付けした。地方都市の公立中学の前で、それはおそろしく不釣合いな光景であり、悪趣味ですらあった。お金は持っているが、頭の悪い男だったようだ。しかし私も外見ばかり大人びたばかな子供であったのだから、似合いの二人だったのだと思う。彼に高級外車で迎えに来ることを辞めるようには言わず、私はいつも午後三時半になると、周囲の刺すような視線を浴びながらその赤い美しい車に乗り込んだ。いつの間にか周囲と浮いてしまったこと、同級生達との間にできてしまった溝、そして絶えず漂う噂。それらに関して私はもう、完全に開き直っていたのである。赤いフェラーリで向かう先は彼が一人暮らしをしている大学に近いマンションであった。私はいつもそこで夜の十一時半まで過ごし、十二時に間に合うように家に帰った。彼は何度も、私と朝まで一緒に居たいと言い、また私が帰るときには送っていくと言い続けた。しかし私はそれを拒み続けていた。母が帰宅するときには、ちゃんと家にいなければならないというこだわりを私は持っていた。それは私にとっては、ある意味バランスを保つ行為であった。毎日学校が終わると男の部屋へ行き、夜中まで居座る時点で朝まで居るのとそう変わらない。しかし、この部屋から学校に通うようになっては、私の中の何かが崩れるようで恐ろしかった。そして自宅に向かうときは、彼の車であってはいけないのであった。もちろん、送ってもらった方が楽にきまっているのだ。しかし私は終電に乗り、徒歩で帰宅した。そうすることで、私は普通の娘として家に帰ることができた。帰宅すると、ごく稀に母が既に家に居ることがあった。そんな時母は随分遅いのね、と言いながらも少しも怒っている素振りを見せなかった。そして、成長期なんだから2時までには寝なさいよ、と言って自らの寝室に引き上げるのであった。母は放任のようでいて、完全に無関心というわけでもなかった。私が決定的に羽目を外せなかったのは、常にどこかで母に見られているように感じていたからなのかもしれない。しかし、私は当時学校に馴染めずにひどく浮いてしまていることを母に言えずにいた。全く何の問題もなく過ごしているように見せていた。しかし二年生の一学期が終わる頃には保健室登校になり、教室に顔を出すことが出来なくなってしまった。将来のことなど何も考えておらず、このままあと一年半やりすごし、卒業したら母のお店で働こうと思うようになった。
私が保健室登校を始めたある日のことだった。午後三時半になっても校門脇に赤いフェラーリは現れず、代わりに青いシトロエンが停車しているのが見えた。よく見慣れた、母の車だった。少し嫌な予感を感じながら近づくと、静かにドアが開いて母が降りてきた。
母は車から降りると、何か魔法でもかけるような仕草で白い日傘を開いた。私は母から二メートルほど離れた場所で立ち止まった。母は黙って私を見つめていた。紺地の絞りの浴衣を着て、萌黄色の帯の真ん中には黒い宝石の美しい帯留めが輝いていた。しかしそれよりも母の目が静かに潤んでいるのが私の目を惹き、畏れを感じ、私は動くことができなかった。いつもの周囲からの刺すような視線。それとは少し違う肌触りの視線が、しかしいつもと同じように容赦なく私に、そして母にも注がれているのを感じた。
彩夏ちゃん、と母は言った。
少し話しましょうよ、乗りなさい。
私は黙って青い車に乗り込んだ。それとほぼ同時に母は、周囲の視線を振り切るようにアクセルを踏み込んだ。