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神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
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主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

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 彼女は母でもなければ、妹でもない。かといって恋人であるわけでもない。先の戦禍で両親を失った、決して少なくない戦争の被害者だ。泣き崩れているところを有無を言わせぬ勢いで父が連れて帰ってきてから、リュスティックと暮らしていた。元からずいぶんと大人びた印象があったが、今では容姿も相応になってきて、一つ歳が上のはずのリュスティックも頭が上がらない。
 くすんだブロンドの髪を短く切り揃えて、近年爆発的に広まった化学を用いて作られた繊維の服を着て、化粧を塗るわけもなくただ自然にまかせて生きている。飾り気がないのは育ての親が悪かったせいだとリュスティックは思っているのだが、これはこれで街ではずいぶんに人気があるというからその器量は計り知れない。かくいうリュスティックも今の地位と親の七光りがなければ、何と噂されているかわかったものではなかった。
「親父はどこに?」
「また仲間と連れ立って狩りに行ってるわ。夜までには戻ると思うけど?」
「そうか、あの人は結局変わらないな」
 一口紅茶をすすると、全身が総毛立つような心地がして、初めてリュスティックは自分の体が冷え切っていたことに気づいた。外はずいぶんと温かくなってきたとはいえ、まだ春は遠いか、と思えた。
「今日も行ってきたんでしょ? 紅蓮の災禍の捜索。どうだったの?」
 自分のカップを手にペイザンヌが向かいに座る。彼女はリュスティックの仕事の話を聞くのが好きだった。もはや争い事など滅多に起こらないから、騎士団長とはいっても仕事はよくて街中のいざこざの仲裁や商人の護衛、時には城の増改築や大掃除の力仕事を任される時もある。歴史書に何度も登場する父とはかけ離れた内容ばかりだった。怒った市民に頭から酒樽をかぶらされ、酔って呂律が回らなくなった私を当事者が笑いものにして事態が収束した話はどうやら彼女のお気に入りらしい。
「本人は見つからなかったが、変な男には会った。魔女の従者かもしれない」
「どんなだった? やっぱり真っ黒な装束で、人には余る大剣を振り回すような?」
「そんな大仰な奴なら、私の命が危ないな。見たことのない黒い服を着ていたが、少なくとも普通の人間のようだったよ」
 自らを英雄と称するあの男、歳は自分より下のようにも見えた。剣を持つものに無謀にも素手で戦いを挑み、慢心があったとはいえ、私を一合にて上回った。あの時は自分の言葉に従って帰ってきたものの、今思い出してみると敗北感がこみ上げてきて、リュスティックは妙に苛立つ気持ちを悟られぬように残り少ないカップに口をつけた。
「何か悔しいことがあったんだ? 隠しても無駄だし、私に話してよ」
 一瞬にして看破され、リュスティックの喉が低く鳴る。いつも彼女は私の心の動きを汲み取って、隠し事をさせてくれない。どんな失敗も私からうまく聞き出して、からかいのネタとしてストックしておいているのだ。
 すっかり弱みを握られているリュスティックは顔を上げ、にやりと口角の上がった顔にせめてもの抵抗とばかりに溜息を吹きかけたが、彼女には聞くはずもなかった。
「さて、今日はどんな話が聞けるかな?」
 急かすようにペイザンヌは空になったリュスティックのカップに新しい紅茶を注いだ。
 どうせ家族だとリュスティックは諦めたように森であったことを具に話すことにした。見慣れない格好の青年。歳は若かったが、素手で戦いを挑んできたこと。そして、その相手に後れを取ったこと。リュスティックの話を聞きながら、ペイザンヌは内心楽しそうに温かい紅茶を啜っていた。大方私の言葉の端々に浮かぶ悔しさが面白いのだろう、とリュスティックは思った。
「でもすごいね、その人。素手で、しかもリュスに喧嘩売るなんて」
「喧嘩というレベルじではなかったな。それなりに剣と対峙することを想定していたように思うよ」
 触れれば容赦なく肌を裂く切っ先を見ながら、賢の腹を叩くなどという考えは普通は出てこない。少なくともリュスティックの常識ではそうだった。
 素手の喧嘩は珍しくはない。平民は武器の所持を禁止されているから、街中でいざこざが起きれば大抵は殴り合い、取っ組み合いになるのが常だった。
 しかし、それはあくまで平民の喧嘩に過ぎない。騎士が戦うときはお互いに剣を取り、培った剣技で争うものだ。先の戦争でも一部の卓越した腕力を持つもの以外は片手に剣を携え、誇りとともに戦場を舞った。近年は銃器や火器という鉛玉を飛ばす兵器の研究もあるらしいが、未だに実用には至っていない。帯刀はこの世界で強い心と華麗な技を持つ者に与えられた絶対の権力の象徴だった。
 それを生身の拳で砕くというのであれば、それは国家の安定を阻害する要因であり、騎士たるリュスティックにとっては未来への恐怖そのものだった。
「魔女による新しい破壊の形なのかもしれないな」
 話しているうちにだんだんと不安がこみ上げてくる。剣を落とした時点で自分は負けていた。あの時争いを止め、命が救われたのは自分の方だったのではないか。
「それで、その人はなんて言ってたの? 自分のこと」
「英雄だと」
 それを聞いてペイザンヌは堪えきれなかったように吹きだした。何が面白かったのかリュスティックには皆目見当がつかなかったが、手当たり次第に机や椅子やリュスティックの腕を叩いた後、涙目になりながら、
「よりによって、はぁ、リュスにそんなこと言ったの? 面白い。完全敗北だね」
 とのたまった。彼女はリュスティックが英雄という言葉を嫌っていることをよく知っていた。父のことをそう呼びならわす人間がこの国には山のようにいる。しかし、リュスティックにとってはそれがどうにも納得がいかなかったのだ。
 リュスティックの父、バタールは男にしては幾分か小柄で、しかし人並み外れた腕力の持ち主だった。騎士団長という役職に囚われず、常に戦線に立ち続け、その剛腕で戦斧を振り回し多大な武功を与えた。あの厄災と呼ばれた魔女を除けば、間違いなく最も戦果を挙げているだろう。先王から大きな信頼と褒美を得て、それでいて驕ることなく鍛錬を続けた立派な人柄もよく評価された。
 それでもリュスティックにとってはただの父親であり、そして鍛えた技で人を殺し続けた悪人だった。
 家では優しい父だった。母は幼い頃に病に倒れ、一人で手探りのままリュスティックを育てた。その大変さを微塵も感じさせない温かさがあった。ペイザンヌが来るまで料理は塩味以外口にした記憶がない。服は大抵騎士団の練習着のお下がりで、ボロボロだった。それでも荒むことなく、騎士の道に進めたのはあの強い背中があってこそだと思っていた。幼いながらリュスティックにとってバタールはまさしく正義を為す騎士であり、英雄だった。
 しかし、騎士の道を歩むリュスティックに入ってくる騎士バタールは決して聖人君子ではなかった。歴史を学べば、父の武功が目に留まり、先輩に話を聞けば、その斧から舞い散る血飛沫が脳裏に浮かんだ。戦わなくてはならなかった、それは重々に理解している。
 それでも平和の中でしか生きたことのないリュスティックにとって、父は英雄であると同時に無慈悲な殺人者だった。